今年が最後となるアート企画メイン会場の廃校が、時間の蓄積とともに作品へと転じる
京都国際映画祭アート企画のメイン会場、元・立誠小学校を歩くと、木とワックスの懐かしい匂いがする。「ほけんしつ」「りかしつ」など、廃校になる前を再現するかのようなプレートが、教室の入り口に掛けられている。ぎしぎしと音のする階段を昇り降りしながら、展示作品を見てまわる。ところどころ壁がはがれ、理科室では水道の蛇口と陶器の洗面ボウルが、展示された陶芸作品と一体になっている。どこからどこまでが作品なのか、校舎なのか、わからなくなるような不思議な空間がつくり出されている。
100年以上にわたり子供たちが学んできたこの校舎は、廃校になった後、年間100以上ものイベントが催される会場として機能してきた。だが、それも今年を最後に、取り壊しとなるらしい。廊下の突き当たりの壁3面いっぱいに、卒業生の集合写真がずらりと貼ってある。もっとも古い写真は明治22(1889)年。27人の子供と、保護者や教員とおぼしき人たちが写っている。そこから明治、大正、昭和の時代へと連なり、最後の平成8(1996)年の写真に写っている生徒は2人だけとなる。この会場には卒業生たちも多く訪れるという。「生生流転」というアート部門のテーマさながらに、多くの人々が学び、交わり、生きてきた空間は現在につながり、廃校となった校舎はアートを通して人々を集め、突き動かすような場になっている。そうした、場所と一体となった人々の思いが、あるときは土地神信仰にもなったのではないか、という思いを抱いた。
アート部門を統括するアート・プランナー、おかけんたも、校舎からインスピレーションを受けたひとりであろう。校舎の内外20ヶ所以上に、小学校に関するキャプションを貼った。建物に蓄積された歴史を可視化することで、校舎そのものを作品にしたと言う。
もうひとつの会場である京都芸術センターも、以前は多くの子供たちが学んだ小学校だった。廃校とアートが、懐かしさと未来の交錯する空間をつくり出している。
(『美術手帖』2017年12月号「INFORMATION」より)