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バンクシーの“商標権争い”が投げかける諸問題。知財に詳しい弁護士に聞く

バンクシーの代表作のひつとである《花を投げる男(Flower Thrower)》。この商標権について、欧州連合知的財産庁(EUIPO)は無効とする決定を下した。バンクシー本人側が敗れたこの決定は何を意味するのか。バンクシーに詳しい鈴木沓子が、シティライツ法律事務所の水野祐弁護士と、石井・髙畑法律事務所の石井宏之弁護士の両氏に話を聞いた。

文=鈴木沓子

写真1. 《花を投げる男》 バンクシーが2005年、イスラエルの圧制による惨状が続くパレスチナでガソリンスタンドの建物の側面に描き残した直径2メートル以上の壁画。15年たったいまも現存するバンクシーの代表作で、多くの観光客が訪れている 撮影=鈴木沓子

 2014年、バンクシー公認の版権管理会社であるペスト・コントロール・オフィス社は、《花を投げる男》を含む作品18点の商標権を登録していた。しかし昨年、バンクシーの合意なく作品の商品化やライセンス事業を行うフル・カラー・ブラック社がバンクシー側が商標権を取得した後にビジネスを行っていない点等を指摘、商標権に異議を唱えたことを機に、見直しが検討されてきた。今回の欧州連合知的財産庁(EUIPO)の決定によって、バンクシー作品の商標権をめぐる争いは、バンクシー本人側が敗れた恰好だ。

 クリエイターの知財に詳しい水野祐弁護士は、バンクシー側が作品の盗用や許可のない使用の防御対策として商標権を取得したことが本来の商標権の目的とは外れるため、これが無効の理由になったと解説する。

商標権無効の理由、私は疑問に思います(水野祐弁護士)

──バンクシーの商標権はなぜ無効になったのでしょうか。一部では「正体不明があだになった」という報道もあります。

水野祐 「正体不明」という理由で商標権が無効になったというのは、ミスリーディングです。欧州連合知的財産庁の判断を読むと、無効の理由は「bad faith(悪意)」があるから、とされています。EU商標規則(EU Trade Mark Regulation (EUTMR))59条(1)(b)は、出願人が出願時に「bad faith(悪意)」をもって行動した場合には無効となることを規定しています。

 同庁は、バンクシー側が、フル・カラー・ブラック社が商標に異議を唱えるまで、画像を使った商品などを販売していなかったこと、異議申し立てがなされて初めて商標権を維持するためだけのためにオンラインストアやショップを立ち上げたこと(写真2)等から、バンクシー側が本商標を商標的に使用する意図がなかったことと認定しています。また、キャンバスや自分の所有物に落書きをするのではなく、他人の許可なしに他人の所有物に落書きをすることを選択していることや、「Copyright is for losers(著作権は敗者のものである)」というバンクシーの書籍『ウォール&ピース』に書かれた言葉を引用し、バンクシーが知的財産制度を軽視していることにも言及し、彼が商標権で実現しようとしていることは、本来著作権で実現すべきことであるとも判断しています。要は、欧州知的財産庁の判断としては、バンクシーの商標権は、商標権の本来予定されている目的や使用のされ方ではないため無効であると判断した、ということです。

──そもそもビジネス目的でないなら、本件は「商標権ではなく著作権の管轄である」という判断だったのですね。

水野 そうですね。バンクシーには厳しい判断になりましたが、EUIPOの判断の背景には知的財産権の制度全体に対する整理・理解があると思います。今回の判断でも一部言及されていることですが、バンクシーは「著作権は敗者のものである」と主張しつつ、その裏側としては彼がその匿名性ゆえに自らの身元を法的に明確にしづらいことにより彼の作品について著作権を主張しづらいという背景があります。

 それゆえ、バンクシーは文字やロゴではなく、彼のステンシルの絵自体を画像として商標出願・登録しています。著作権であれば保護期間が切れれば権利がなくなるわけですが、商標権はお金を払って更新し続ければ理論上は永遠に登録が可能になります。本来、著作物として著作権で保護すべきものについて、安易に商標権でも保護できる範囲を増やしてしまうと、著作物の公正な利用が害される懸念があると同庁が考えていても、おかしくはないと思います。

──「bad faith(悪意)」とは、具体的にどんなことを指しているのでしょうか。

水野 今回のEUIPOの判断でも書かれているのですが、用語の正確な法的な定義はないため、様々な解釈が可能です。フル・カラー・ブラック社側は、バンクシー側の商標登録の目的が、著作権法などの知財制度を回避することを目的に行われている点を強調したようです。ただ、バンクシーも商標をまったく使用していないわけではありません。また、バンクシーが本来著作権を主張すべき場面を商標権で代替するような使用の仕方をしていることはそのとおりですが、アーティストがグッズ等の模倣品において商標権を防御的に取得しているケースはよくあるため、バンクシーのやり方がそれが本来の商標権の目的・使用方法から少し外れているとはいえ、「bad faith(悪意)」があるとまで言えるのかは、私は疑問に思います。

 また、異議申し立てをしたフル・カラー・ブラック社についても、バンクシーがその匿名性ゆえに著作権を主張できないことを理由に、完全にバンクシー作品にフリーライドして(他者が築き上げた信用と名声に便乗して利益を得ようとする行為)事業を展開している会社であるという点も、いまいち今回の判断の利益衡量において賛同できない理由のひとつです。

