Fire, Walked Against Us 火は我らに背いて
それは、アレクサの強風注意報から始まった。息子と一緒に聞いて、先のことだと笑ってやり過ごした。この時期にたびたびあるサンタ・アナ風のことだ。数日後、海側に住む上司が連絡を寄越した。翌日、強風に備えて予防停電になる。職場にも行かれないし、連絡もできかねるかも、と。何事もないことを願ってる、そう返した。他人事だった。
火曜日の朝、強風で目覚めた。窓ガラスが1枚、割れたのだ。在宅勤務を決めたが、風は相変わらず強く、日暮れどき、ほうぼうで停電のニュースが入ってきた。そうこうするうちに、子供たちの親のグループチャットにメッセージが入った。「イートンキャニオンが火事みたい」。近所のハイキングスポットだ。少しして、翌日の学区全休校の知らせが届き、コメディライターのお父さんが応えた。「みんな、明日うちで子供を預かるぞ! 家があればだけどな!」。みなにとっても、まだ他人事だった。
一家族から避難の報告がきて、流れが変わった。それぞれ避難バッグの用意を始め、仮眠をとった。夜半過ぎ、メッセージがきていた。心配して付近を運転して回ったお父さんからだ。息子たちが通った小学校と付近の家が炎に包まれていたという。
ただ、それはほんの始まりだった。夜明け前、私たちのブロックにも避難命令が出た。外へ出て、炎が思いのほか近いことを知った。避難準備する時間があったことを幸運に思った。
カリフォルニア州森林防火局の火災地図を確認しながら、数時間を過ごした。たがいの安否を確認し合うなかで、 最初に避難報告をしてくれた一家の家が焼けてしまったことを聞いた。近づくまでもなく、数ブロック先からも見渡せるほど、あたりは焼け野原だったと。
同じ頃、パートナーの電話が鳴った。親しくしているアーティスト一家のひとりだ。息子と娘を含む3家族の家屋が、複数あるスタジオのひとつとともに焼け落ちたという。そんな状態にもかかわらず、炎が我が家のエリアへ向かっているため確認しに行く、と申し出てくれた。
また別の友人に、こうも言われた。家がまだあるなら、戻って戦え、ホースの水で戦うんだ、と。自由の国とは、こういうことかと妙に納得した。その後、息子の現在の学校も焼けたことを知った。
家がすべてというアメリカ人は多い。貯金はしないお国柄だ。古い家を綺麗に直し、売却する。それを繰り返して資金を増やし、リタイア時に小さな住まいへ移る。山火事で焼けても、保険会社は全保証をすることはない。「火事で家が焼けたら、ジ・エンドだよ。まったく信じられないよね」とヨーロッパ人から聞いたのはほんの数週間前だ。なんというタイミングだろう。