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「“私はあなたの『アイヌ』ではない”」:小田原のどかが見た「ウポポイ(民族共生象徴空間)」【2/3ページ】

最大の問題点

 ここまで「国立民族共生公園」「国立アイヌ民族博物館」について述べてきた。「慰霊施設」について最後に書いておきたい。民族共生象徴空間はこれら3つの施設から構成されるが、慰霊施設は公園と博物館のある湖畔から約1200メートル離れた場所に位置している。ふたつのエリアをつなぐための動線はほとんどつくられておらず、慰霊施設への案内看板の類はほとんど目立たない。国立民族共生公園と国立アイヌ民族博物館とともに慰霊施設を訪れようとする者は決して多くないだろう。

​慰霊施設外観。ポロト湖畔から徒歩10分ほど

 民族共生象徴空間に「遺骨等の慰霊及び管理のための施設」がつくられることもまた、2014年の「基本方針」で閣議決定されていた。なぜ慰霊施設は必要とされたのか。これについては、すでにまとまった論が多数、ウェブ上で公開されている。以下、東村岳史の論考「いま、なぜ「アイヌ新法」なのか:「日本型」先住民族政策の行方」から引用する。

非常に問題なのが、過去にアイヌ墓地から収奪され大学や博物館などに保管されてきた遺骨の扱いである。中でも北海道大学には一千体を超える遺骨があり、多くはアイヌの意に反して掘り返され持ち去られたものである。現在これらの遺骨を「民族共生象徴空間」に集約する計画が進んでいる。これらの遺骨の返還を求める訴訟も起こされているものの、返還されたものはごく一部に過ぎず、ほとんどは引取先がないという口実で白老に移動させられようとしている。過去の研究者の収集方法からして、これらの遺骨は謝罪の上で元の場所に返されるべきであるのに、白老に移してさらに研究利用したいという意図が計画に関わっている研究者の発言から透けて見える。さらにいえば、研究のために収集された遺骨以外の人体試料(血液など)の問題はまったく手付かずである。(*8)

 東村の論は、1899年に制定された1997年に廃止された「北海道旧土人保護法」、1997年に制定され2019年に廃止された「アイヌ文化の振興並びにアイヌの伝統等に関する知識の普及及び啓発に関する法律」、そして2019年に制定された「アイヌの人々の誇りが尊重される社会を実現するための施策の推進に関する法律」の問題点について、そして民族共生象徴空間と東京五輪との関係にもふれている。

 いっぽう、民族共生象徴空間ではこの遺骨問題と慰霊施設に関してどのような説明がなされているのか。国立アイヌ民族博物館の「e.4 現在に続く、私たちの歩み」に、「研究者による人骨の収集と返還への道のり」として解説が用意されていた。

19世紀後半から、アイヌ民族の起源をめぐる研究が盛んになり、日本国内外の研究者などによって墓地から人骨がもちさられました。1980年代以降、大学や博物館で保存されている人骨の慰霊が行われ、地域への返還が求められています。現在、その多くが民族共生象徴空間の慰霊施設にて一時的に保管され、慰霊が行われています。

 これに関連して、同展示コーナーの「研究倫理をただす」の解説も引用しておこう(いずれもアイヌ語の表記はない)。

1970年代以降、主に和人が行う研究姿勢への批判が行われるようになりました。19世紀後半から人骨を発掘収集するなど身体に関わる研究を行ってきた自然人類学、アイヌを未開民族視する表現を多用してきた民族学(文化人類学)、さらにアイヌに関する固定的な概念を量産する観光業界への抗議もありました。

 このように、遺骨をめぐる問題は解決していない。遺骨問題の一時的な「避難場所」として、民族共生象徴空間に慰霊施設はつくられたのだ。しかし、そのような背景を説明するものを、筆者は上記「研究者による人骨の収集と返還への道のり」の解説パネル以外に見つけることはできなかった。

 慰霊施設には前庭があり、広場の機能を有している。敷地内には、納骨堂、モニュメント、慰霊行事施設がある。納骨堂は外観のみ公開されており、中に入ることはできない。正面の外壁には各地のアイヌの墓標をイメージした17のレリーフが施されている。また、慰霊行事施設の外観はアイヌの伝統的な住居建築(チセ)を参照しているとされる。

