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パリに見る文化環境。美術館入場料からデモのパフォーマンス性まで

パリ第8大学(Université Paris VIII)に留学する有吉玲の目線から、「文化環境」を軸にパリの現状を伝える。美術館入場料からデモの実際の様子など、実作者として活動しながら芸術に触れる暮らしのなかで芽吹いた視点が満載の寄稿となっている。

文=有吉玲 構成=望月花妃(ウェブ版「美術手帖」編集部)

8区 凱旋門 撮影=筆者(すべて)

 「フランス留学」という言葉のもつイメージに違和を覚えつつもシャルル・ド・ゴール空港へ到着したのは、今年の始めのことだった。

 誤解を恐れずに書けば、私にとってフランスは、「輸入されたフランス文化」のあまりの蓄積ゆえに、むしろ憧れを感じにくい国だった。日本にいながらもその文化に十分すぎるほど触れることができてしまい、夢想の余地があまりなかったのである。また、過度にブランド化されたイメージは、個々の作品や事例以上の素朴な憧れを口にすることを妨げた。

 しかし、専攻にまつわる必要と関心から同国への留学を志望した私は、そんな不遜をかき消すような生の現実としてのパリに、みるみる惹かれはじめた。東京23区のおよそ6分の1、川越市と同じほどの面積で、札幌市より多く名古屋市より少ないほどの人口を有し、絢爛というよりも人間味という言葉が似つくように思われた都市のことを、深く知りたいと感じた。

 本稿では、パリ第8大学(Université Paris VIII)演劇専攻の学生として留学する立場から見えたパリの現状を、「文化環境」を軸に据えてお伝えする。

文化アクセスの民主化と後進への期待

 たとえば「文化芸術を鑑賞、参加,、創造することができる環境の整備」とは、日本の文化庁による芸術振興基本理念8つのうちのひとつである。では、ここで言われる「環境の整備」とはどのように達成されるだろうか?まずは、鑑賞者を取りまく同国の状況を見てみよう。

 革命によって特権階級のコレクションを公共の場にひきだした歴史をもつフランスでは、文化アクセスの民主化が図られてきた。身近な例としては、各施設の入場料が挙げられる。パリにはさまざまな機会に無料で入場可能な場が多く、たとえば、パリ市立近代美術館、カルナヴァレ美術館、マリ・キュリー博物館など、筆者の確認した限りパリ市のみで20近い美術館が、すべての人に無料で常設展を開放している。

 また、毎月第1日曜日は、2000年から開始されたフランス文化庁の取り組みにより、上記に加えてさらに多くの美術館が無料公開を行うほか、季節限定で同様のキャンペーンを行う施設を含めれば、その数はさらに増える。

3区 カルナヴァレ美術館

 そして、ルーヴル、オルセー、オランジュリーなど多くの美術館や博物館では、すべての18歳以下及びEU在住の26歳以下は常時無料で入館可能だ。この26歳という年齢が若年者割の一般的な基準であるが、入館料の区分には各館ごとに違いがあり、価格設定が細やかである点も特徴的だ。

 たとえば、モードの展示では服飾系の、現代美術の展示では美術系の、そして歴史の展示では史学の学生や教員が対象となるなど、その分野の関係者は居住地域を問わず無料で入場できる機会が多い。ほかにも失業者向けの割引枠など、無料や割引の対象者リストがずらりと並ぶ施設は少なくなく、ギュスターヴ・モロー美術館などはWordファイルで3ページにも及ぶリストを価格案内の欄に付しているほどだ。

 その結果か、ルーヴルやオルセーなど大規模な美術館では、イーゼルまでも持ちこんでいる学生然としたデッサン練習者が多い。有名美術館といえどつねに混雑をきたしているわけではないため、それが咎められることは基本的にない。

 また、パリの中でも有数のハブであるシャトレ駅近くに位置するポンピドゥ・センターも、例にもれず若年者は無料で入館可能だ。しかし、この施設を特徴づけていることのひとつは、図書館の存在である。立地の良さも相まって自習目的で訪れる若者も多く、ふらりと立ち寄って少し絵を見たのち本を読んで帰るような、気軽な訪れかたを可能にしているのだ。

