美大で教鞭を執るアーティストのリアルな活動や考えを知ってもらおうと、高校生を対象に、武蔵野美術大学による特別授業が実施された。対象への綿密な取材を経て絵画作品を制作する同大学教授の諏訪敦が、美術クラスが設置され、美大進学者も多い東京都練馬区の都立大泉桜高等学校を訪問。美術部員約80名のなかから選ばれた14名が、6月11日に諏訪との対談と講評会に参加した。
Part①特別レクチャー:「見ること」を考えるのが描くこと
まずは諏訪が、油絵の発明、写真の登場といった歴史をさかのぼりながら、自身の作品についてレクチャー。ただモチーフを写し取る行為に疑問を持ったときに、そもそも「見ること」とは、本当に万人が共有できるものなのか、それ自体を検討することからやり直したという諏訪。自身の弱い視力に苦闘しながらの作業のなかでの気付きでもあった、色や形、注視する対象への重みづけの度合いなどの、個人により異なる「見たものの差異」を、むしろ強調して描き出そうとする試みが、その試行錯誤の始まりであったことを丁寧に説明した。
また舞踏家の大野一雄の晩年の姿を描いたことを例に出し、「“表面上そっくりに描く”というモチベーションだけでは、描く側と描かれる側との関係は時に非対称性を生み、暴力的になりうる。対象に最大限の敬意を払うことは基本的な態度で、そのために直接画面とは関係のない、個人史など対象の背後にあるものに対しても、細かい取材を行う」と話した。
諏訪が尊敬するスペインのペインター、アントニオ・ロペス・ガルシアの作品も紹介。数十年をかけて制作することもあるという彼の仕事を例に、芸術を一種の職能として考えた場合に、芸術作品と「完成」という概念とのあいだに横たわる問題についても語った。
Part②諏訪先生への質問:作家性の探し方、制作のコツとは?
レクチャーを受け、油絵をコンクールに出品することも多いという生徒たちからは、制作についての質問が次々に挙がった。
──制作において大事にしていること、反対にやらないようにしていることはなんですか?
諏訪 大事なものはプロジェクトごとに移り変わります。会話と同じように、人と関わるなかで自分の考えまでも変わっていくのが制作の面白さだと思います。また、制作をするうえで、自分が乱暴な考えになってはいないかと、つねに警戒しています。キャンバスのなかでだけは、画家にはすべての判断が委ねられている。しかし、描いたもので結果的に傷つく人がいるかもしれない。僕は具体的なものを描くから、余計に自分を疑うようにしています。
──現在卒業制作に取り組んでいる3年生です。いろいろな技法や表現に手を出してしまうのですが、作家性はどのようにして見つければいいのでしょうか?
諏訪 僕は大学で、稚拙さを感じても学生をアーティストとして扱おうと努力しています。高校生のうちから作家性を意識するなんて驚かされるけど、そういう意識は早すぎるなんてことはないと思います。僕自身はかなり覚醒するのが遅かった。普通の生活をきちんとすることが大切。作家性の芽は日常のなかに隠れていると思います。そして才能は天から降ってくるのではなくて、多くは経験の質に比例するものを指すのだと思います。だから、いろいろな技法や表現に手を出すことはむしろ良いことです。もし大学に進んだら、恐れずに多くのこと、アート以外の様々なことにも積極的にふれて。疲れたら休憩しながら(笑)。
──細密に描くコツはありますか?
諏訪 とくに日本人は手先の器用さに自信があるのか、つい超人的な技術とか、裏技的なことばかりに気を取られがちだけど、それ以前に盲点があると思います。それは道具です。『弘法筆を選ばず』なんて言うけれど大間違いで、悪い道具ではパフォーマンスが出せるわけないし、適した場所に必要な道具を使う判断さえできなきゃ手も足も出ない。自分が下手くそだと自覚するなら、そこはなおさら。自分が何を使って描いているのかを的確に理解して、そして時には道具を少し工夫するだけで、劇的に作品が変わったりする。また、忘れてはならないのは、絵は身体を通さなくては描き出せないもので、運動に近いということ。身体のつくりに無理をさせない筆の動かし方などがあり、すっと思い通りの線が引けることは、自転車の乗り方を学ぶことと似ている。乗れたときに初めて、その身体感覚に気付くものでしょう。いろいろ試してみてほしい。
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