「子供の頃から、絵を描くのが大好き」「作品をつくっていると、ほかのことが忘れられる」。美術大学への進学を希望している中高生の多くは、純粋な創作活動に没頭することに集中して、先のビジョンを明確に持たないことが少なくない。
表現者のリアルな感覚を実感してもらおうと、美術・デザイン系高校から美術大学を経て、現役で活躍するアーティストが、自らが卒業した埼玉県立新座総合技術高等学校を訪問。現役高校生とともにワークショップを通じて、創作の可能性、将来の可能性について生の声を交換した。
人生のターニングポイントは、大学に提出するポートフォリオ
複雑なラインと色彩が交錯する少女像を描き出す、アーティストのさめほし。独自の世界観は各方面で話題となり、最近では神聖かまってちゃんのアルバム『児童カルテ』のジャケットや仮面少女 桜雪の著書『ニッポン幸福戦略』の装丁も担当している。そんなさめほしが、日差しが和らいできた9月中旬のある日、自身が卒業した高校でワークショップを開くために母校を訪れた。
さめほしが足を運んだのは、埼玉県の新座総合技術高等学校。数ある専門高校のなかでも珍しくデザイン科を有し、同科を卒業した学生の多くが美術系の大学、専門学校に進学する。2016年に同校を卒業し、武蔵野美術大学に進学したさめほしだが、同級生と少し違っていたのは、選んだのがデザイン系学科ではなく油絵学科だったこと。転向のきっかけをさめほしは振り返る。
「高校3年生になって、公募制推薦入試(総合型選抜)に出願するために作品(ポートフォリオ)づくりを始めましたが、つくればつくるほどに正解がわからなくなってしまったのです。そんなとき、失敗作の上に別の絵を重ねたり、ペーパーに裏写りしたものにさらに絵柄を重ねていったら、今まで覚えたことのない感覚がだんだん芽生えてきました。油絵具のシミさえも美しく見えてきたのです」。
ビジュアルを通じて人に情報を伝えることに重きを置くデザイン科では、デッサンや平面構成、色彩の授業こそあれど、ファインアートを学ぶ機会は少ない。自分の個性や感覚を前面に出すことを控えていたが、進学をきっかけに、自分なりの新しい表現域を見つけたのだった。
4年ぶりに母校に足を踏み入れたさめほし。「何も変わってない」と風景を懐かしみつつも、初体験のワークショップを前に少し緊張の面持ちだ。教室でさめほしを待っていたのは、1〜3年までの在校生8名。さめほしは、自己紹介を兼ねてこれまでの経歴と代表的な作品をスライドで解説。その後、バッグのなかから多様な紙に描かれた絵を取り出し、在校生に見せる。
「これは私が、武蔵野美術大学の入学試験のときに提出したポートフォリオです。描いたものを上下逆さまにしたり、裏表を入れ替えたりしながらさらに描き足したり、絵の下敷きに使っていた紙に裏写りしたシミを下絵にしてまた異なるものを描いたり。迷走している感じが明らかで、いま見ると恥ずかしいですが、これが私のいまの作品づくりのベースとなったものです」。
少女をモチーフにしながらも、特定のテーマはいっさい存在しない。異なる紙や画材で描かれている絵は、ときにラインや色が重なりすぎて、何が描かれているのか判別不可能なものもある。
「いちどダメだと思ったものを違うアングルから見たり、良いと思う部分を切り取るだけで、別の表現が生まれる。私はこの感覚を知ったときに、ようやく自分らしい表現ができるようになったのです」。
アナログから見えてくる、新しい表現の可能性
一連の説明が終了したところで、いよいよさめほしのワークショップが始まる。ワークショップの内容は、ずばり「描きたいものを描き続けること。そして失敗だと思ったらすぐに諦めて、別の絵を描くこと」。テーマやルールは何もない。全員が画用紙に向かって、好きなものを描くだけだ。参加した在学生たちの反応は様々で、さっと筆を進める生徒もいれば、隣り合った席同士で「どうする?」と見つめ合ったまま、描きあぐねている生徒もいる。ある生徒からは、「普段はパソコンやタブレットで描くことがほとんど。リアルな紙の上に描くのは落書きくらいなので、この行為が新鮮で、逆に戸惑ってしまう」という声も聞こえる。 いっぽう、生徒と机を並べて、同じように描き始めたさめほしは、その言葉を聞いてぽつりと呟く。
「私は元からデジタルが苦手で、完全にアナログ派。デジタルツールは簡単に描くことができるし、間違えたらすぐに消すこともできる便利なものですが、目の前に物質の痕跡が残らない感覚がどうも信用できないんです」。
敢えてミスリードを導くワークショップでもあるため、正解はない。とにかく思いのまま描き続けてと、さめほしは生徒たちをやさしく見守る。
迷い、模索し続けることもときには必要なプロセス
1時間ほど経過し、ようやく全員の筆が乗ってきたときに、さめほしから驚きの一言が発せられる。
「いったん自分が描いているものを捨ててください。誰でも良いので、ほかの人の作品をピックアップして、その上に自分なりの絵を描いてみてください」。
自由に描いて良いという設定は当初のままだが、目の前に置かれているのは、突然作品をシャッフルされたまったく関係のない絵柄。生徒たちは、「ん〜」と唸りながらも、それぞれに筆を運んでいく。
「何がしたかったのか、わからなくなってきた」と悩む生徒に対し、さめほしは「完成させることよりも、元からあったものを壊してみる感覚も面白くないですか? 壊し、壊される関係のなかで、何か違うものが見えてくると思いますよ」とアドバイス。いっぽうで、「ご飯が大好き」と語る生徒は、どんな絵柄が持ち込まれても、すべてご飯と関連付けながらユニークな表現を作り出していく。
2時間がすぎたところで、制作は終了。黒板に並べられた作品群を眺めながら、講評が始まる。ひとつひとつの作品を見ながら、誰の下絵の上に、ほかの誰が描いたのか。どんな気持ちだったか、さめほしは尋ねる。
生徒からは、素直で多様な感想があがった。
「裏か表かもわからないし、輪郭も捉えきれない。自分の感覚しか頼れないので、連想ゲームを繰り返している感じだった」。
「自分では絶対に使わない色、描かない線が絵のなかにすでに存在していることに驚いた」。
「正面からは理解できなかったけれど、横に傾けてみると違う絵が浮き上がってきて、まるでだまし絵を見ているような感じ」。
「もはや何を描いていいのか全くわからなくなって、目をつぶったまま描いた」。
正攻法とは違うやり方で、自分の進むべき道を探る
様々な生徒たちの感想を受け、さめほしはこう締め括った。
「私のやり方はあまりにも感覚に頼りすぎているために、みなさんには心許なかったかもしれません。それでも、限られた時間のなかでそれぞれに生き生きと描いていたように感じられましたし、私から見ても『こんなことを思いつくんだ!』と驚かされる表現がたくさんありました。受験や進路を考えるなかで、行き詰まっていた私が、美大に進み、いまなおアーティストとして活動できているのは、必ずしも正攻法に頼らなかったから。失敗や間違い、ほかの人の表現を様々な角度から見直すことで、進むべき道が見えてきたのです。このワークショップで行ったことは、受験や将来になんの役にも立たないかもしれません。それでも違う世界を垣間見た経験は、この先にある大きな可能性につながれば嬉しいです」。
いつもの授業とは違うクリエーションを通して、在校生たちもかなりの刺激を受けた様子で、積極的な意見が飛び交う。あえて迷い、遠回りすることが新たなビジョンを抱くきっかけとなり、さらなる推進力に繋がることをさめほしは教えてくれた。