4区 ポンピドゥ・センター

 入館料以外に目を向ければ、26歳以下の若者はパリ市内の交通機関に共通の通学定期券が年間350ユーロで購入可能であるほか、映画からレジャー施設まで多方面に適用可能な共通パスを無料で取得することができる。2021年には、政府から18歳の若者に300ユーロのカルチャーパスが配布されたことも記憶に新しい。これは本や映画、演劇など様々な文化的用途に使えるパスで、同国に1年以上住んでいれば外国籍でも取得が可能だ。筆者が暮らすなかでも、国籍問わず居住の事実のみで受給できる手当てが多い点は、肌に感じるところであった。

 このような取り組みの根には、文化にまつわる様々な法整備がある。アーティスト側を取り巻く法に目を向けてみれば、労働者としてアーティストが受給可能な失業保険制度のほか、たとえば映画業界では、商業収益が各製作を下支えするような、産業全体を自律させる仕組みが設けられている。

 1948年より導入された映画館入場料への特別税は、興行収益を製作者や興行者への助成に充当するものである。また、フランス映画のクレジットに多くのテレビ局が名を連ねている背景には、商業番組で収益を上げる大手放送局に、規定の割合を映画制作へ投資するよう義務づけられているといった仕組みが存在している。

年金改革デモのパフォーマンス性と芸術業界の反応

 パリで印象的であった一場面がある。それは、パリ南部郊外に位置するジャン・ヴィレ劇場で『Abri』を鑑賞していたときのことだ。同作は「われわれの生きる力を守るためにどのような隠れ家をつくるべきか?」という一文からはじまるステートメントをもつ、カーニヴァル調のコンテンポラリーダンスである。

 その日、3月23日は国全体をあげての大規模デモの開催日であり、劇場までの公共交通機関は大幅に遅延していた。色とりどりの衣装をまとったダンサーらが既存の慣習にパワフルなユーモアで対峙してゆくその作品が幕を閉じ、演出家ヴォルミール・コルデイロが「本日はお足元の悪いなか……」と可笑しみを込めて挨拶を終えると、舞台には大きな横断幕が現れた。

 「ABRI」とは、「避難所」「よりどころ」の意である。移民大国であるフランスでは、この「ABRI」を欠いた人々、すなわちホームレスの増加が社会問題となっている。マクロン大統領の進める年金改革は、こうした人々をなお増やすような、さまざまな格差の拡大を推し進める施策であると多方面から批判されるところである。同改革はフランス全土で近年もっとも激しい抗議活動を呼びおこし、たとえば反対人の筆頭であるノーベル経済学者トマ・ピケティは、改革を正義にもとるものであると継続的に批判している。

 この横断幕の文言を直訳すると、「マクロン、おまえの暴力は我々を不安定にする」「『ABRI』はこのgrève/ストライキを支持する」となる。このように、国全体を揺るがす抗議運動のただ中に芸術業界はある。たとえば同日、ルーヴル美術館では職員内での協議の後、政策への反対を表明すべく終日閉鎖が決定した。日本でもよく知られるこの美術館は、1793年に「ミュゼ・ドゥ・ラ・ルピュブリック」として開館して以来、王室のコレクションを一般に公開する国立施設として機能してきた。その歴史はつねに国全体の趨勢を反映しながら構築されており、同国において重要な位置を占めてきたと言える。

 また別の日には、労働組合をはじめとする活動団体が美術館入口を封鎖したほか、抗議の行進や横断幕の吊り下げが館内で行われた。劇場も例外ではなく、ルーヴルより西に進んだシャイヨー宮では、4月はじめの麿赤兒来仏公演『GOLD SHOWER』において公演が一部中止された後、最終日に振替公演がなされた。

 しかし、ここで確認したいのは、臨時休館や公演の中止が基本的に消極的な選択ではないという点である。大規模デモの際には、公共交通機関は事前通達のもと大幅な減便を行うほか集会会場付近の駅は閉鎖されるため、展示や公演を通常通り行うことに困難はある。しかし、上記施設の休業理由はストライキであり、労働者として権利をもつスタッフのデモ参加や施設全体での抗議の表明であった。

 この運動の中で外せない機関として、大学はある。今冬学期には多くの学校が休講となり、各大学の政治的なスタンスによって対応が分かれた。筆者が通う大学の場合、休講の決定はまず第一に、運動に参加する学生の不利益を避けるべくなされた。それゆえに、オンラインであっても授業そのものが一時禁止されたのだが、このような判断は学科ごとの総会により定まる。そこで学生と教授双方同席のもと、翌10日間ほどの方針を定めてゆくという流れだ。もっとも、授業が行われるはずの週であっても当日大学へ行ってみるとインターカレッジの活動団体によって封鎖された結果休講、という事態もさほど珍しくはなく、授業の状況は都度で揺れていた。

