土地と人、自然を見つめ、個人の記憶が紡ぐ歴史を映す
「正直言って、もともと映像作品にはあまり興味がありませんでした。でも、1990年代以降に制作されたストーリーのある映像作品を見て、映像の可能性に気づいたんです」。
1983年に台中で生まれた許家維(シュウ・ジャウェイ)は、大学進学のために台北に移り住み、現在も台北を拠点に活動を続けている。彼が「映像の可能性に気づいた」のは、大学院時代、台北市内の美術館で開催されていた、ポンピドゥー・センター所蔵の映像コレクション展を見たときだった。そこで展示されていたのは、ストーリーがほとんどない80年代の「まるで彫刻のような」映像作品ではなく、ストーリーが入った90年代以降の新しいスタイルのものだった。絵画やインスタレーションを制作していた許だったが、初めて目にしたスタイルに可能性を感じ、その展覧会を機に自らも映像作品をつくり始める。
記憶の曖昧さを描く
森美術館(東京)で開催された映像プログラム「MAMスクリーン009」では、許の映像作品5作が上映された。いずれも10分前後の短編だが、そのうちの1作である《ドローン、ヒナコウモリ、故人たちの証言》(2017)は、上映のたびに、3分40秒から8分40秒のあいだでランダムに上映時間の長さが変動するものだ。
この作品は、台湾北西部の新竹市に所在する、日本統治時代に飛行燃料を製造していた元軍用工場跡地で撮影された。現在は廃墟として佇むその場所にカメラ付きドローンを飛ばし、そのドローンがとらえた映像や、ドローン自身をほかのカメラで追う映像が流れる。それらの映像に、約80年前にその工場で働いていた、当時は日本人であった台湾人の元工員たちの記憶が、日本語のモノローグとして重なる。
「この作品を制作する前、いろいろ調べていたら、元工員の記憶に基づいて書かれたルポルタージュが出版されていたことを知りました。ただ当時元工員たちが書き残していた日記などは、1945年に日本軍が投降した際、すべて焼却されてなくなっていました」。このため、ルポルタージュは、元工員たちの数十年前の記憶だけに基づいて書かれた。
「人間は、ある物事を思い出すとき、はっきりとしない記憶に基づいて思い返そうとします。前後関係が逆になる場合もあるでしょう。だからこの作品でも、『記憶』の曖昧さ、不確定さを見せたいと思いました」。
作品内のドローンは、カメラを持つカメラマンとしての役割だけでなく、フレームに映る役者という、擬人化された役割も担う。また、映像には、元工場跡地の煙突に住み着いている大量のヒナコウモリの姿も映し出される。通常、ヒナコウモリは寒い地域にしか生息しない。年中暖かい気候の台湾に生息しているのは不思議だ。ヒナコウモリがすみかとする煙突には、第2次世界大戦中の、米軍と中国軍の爆撃の跡が残る。ヒナコウモリ、ドローン、爆撃機の3つの「飛行」という浮遊するイメージに、元工員たちの「記憶」が重なり、記憶のつかみどころのなさを感じさせる。
個人の歴史を見つめる
《高砂》(2017)は、日本と台湾の関係性を強く感じさせる作品だ。第2次世界大戦中、日本の香料工場「高砂」の本社が台北に移転された。『高砂』は能の演目として日本人に馴染みがあり、日本では結婚披露宴などおめでたい席で詠われる。能の『高砂』では、松の精霊である老夫婦が、離れていても夫婦として末永く関係を続けていることを語る場面が登場する。許の作品では、その老夫婦の関係が日本と台湾の関係に結びつく。また、工場「高砂」を舞台に能の『高砂』が演じられることで、その2つの「高砂」が時空を超えてつながり、工場「高砂」が歩んできた海を挟んだ日本と台湾の「歴史」ともリンクする。
許の作品には一貫して「歴史」が反映されている。しかし、それは、教科書や学校で習う「歴史」ではない、個人の記憶に基づく「歴史」である。そこには、許自身の、子供の頃、そして、大人になってからの歴史に対する体験がある。
「私が子供の頃に習った歴史の教科書は、中国本土の5000年の歴史がほとんどで、台湾のことにはあまりふれていませんでした。その後、大人になり、台湾の歴史にふれるうちに、子供の頃に習った歴史に違和感を覚えるようになりました」。
学校で習う与えられた歴史は、あくまで為政者の視点で書かれたもので、個人という概念は完全に欠如している。許は台湾だけでなくある場所を訪れるとき、一般的に語られる歴史とそこで生活している人との矛盾や欠落した部分に関心が向くという。
《ホェイモ村》(2012)は、台湾を離れてタイで暮らす老人の個人的な「歴史=記憶」にフォーカスした作品だ。東西冷戦時代、タイ北部の村で年間CIAの諜報員を務めた台湾人男性の「歴史=記憶」が語られる。いまは牧師であり孤児院の運営者として生活を送るその男性が座る椅子の周りを、彼の孤児院で暮らす小学生くらいの子供たち30人ほどが座って取り囲んでいる。男性の前に座るインタビュアーの女の子も、撮影クルーのようにヴィデオカメラやマイクを手にした男の子たちも、いずれも孤児院の子だ。映像は、そ のインタビューの様子を遠目から追うだけでなく、子供たちがカメラでとらえた男性の表情なども挿入されている。
「私の制作の源は、国家の物語としての歴史ではありません。いろいろな偶然や発見が重なって、作品の題材が集まります」。
2012年、許はキュレーターとして、タイのアーティストとの交流プログラムのため、台湾のアーティストたちとともにタイに向かった。そこで知り合ったアーティストから「北部の村に中国語を話す人がたくさん暮らしている」と聞いた。国共内戦やその後のゲリラ戦に敗れた一部の国民党軍は台湾に逃れたが、一部の軍人たちはタイ北部に残留し「孤軍」となった。その元軍人の台湾人たちが、その後もそこで生活をしているのだ。友人の助けもあり、なんとかそのひとりである元CIA諜報員の牧師のもとを訪ねることが でき、いろいろ話を聞いているうちに、彼を作品にする気持ちが固まった。「まず、そ の場所に行って、そこで暮らす人と接することで、その人の『歴史=記憶』に興味が湧いて、制作意欲が掻き立てられます」。
一般的に語られる歴史とは距離を置き、個人の歴史に目を向ける。これまで、許は作品のなかに「自分」をあからさまに出すことはしてこなかった。自分の立場を前面に出すアーティストも多いなか、「自分」を入れずに発表してきた。それは、なぜなのか?