──今後の展開はどうなるのでしょうか。

水野 今回の判断はまだ確定していません。おそらく、バンクシー側も不服・取消を求めて争っていくと予想されます。彼が著作権だけでなく、商標権においてもこのようなトラブルに巻き込まれていくことは皮肉なことのように思われますが、著作権と商標権の相違や、アーティストの匿名性についても本質的な問題を孕んでいるとも言えるので、今後も注目していきたいです。

写真2. 2019年10月1日、バンクシーはロンドン郊外クロイドンに「Gross Domestic Product(国内総生産)」という名のショップを2週間の期間限定でオープン。実際に入店はできず、展示作品はその後、オンラインで「富裕層以外の人に限って」販売された 撮影=鈴木沓子

 バンクシーは著作権の権利行使を避けるいっぽうで、第三者による作品の商業利用を防御するために商標登録を申請。そもそも商標権や著作権はどう違うのか、商標権が無効になった後の作品はどうなるのか、石井・髙畑法律事務所の石井宏之弁護士に聞いた。

商標権が無効でもコンプライアンスや道義的責任は残ります(石井宏之弁護士)

──イギリスでは、今回のEUIPOの判断を受けて「バンクシー作品が危機に瀕している」と警鐘を鳴らす弁護士の方もいました。それは《花を投げる男》が実質フリー素材化したという見立てもあるということでしょうか。

石井宏之 それは言い過ぎですね。少なくとも現時点では、ペスト・コントロール社を主体とする本件作品の登録商標が「悪意による出願」であるとして無効とされましたが、フル・カラー・ブラック社が本件作品の商標権を取得したというわけではありませんので、バンクシー側以外の第三者が本件作品の商標権を行使することはできません。今後、バンクシー側が今回のEUIPOの判断を覆す機会は残っていますが、仮に無効が確定し商標権を失ったとしても、バンクシー自身は本件作品の著作権者ですので、例えば第三者が本件作品のミニチュアを作って販売する等のフリーライド的な商業利用が法的に問題ないとはいえません。

 しかしながら、現在の法的枠組みを前提とした場合、バンクシーが匿名を維持したままでは、第三者によるバンクシー作品のフリーライド的な商業利用を排除することが難しいのは事実です。今後、第三者がバンクシー作品のフリーライド的な商業利用をしたとしても、(著作権者であるバンクシー自身が著作法上の権利を行使しない帰結として)差止請求や損害賠償請求等の民事上の請求を受けない可能性が高いので、「バンクシー作品が今後危機に瀕してしまう」という懸念があるのでしょう。ただ、それはバンクシーの著作権を侵害しているという事実には変わりないため、それぞれの企業のコンプライアンスの問題や道義的責任は依然として残ることになります。また、日本では、著作権侵害をした者には、刑事罰が科される可能性がありますし(著作権法119条)、法人等の従業員等が侵害行為を行なった場合には、当該法人等にも罰金刑が科される可能性があります(著作権法124条)。なお、近時の改正により、悪質性の高い著作権侵害行為は非親告罪とされています(著作権法123条2項)。つまり著作権者であるバンクシーが望むかどうかは別にして、刑事上の責任を負う可能性があるといえます。

──多くのアーティストは第三者に著作物を許可なく使用されないように著作権法を使っていますが、バンクシーは著作権の代わりに商標権を登録していました。著作権法と商標法の違いを教えてください。

石井 両者は様々な違いがありますが、以下の2つの違いについて押さえたいと思います。まずひとつ目は「目的」です。そもそも著作権法は究極的には「文化の発展に寄与」することを目的とする法律であり(著作権法1条)、商標法は「産業の発展に寄与」及び「需要者の利益を保護」を目的とする法律です(商標法1条)。つまり、著作権法は「文化」を発展させるため、商標法は「産業」つまりビジネスを促進させるためのものと言えます。そのため、著作権法が保護する対象は、著作物、すなわち小説、映画、音楽、絵画、写真、建築物、地図などの具体的な表現で、いくら独創的であったとしても抽象的なアイデア自体は保護されません。いっぽうで、商標法は、商標、すなわち自己の商品・サービスと他者の商品・サービスとを区別するためのマーク、ブランドを保護します。

 もうひとつは「権利取得の手続き」です。著作権法では、著作者は著作物の創作と同時に著作権・著作者人格権を取得すると考えられているので、権利取得のために出願・登録等の何らかの手続を取る必要はありません(無方式主義、著作権法17条2項)。ただ、仮に誰が著作者であるかに争いがあるケースでは訴訟等において自らが著作者であることを主張・立証する必要があります。いっぽうで、商標法では、権利取得ために登録主義を採用しており、特許庁への出願・登録を必要とします。

──もともとバンクシーは著作権法に異を唱えてきましたが、いずれにしてもバンクシーのように匿名性を担保したままで著作権の権利行使は難しいのですね。

石井 著作権等の私法上の権利を行使するためには、当該権利の存在を主張する個人や法人を特定する必要がありますので、バンクシーも匿名のまま権利者として著作権等私法上の権利を行使することはできません。匿名の個人や法人から著作権を侵害したとして損害賠償請求等をされた場合、裁判所が当該権利の有無を判断することができないからです。

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