INSIGHT / PROMOTION - 2019.7.16

【武蔵野美術大学×高校生①】世界で活躍するアーティストと対話! 諏訪敦の特別授業レポート

美術・デザインに興味を持つ高校生に、美大とアートシーンやデザインの現場について様々な角度から知ってもらうため、武蔵野美術大学と『美術手帖』の共同企画が始動。第1弾として造形学部油絵学科教授でアーティストとして活躍する諏訪敦が、美術系大学進学者も多い都立大泉桜高等学校を訪問し、生徒との対談と講評会を行った。

レクチャーに聞き入る高校生たち 撮影=稲葉真

 美大で教鞭を執るアーティストのリアルな活動や考えを知ってもらおうと、高校生を対象に、武蔵野美術大学による特別授業が実施された。対象への綿密な取材を経て絵画作品を制作する同大学教授の諏訪敦が、美術クラスが設置され、美大進学者も多い東京都練馬区の都立大泉桜高等学校を訪問。美術部員約80名のなかから選ばれた14名が、6月11日に諏訪との対談と講評会に参加した。

Part①特別レクチャー:「見ること」を考えるのが描くこと

特別レクチャーを行う諏訪敦 撮影=稲葉真

 まずは諏訪が、油絵の発明、写真の登場といった歴史をさかのぼりながら、自身の作品についてレクチャー。ただモチーフを写し取る行為に疑問を持ったときに、そもそも「見ること」とは、本当に万人が共有できるものなのか、それ自体を検討することからやり直したという諏訪。自身の弱い視力に苦闘しながらの作業のなかでの気付きでもあった、色や形、注視する対象への重みづけの度合いなどの、個人により異なる「見たものの差異」を、むしろ強調して描き出そうとする試みが、その試行錯誤の始まりであったことを丁寧に説明した。

 また舞踏家の大野一雄の晩年の姿を描いたことを例に出し、「“表面上そっくりに描く”というモチベーションだけでは、描く側と描かれる側との関係は時に非対称性を生み、暴力的になりうる。対象に最大限の敬意を払うことは基本的な態度で、そのために直接画面とは関係のない、個人史など対象の背後にあるものに対しても、細かい取材を行う」と話した。

 諏訪が尊敬するスペインのペインター、アントニオ・ロペス・ガルシアの作品も紹介。数十年をかけて制作することもあるという彼の仕事を例に、芸術を一種の職能として考えた場合に、芸術作品と「完成」という概念とのあいだに横たわる問題についても語った。

レクチャーを聞く生徒たち 撮影=稲葉真

Part②諏訪先生への質問:作家性の探し方、制作のコツとは?

 レクチャーを受け、油絵をコンクールに出品することも多いという生徒たちからは、制作についての質問が次々に挙がった。

──制作において大事にしていること、反対にやらないようにしていることはなんですか?

諏訪 大事なものはプロジェクトごとに移り変わります。会話と同じように、人と関わるなかで自分の考えまでも変わっていくのが制作の面白さだと思います。また、制作をするうえで、自分が乱暴な考えになってはいないかと、つねに警戒しています。キャンバスのなかでだけは、画家にはすべての判断が委ねられている。しかし、描いたもので結果的に傷つく人がいるかもしれない。僕は具体的なものを描くから、余計に自分を疑うようにしています。

積極的に質問する生徒たち 撮影=稲葉真

──現在卒業制作に取り組んでいる3年生です。いろいろな技法や表現に手を出してしまうのですが、作家性はどのようにして見つければいいのでしょうか?

諏訪 僕は大学で、稚拙さを感じても学生をアーティストとして扱おうと努力しています。高校生のうちから作家性を意識するなんて驚かされるけど、そういう意識は早すぎるなんてことはないと思います。僕自身はかなり覚醒するのが遅かった。普通の生活をきちんとすることが大切。作家性の芽は日常のなかに隠れていると思います。そして才能は天から降ってくるのではなくて、多くは経験の質に比例するものを指すのだと思います。だから、いろいろな技法や表現に手を出すことはむしろ良いことです。もし大学に進んだら、恐れずに多くのこと、アート以外の様々なことにも積極的にふれて。疲れたら休憩しながら(笑)。

──細密に描くコツはありますか?

