アルチンボルド、奇想の世界をたどる
花や野菜、動物を組み合わせて描き出された人物像。アルチンボルドの作品は一度見たら忘れることができない。また、一度その作品の前に立てば、しばしそのまま見入らずにはいられない。見る人をまるで迷宮の中に誘い込むかのような力を持っている。
上野・国立西洋美術館では、6月20日より「アルチンボルド展」が開催されている。日本では初となるこの本格的な回顧展において、注目すべきは、彼の代表作である「四季」と「四大元素」が揃って出品されていることである。
時の神聖ローマ皇帝へと献上されたこの奇想の絵に、アルチンボルドはどのような意図を込めたのか。また、アルチンボルドが制作した一連の「寄せ絵」のルーツ、そして周囲にどのような影響を及ぼしたのか。本記事では展覧会出品作とアルチンボルドの生涯を紹介しながら、これらの疑問の答えを探っていこう。
1. 原点―レオナルド・ダ・ヴィンチがミラノに残したもの
ジュゼッペ・アルチンボルド(1526〜93)は、1526年ミラノに生まれた。家は代々ミラノ司教を出した名門で、家には学者や芸術家が出入りしていた。同じく画家だった父ビアージョに師事し、ともに聖堂のステンドグラスの下絵制作などの仕事にたずさわりながら、彼は高い教養を身につけていく。
当時のミラノ(ロンバルディア地方)の美術の礎をなしていたのは、15世紀末にこの地を拠点に活動していたレオナルド・ダ・ヴィンチの自然研究の成果だった。彼は「自然に学ぶ」ことの重要性を説き、自然の動植物を直接的・徹底的に観察し、素描として描きとどめていったのである。また、自然観察の延長線上として、レオナルド・ダ・ヴィンチは人間の顔、特に醜い顔の描写に強い関心を寄せており、その特徴を誇張したカリカチュアの素描も多く描いている。
このカリカチュアの源流には、当時流行していた文学ジャンル「滑稽詩」があった。これは、人体のパーツを分解して他の物と置き換える修辞法を特徴としており、アルチンボルドの生まれた16世紀には、ロンバルディア地方において伝統を形成していた。アルチンボルドの寄せ絵は、まさにこの滑稽詩の技法に通じるものがある。
レオナルド・ダ・ヴィンチの手法や素描は、ベルナルディーノ・ルイーニをはじめとするミラノの画家たちによって受け継がれ、新たなオリジナル作品を生み出す礎ともなった。アルチンボルドはレオナルド・ダ・ヴィンチとの直接の面識はないものの、ルイーニ父子をはじめ親交のあった画家たちを通じて、間接的に彼の手法を学び、自分のものとしていった。それは、後に彼の代名詞となる「寄せ絵」の重要なパーツをなしていく。
2. 二つの連作「四季」と「四大元素」
1562年、アルチンボルドは、神聖ローマ皇帝フェルディナント1世の招きに応じて、ウィーンに赴く。以来25年間、3人の皇帝に宮廷画家として仕え、肖像画の制作や祝祭の企画・演出など多彩な仕事にたずさわる。
このウィーン時代の初期に、アルチンボルドは4枚ひと組からなる2つの連作を手がける。「四季」と「四大元素」である。これらは1569年の正月、皇帝マクシミリアン2世(フェルディナント1世の子)に献上された。
今やアルチンボルドの代名詞的存在ともなっているこれらの作品は、季節や世界を構成する概念の擬人像というだけではない。2つの連作はそれぞれが連作として完結するのではなく、《火》と《夏》、《水》と《冬》がそれぞれ対となって向き合うなど、相互に関連し合うように構想されている。そこには、「皇帝ならびにハプスブルク家の権威への礼賛」の意味が込められているのである。
8枚の作品には、皇帝やハプスブルク家を連想させるモチーフが散りばめられている。たとえば、《冬》が纏う藁のマントには、皇帝マクシミリアンの頭文字Mと王冠の模様とが織り込まれている。そして《大気》のワシと孔雀、《大地》のライオンと羊とはいずれもハプスブルク家に関連の深い生物である。そしてこれらの作品制作に大きな影響を与えたのが「驚異の部屋」の存在だった。
