2021年1月11日、原美術館が東京における約40年の活動に幕を降ろした。長年にわたり、日本の現代美術を国内外に発信してきた同館は今後どのような活動を展開していくのか。現在同館館長を務める内田洋子に話を聞いた。
原美術館の歴史
今後を語る前に、まず原美術館の歴史を振り返っておきたい。原美術館は、原俊夫(原美術館を運営するアルカンシエール美術財団理事長)が祖父・原邦造の私邸を美術館として改修し、1979年12月に開館させたプライベートミュージアムだ。開館翌年の80年より若手作家を紹介する企画展「ハラアニュアル」をスタートさせ、以降、数多くの現代美術家たちを積極的に紹介してきた。日本の現代美術界において欠かすことのできない存在であったことは言うまでもない。
しかしながら、この美術館の建築自体はいまから約80年前の1938年に竣工したもの。2003年にはDOCOMOMO(モダン・ムーブメントに関わる建物と環境形成の記録調査および保存のための国際組織)にも認定されるなど、建築としては高い評価を受けるいっぽう、老朽化問題は避けられなかった。そして2021年春、原美術館は群馬・伊香保にある「ハラ ミュージアム アーク」と融合し、「原美術館ARC」として再始動する。
「原美術館らしい」展覧会で幕
原美術館にとって最後の展覧会となったのは、「光―呼吸 時をすくう5人」だ。今井智己、城戸保、佐藤時啓の写真を中心とした作品に加え、同館のコレクションから佐藤雅晴とリー・キットの作品が展示された。
当初、原美術館では最後の展覧会をコレクション展とする予定だったが、新型コロナウイルスの感染拡大でスケジュールは大幅に変更。結果的にこの展覧会が締めくくりとなった。内田は次のように語る。
「美術館が開けないという状況で、当初はコレクション展で最後にしようとしていました。この場でしかない作品、この空間にあわせてつくられたものを、この空間に戻し、ARCへとつなげるかたちで見ていただこうと企画していたのです。それをやめて、この展覧会を最後に移した。コレクション展は過去を振り返るという点で、我々のノスタルジーに浸る展示になったかもしれません。でも、この『光―呼吸 時をすくう5人』が最後となったことで、原美術館らしさを展覧会というかたちで示すことができたと思っています」。
「光―呼吸 時をすくう5人」は、原美術館での最後の展覧会とあって、来館者からは会場の写真を撮りたいという声も多かったという。しかしそれを断ったのは、「記録ではなく記憶に残ってほしいと考えた」から。原美術館のスタンスを最後まで貫き通した。
常設作品の行方
原美術館を特徴づけるものとして、建築と融合するように設置された常設作品の数々がある。屋内には森村泰昌、奈良美智、宮島達男、ジャン=ピエール・レイノー、須田悦弘など。屋外にはイサム・ノグチの彫刻もある。こうした作品は、原美術館閉館後どうなるのか? その答えは「移設」だ。
例えば宮島達男の《時の連鎖》は、89年に原美術館で2つ目の常設作品として誕生した作品。設置場所は原家の元男性用トイレだ。ぐるりと弧を描くような特殊な空間から、宮島は作品のアイデアを生み出した。内田によると、この作品は当初から移設も可能なものとしてつくられたという。「地震の多い日本で、永久に建物に帰属する作品は想定できません。そこで宮島さんは、原美術館であれば同じ設計図に基づくかぎりは再制作できる作品として設計されたのです」。
常設作品を移設するハラ ミュージアム アークには、2008年に「開架式収蔵庫」が新たに増設された。この収蔵庫は、原美術館の閉館をあらかじめ想定してつくられたもので、常設作品の移転先候補となっている。それだけではなく、来館者用のトイレだった場所に展示されていた森村泰昌の《輪舞》については、ハラ ミュージアム アークの男女兼用トイレをひとつ作品化するという計画もあるという。
なお、既に役割を終えた水道管や電線にからむように設置されていた須田悦弘の《此レハ飲水ニ非ズ》については、再現性の問題で移設は難しいと判断された(彫刻作品だけは保管)。いずれにせよ、現在は各作家と美術館が理想的な展示状態について協議が進んでる状況であり、春のお披露目を待ちたい。
理念を引き継ぐ
原美術館の大きな特徴は、ファウンダー=原俊夫がすべての最終決定を行う、という点にある。すべての作品購入、個展からグループ展までの企画展の最終決定は、プレゼンを経て原が最終決定をしてきた。
そんな原が何より重視してきたのは、現代の表現者に個人として向き合い、対等な関係を築くということだと内田は言う。「現代の表現というものをきちんと紹介し、コレクターやアーティストといった個人同士の対等な関係を築きたいという考えが根底にあるのです。そういう考え方を、原美術館ARCでも引き継いでいきます」。
昨日、品川の原美術館を訪ねました。自分が個展をした思い出深い空間に別れを告げようと思ったのだけれど、その空間に漂っていたのは感傷なんかではなくて、長かった役目を終えるのを楽しみにしているかのような安堵感でした。不思議。(個人の感想です!)
— yoshitomo nara, the washing hands man (@michinara3) December 6, 2020
奈良美智のこのTweetに対し、原はこう語ったという。「やっぱり美術館はいいね。アーティストと対等な関係が築けたのがすごくよかった」。
「原俊夫というファウンダーが、何がしたくてこの美術館を開館させ、どういう思いで作家と向き合ってきたか。そういった思いがつながっていくことが大事だと思っています。原の理念に賛同した人間が原美術館のありかたというものを引き継いでいく。この品川の建物ありきではなく、ここではなくても成り立つ。それが『原美術館』なのです」(内田)。
惜しまれつつ閉館した原美術館の理念は、「原美術館ARC」へと引き継がれていく。その未来には、明るい光が見えている。