諏訪 とくに日本人は手先の器用さに自信があるのか、つい超人的な技術とか、裏技的なことばかりに気を取られがちだけど、それ以前に盲点があると思います。それは道具です。『弘法筆を選ばず』なんて言うけれど大間違いで、悪い道具ではパフォーマンスが出せるわけないし、適した場所に必要な道具を使う判断さえできなきゃ手も足も出ない。自分が下手くそだと自覚するなら、そこはなおさら。自分が何を使って描いているのかを的確に理解して、そして時には道具を少し工夫するだけで、劇的に作品が変わったりする。また、忘れてはならないのは、絵は身体を通さなくては描き出せないもので、運動に近いということ。身体のつくりに無理をさせない筆の動かし方などがあり、すっと思い通りの線が引けることは、自転車の乗り方を学ぶことと似ている。乗れたときに初めて、その身体感覚に気付くものでしょう。いろいろ試してみてほしい。

Part③作品講評:わかりやすく伝え、価値観をゆるがす

 その後は諏訪による生徒作品の講評タイム。諏訪は講評にあたり「本日は時間が限られているので講評の形式をとりますが、大学の日常では、一方的に教授陣が批評し、それを正解として押し付けるのではなく、学生は未熟でもひとりの独立したアーティストであると想定しながら、意見交換の機会を設けるようにしています。僕も制作者は何を考えているのかを知りたいわけです。学生によっては、自分のなかには何もないと思っている、あるいは人前で言葉を発すること自体に抵抗がある者も少なくなくて、なかなか実現できないときもありますが、それぞれの事情について、研究室スタッフと連携しながら時間をかけて理解をしようとします。先ほど話した、『学生をアーティストとして扱おうと努力している』というのはそういうことも含まれます。院生あたりになるとそういう関係は自然と成立するようになります」と話した。

髙橋知里《MIKORIN》の講評の様子 撮影=稲葉真

 ここでは、講評を受けた作品から3点を紹介する。髙橋知里の《MIKORIN》は友達の首が学校にあるスリッパかけにかかっている様子を描いたというシュールな作品だ。「スリッパかけにスリッパをかけるのが大好き。前から描きたかった友達と組み合わせた」という作者のユーモラスなプレゼンに、教室は大いに湧いた。諏訪は「ユニークな設定なのに、無表情な顔の描写はとても実直。そのギャップが面白く、潔く説明を排除しているところにセンスを感じる」としながら「スリッパかけだとわからないのが残念なので、横にいくつかスリッパが並んでいる様子も描いたらどう……? いや、でもそれじゃせっかくの不思議な雰囲気がぶち壊しか……。とはいえ、じつは僕も最初なんのことかわからなかった(笑)。見る人の目線に降りて、わかりやすく伝えるようなアプローチも試してみて」と伝えた。

菱沼百花《Beautiful》の講評の様子 撮影=稲葉真

 《Beautiful》を描いた菱沼百花は「カラスは世間で害鳥というイメージがあるが、自分は好きで、魅力が伝わるようにしたいと思った」と説明。諏訪は「白いカラスもいいねえ! カラスは日差しに照らされると、複雑な色彩と輝きを放つよな。私たちは記号的にものを見てしまいがちだけれど、人間がつくり出した環境のなかで順応して生きているカラスは、果たして本当に薄汚い存在なのか? あのゴミを散らかす評判の悪い振る舞いは、人間がさせてしまっている姿だしね。絵の機能には、説教しなくても楽しませながら価値観をゆるがすことができる良さがある。この絵は完成度が高く、あなたの小さな生命に投げかける優しい眼差しと、状況に対する疑問が、すんなりと伝わってくる。金網と後ろに抜ける空間の、微妙な色合いもシャレてるよ」と評価した。

本川芽衣《JKなりの愛情表現作品》の講評の様子 撮影=稲葉真

《JKなりの愛情表現作品》は、作者の本川芽衣が、母が犬を抱いている家でのひとコマを描いたもの。諏訪は「毛並みの色彩がとても丁寧に描かれているね。室内犬や猫など、ペットを描くことが難しいのは、可愛いものをストレートに描くと、『可愛い』以上の感想を引き出しにくいから。そこはあえて斜めに見るとか、自分独自の視点を見せてほしい。とはいえ、これはいい作品だと思う。家族の肖像画はなかなか他人にとって入り込みにくいものだけど、このお母さんの腕!にとても魅力を感じている。愛犬や家族をこんなふうにずうっと抱き寄せ続けてきたんだって、じんわりとわかるから。そのためにはモデルのようなほっそりとした腕ではなくて、こんなふうに温かくて、湿度やみっしりした重みも感じられる腕が必要なんだろうなって了解させられた。そしてこの犬を守るように組んだ形がすごくいいよね。美しい」とコメントした。

美術室の様子 撮影=稲葉真

 2時間半に及ぶ授業では質問も途切れず、濃密な時間となった。諏訪は生徒たちに「自分の目指す方向を指してくれる大人との出会いの機会は、じつは誰にだって幾度となくあるはずで、そのときをどうか見逃さないように。そして描くときは、対象への敬意を大切に制作してください」とエールを送った。

 第2回以降も、高校生に美大を通してアーティストやクリエイターの動向について知ってもらうためのプロジェクトを展開予定。レポートをシリーズとして掲載していく。