当時の王侯貴族の間では、優れた芸術品や様々な珍しい自然物(動物や植物から、人間までをも含む!)の収集が流行していた。彼らにとって、このような収集は、世界を手中に収めるのと同義だった。
自然科学に強い関心を寄せていたマクシミリアン2世や、その息子でも例外ではなかった。宮廷内に動物園や植物園を設けたほか、「驚異の部屋」と呼ばれるコレクションルームをも構えており、アルチンボルドはそこへの自由な出入りを認められていた。そこでの学びの成果は、2つの連作の中にも、大きく反映された。《夏》に、新大陸から入ってきたナスなどの珍しい植物が描き込まれているのもそのひとつである。
また、寄せ絵を構成する花や生物の種類の豊富さも、作品の特徴として挙げられよう。《春》には80種類もの植物が確認できるし、《水》の水生生物のように時に縮尺を無視して、パーツとしてはめ込まれている物もある。これは、なるべく多くの種類の物を描くことで、「万物を支配し、理解する」という皇帝の理念を表すためだった。そして、様々なモチーフが寄り集まり、調和して、ひとつのかたちを成す様は、多民族からなる神聖ローマ帝国に、マクシミリアン2世ないしハプスブルク家の統治によって「調和」がもたらされている事を象徴してもいる。
これらの事を総合し、8枚の作品を揃えて見ると、次のような意味が浮かび上がる。
「皇帝(ハプスブルク家)は世界を支配し、調和をもたらす。その繁栄は季節が巡るのと同じように恒久に続いていく」。
マクシミリアン2世は、この作品を大いに気に入った。自分の寝室に飾らせたほか、贈呈品として利用すべく、アルチンボルドに繰り返しコピーを描かせたのである。結果、「四季」は現在残っているだけでも4つのバージョンがある。
3. 静物画の先駆
1587年、アルチンボルドは職を辞して故郷ミラノへと帰還する。伝記を書かせるなど、後世への評価に気を配りながら、作品の制作も継続。皇帝との良好な関係も続いており、《ウェルトゥムヌスとしての皇帝ルドルフ2世》などの作品を送ったりもしている。
そして、同じくミラノの晩年期に描かれたと考えられる作品が、この《庭師/野菜》である。描かれているのは、黒いヘルメットをかぶった、ふくよかな顔立ちの男性像。目も太い鼻も、そして髪やヒゲも全て大根やニンジンなどの野菜で構成されている。しかし、同じく野菜で構成された《夏》と比べると、一つひとつのパーツは大きくどっしりと描かれているのが印象的である。そして、この人物像を上下反転させると、絵は、男の姿は野菜の詰め込まれた黒いボウルに変わってしまう。
もともと、アルチンボルドの特徴の一つとして、人物像を構成する個々のモチーフの精緻な描写が挙げられる。この特徴によって、彼の作品は人物画でありながら、同時に静物画でもある。《庭師/野菜》は、後者の特性が強く現れている作品であり、17世紀の西洋美術に台頭していく新ジャンル「静物画」を予告しているとも言える。
「その絵が皇帝に呼び覚ました愉悦や帝室宮廷内に惹き起こした嘲りのほどは語るまでもない」−アルチンボルドの作品《法律家》について、同時代人は、このように書いている。正確な知識と、確かな技術、そして遊び心。アルチンボルドの作品はこの3つの要素に支えられている。そして、その底流にあるのは、「見る人を楽しませる」という目的である。
今回の展覧会には、日本では初出品となる物も含め、アルチンボルドの油彩・素描(帰属作品を含む)計30点を中心に構成されているが、それだけではない。これまではあまり知られていなかったであろう、宮廷画家としての他の仕事や、原点ともなったレオナルド・ダ・ヴィンチの素描など多様な切り口から、彼の描いた世界に迫っている。是非、「奇想の画家」アルチンボルドの様々な面に目を向けて欲しい。