「純粋に『他者』や『ほかの場所』に興味が向くからです」。決して「誰かのために何かを証明」したいからではないとも強調する。「『アートで人々を助けたい』とか『アートで社会を変えたい』と言う人もいますが、私自身は、アートはそこまで大層なものではないと思っています」。
作品を見た人が、そこで語られているバックグラウンドに興味を持ち、知りたいと思う「入り口」的役割になれたら嬉しい。「難しいことや複雑なことを、まるで『おしゃべり』するかのように見せたい」とも語る。
化学反応を生み出す
許は、2014〜16年に滞在したフランスのル・フレノワ国立現代アートスタジオで本格的に映画技術を学んだ。この2年間でのいちばんの収穫は「映像や映画ができるまでのプロセス」を一から学んだこと。渡仏以前、台湾で映像を制作していたときは、自らカメラマンなど一緒に活動してくれるスタッフや、上映してもらう場所を探していた。しかし、このアートスタジオは、作品を担当するプロデューサーをつけ、制作スタッフを集め、出来上がった作品をフェスティバルなどに応募するところまで手伝ってくれる。許は「ひとつの作品が発表されるまでの流れをしっかりと学びました」と感謝する。
アーティストとして活動を始めたころは、主に絵画やインスタ レーションを発表していたが、台北の美術館で見た映像展で映像の魅力にとらわれ、フランスでの経験を経て、さらに映像の可能性を見出した。近年は、映像から出発したインスタレーションやパフォーマンスも発表している。「舞台を設定して、これとこれをかけ合わせたらどんな効果が生まれるかと考えることに興味がある」と語る。
2018年に東京で発表した《黒と白─パンダ》は、パンダを切り口に、政治や歴史、動物などの題材と人間との関係性を描いている。「日本の漫才師に、彼らが普段行っている漫才と、彼らが知らない『パンダ外交』という話題をかけ合わせたら、どのような化学反応が生まれるのかなと思ったんです」。私たちに馴染みのある漫才と、その漫才とは遠い場所にある歴史や政治がかけ合わさることで、ここでも私たちの興味を誘う「入り口」が提示された。
許は昨年、キュレーターとして、 台北市内での映像の展示を企画した。「台湾でいま語られるべきことは何か?」を考え、世界各国から作品を集めた。「アーティストはよく人間に目を向けるけれど、新しいテクノロジー、例えば、AIとかインターネットに対してはあまり語ってきていませんね」。
人間以外に目を向けることは、 許が、アーティストとして関心を持ってきた分野でもある。これまで発表してきた作品にも、「ヒナコウモリ」や「パンダ」など、人間以外の題材を登場させてきた。その題材を通じて、はるか昔のことを考えることで、新たな扉が開かれると信じている。現在許は、台湾のテレビ番組のためにドキュメンタリーを制作中だ。 1600年代のオランダ統治時代の台湾について、一般的に語られる歴史ではなく、「鹿の皮」を通じた台湾と周辺諸国との交易や紛争などの関係性から追うものだ。今年はまず、そのドキュメンタリーに関する展示を開催し、2年後の完成を目指す。
自身が体験した歴史への違和感から、これまで語られてこなかった個人の「歴史=記憶」に目を向け、映像で表現してきた許家維。彼の作品には、どことなく温かな眼差しが感じられる。それは、「アートは身近なものである」と語る許自身の真摯な思いと他者やほかの場所への興味が表れているからだろう。新作のドキュメンタリーでも、人間以外の題材を通して、これまで語られなかった個人やその場所の「歴史=記憶」に対する許の強い関心を感じとることができるはずだ。
(『美術手帖』2019年4月号「ARTIST PICK UP」より)