 とはいえ、学生の教育機会の尊重は意識されており、代わりの措置として卒業単位には影響しない各科ごと主催のワークショップや講義などが文化祭のような空気のもと催された。法案に対してのディスカッションの場はもちろん、ポストコロニアリズムとシュルレアリスムの関係にまつわる講義から編み物体験まで、内容は多岐にわたった。

パリ大学 活動する学生の様子

 しかしまた、「政治的主張」という意でも、「見せもの」という意でも、デモ自体もひとつのパフォーマンスである。各人・各団体それぞれの趣向が、プラカード、横断幕、ステッカー、コスチューム等で微に入り細に入りいたるところで見られるデモ会場は、さながら発表会のようである。多くの人が手製の風刺パネルを見せあい、撮りあい、互いに褒めあっている様子が散見された。また、練習してきた抗議ダンスや楽器演奏を披露する人々もいる。

 もちろん、公務員の参加者であれば当日の給与分を返上して活動に参加しており、文字通り生活がかかっているのだが、その深刻さと祭りの陽気が共存しているのである。全体として、老若男女入り混じった大規模な音楽隊が、予め主催団体が届け出ているルートを昼下がりに5時間ほどかけて練り歩くようなイメージとも表すことができるだろう。

 筆者も、友人とピクニックに行くような気軽さで誘いあっていたが、カップルや家族連れでの参加なども多い。人々は歌い、踊り、クレープを食べながら、生活のことや格差のことを話している。会場では、横断的な労働組合が提供する堅い基盤のもとで、市井の人々みずからによる、デモのトピックに紐づいた様々な活動が見られた。ここでの観客とは、周囲の建物、SNS、報道から、デモやそこで披露される作品を「観る」人々であり、自分たちの歌うデモ歌を聴く、人々自身でもある。

 筆者の近辺を例にとると、上述の年金改革においても、その内実や関連する別の改革への反対から参加者はフランス人に留まらなかったが、とくに様々な出自からの参加が目立ったのは、国際女性デーに行われたデモであった。会場は性別を問わず友人同士の邂逅の場となり、一日通して参加する場合はそれなりの距離を歩くものの、参加者はみな雨の中で寒がりながらも楽しそうに過ごしていたのが印象的であった。

 以上のようなデモには、全体でグルーヴがありなにともなく陽気で盛り上がりのある感じ、飛び込み参加も途中離脱もしやすく、広い意味で体ひとつさえあれば誰でも参加可能なインクルーシヴな雰囲気があった。外国人である私にとって、こうしたオープンな祝祭性は特別な意味を持った。土地に対して免責された身分だと見なされうるために、私ははじめ、発言や行動を気兼ねした。しかし、以上のようなデモの雰囲気は、ある問題に立ち会ったひとりとして、状況全体への素直な関心の表明を可能にさせてくれたように思う。 

筆者の見た装飾やプラカードの一部

 本稿では、フランスの首都パリに絞り、個々の芸術作品やアーティストを取り巻く環境について触れた。印象的であったのは、これほど一般的に認知されているフランスという国についてさえ、その現状に詳細に触れた日本語の媒体が少なかったことである。年金改革の話題に関しても、その仕組みや内実を説明した報道はほとんど確認できなかった。

 上述のような様子を目にしながら、「デモに行きたいが就職に響くために難しい」と語ってくれた東京の友人の声を思い出していた。また同時に、「デモばかりで何も変わらない」とはパリのコースメイトから聞いた声であった。渡仏後、大学内の落書きやシビラで最も目にする文言は「solidalité 連帯/共生」である。自身が渡仏で感じたことのひとつには日仏の文化的な結びつきの強さがあるが、現代の日本において「solidalité 」はどのような事態を指すだろうかと考えた。ある国の歴史を強くふくみ持つ語彙は適切に理解することが容易ではないし、solidalitéなど容易に排他的なナショナリズムと結びつきうるだろう。

 しかし、文化芸術における環境の整備とは、それを取り巻く社会全体を問うことなしには何をも意味しないだろう。生きる環境をどのように設定してゆくか、いかにして積極的にかたちづくるかを考えるなかで、他国の、とりわけフランスの事例は参照項となるのではないだろうか。

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