近代日本画壇において、美人画の大家として、上村松園と並び称された画家・鏑木清方。その繊細で清らかな女性像は、松園による、磨きあげられた玉のようなそれとはまた異なる魅力を湛え、とくに《築地明石町》は、清方の代表作であると同時に、近代日本美術の傑作の一つとしても名高い。しかし、彼自身は、「美人画家」と見なされることを限定的なものとして嫌い、なんとか抜け出そうともがき続けていた。実際に彼の画業を見渡すと、彼が手掛けたジャンルは美人画だけではなく、風俗画、さらには肖像画まで含まれ、その広さに驚かされる。今回は、東京国立近代美術館で開催中(5月27日より京都国立近代美術館に巡回予定)の「没後50年 鏑木清方展」に寄せ、《築地明石町》を起点に、美人画にとどまらない彼の画業をいま一度見直していきたい。
《築地明石町》三部作に託されたもの
《築地明石町》は、清方49歳の作品である。帝展に出品されると絶賛され、最高賞である帝国美術院賞を受賞した。作品のタイトルにもなっている明石町は、明治時代には外国人居留地となっていた場所で、船が集まる佃の入江にも近かった。清方にとっては、子供時代に遊び場として馴染んだ場所であり、「理想郷」とすら呼んでいたことからも、思い入れの深さがうかがえよう。
絵の主役と言うべきは、前景にスラリと立つ、ほぼ等身大に描かれた黒い羽織姿の女性。髪を夜会巻きに結い上げ、羽織の袖口から覗く手には、大ぶりな金の指輪がはめられている。顔の部分を拡大すると、耳にかかる髪や後れ毛の、絹糸のように細く柔らかな描写に驚かされる。散歩の途中なのだろうか。吹いてきた風の冷たさに、思わず足を止め、寒そうに袖をかき合わせながら、優美な仕草で後ろを振り返っている。
女性の周りにも目を向けてみよう。彼女の存在感と対照的なのが、後景の帆船である。胡粉を掃いた白い背景に、薄墨で描かれたそれは、まるで蜃気楼のようにも思える。が、よくよく見れば船の名前「東一丸」が読み取れる。
女性の右側の、ペンキを塗った柵も、明石町に多かった洋館の存在を暗示している。また、そこに絡み付く朝顔の花は、秋という季節を示すと共に、画面に彩りを添えている。
画面を見ていると、女性を取り巻く、秋の朝のひんやりした空気までもが膚で感じられるかのようにも思えてくる。
その後、1930年、清方は《築地明石町》の姉妹作として、《新富町》《浜町河岸》の二幅を描き、三部作とした。新たな二幅も、それぞれ清方自身にとって馴染み深い場所を舞台とし、題名にもしている。芸者や稽古帰りの町娘、と年齢や身分は異なるが、前景に女性が配されている点も、共通している。自身の記憶に基づき、それぞれのシチュエーションに似つかわしい設定を選んでいったのだろう。