​慰霊施設内の納骨堂
​納骨堂正面のアイヌの墓標をイメージしたレリーフ

 モニュメントはステンレス製で、高さは27メートルだ。柱状で地面に垂直に突き刺さっているが、これは「慰霊施設を象徴し、民族共生の理念を表現する」とされる。モニュメントのモチーフは、アイヌが先祖を供養する儀式などで使う祭具「イクパスイ」だという。本来は30センチメートルほどのものだ。モニュメントの表面には渦模様や魔よけの文様、自然との共生を表現したフクロウが配されている。

 この垂直性を強調したモニュメントは、いわゆる「トーテムポール」を彷彿とさせる。「阿寒湖アイヌコタン」にアイヌに関わりの深いモチーフが彫刻されたポール群が見られるが、このようなポールはアイヌ文化には存在しないともいわれる。筆者はこの巨大な垂直柱を実見して、古代エジプト期にこぞってつくられ、いまでは世界中に普及した「オベリスク」を想起した。このようなモニュメントの形状やデザインについての議論が行われた形跡が見られないことは、とても残念である。なぜなら、民族共生象徴空間というナショナルセンターにおける「慰霊のモニュメント」が、今後の日本における公的な慰霊モニュメントの主要な参考事例となることが明らかであるためだ。

​2メートルほど盛り土がなされ、ステンレス製のモニュメントは高さおよそ27メートル

 筆者はここであえて言いたいのだが、このモニュメントは本当に必要だっただろうか。これが「民族共生の理念を表現する」とはどうしても思えないからだ。このモニュメントのモチーフがアイヌにとって重要な先祖供養のための重要な道具であったとしても、それを30メートル近くにまで拡大することは、アイヌにとってなじみのある風習とは決して言えないだろう。そして、ステンレスという素材の選択からも、ここにどのようなアイヌ文化への尊重があるのかが判然としない。

 最大の疑問点は、このモニュメントの形状が、暗に「集合させる・ひとつにする」ことを強化しているという点にある。垂直に屹立するモニュメントやメモリアルは死者を一元化し、「国家のための尊い犠牲」というようなロジックを強化させるために用いられてきた。しかしすでにふれたように、ここに遺骨を「集約」させることは、とても深刻な問題をはらんでいる。

 そしてまた、アイヌの方言や風習は決して「ひとつ」ではない。納骨堂に刻まれた17の墓標が示していた多様性(と「割り切れなさ」)を、このモニュメントは打ち消してしまう。このようなモニュメントが有する権力の可視化・強化について、設置前に丁寧な議論がなされるべきであったと思う。

 筆者は以前から、日本に国立の戦争博物館をつくるための議論の必要を主張してきた。そのような観点から、この民族共生象徴空間に大きな関心を持ってきた。それは、ここがナショナルセンターとして初めて日本の「加害」を展示化する施設であるからだ。

 本稿で書いたように、民族共生象徴空間にはいくつもの「問題」がある。とはいえ、ここでの展示内容は、これからより多くの人の目にふれ、さまざまな意見を引き出すだろう。ここでいったい何が起こっているのかについて多くの人が感心を持ち、意見を交わすこと。そのような経験を通じて、私たちは自国の負の歴史と向き合うことができるはずだ。

 ウポポイ(民族共生象徴空間)とは、そのような姿勢をもって読み解かれるべき場である。そして、ここが抱える様々な「問題」とは、アイヌの問題ではない。徹頭徹尾、「和人の問題」である。

 2016年に公開されたラウル・ペック監督の長編ドキュメンタリー『私はあなたのニグロではない』(I Am Not Your Negro)は、ジェイムズ・ボールドウィンの未完成原稿『Remember This House』をもとに製作された。ボールドウィンは、メドガー・エバース、マルコム・X、マーティン・ルーサー・キング・ジュニアら公民権運動の指導者たちを回想し、アメリカという国の歴史と黒人差別について考察する。この映画の最後を飾るのはボールドウィン本人のスピーチだ。ここで彼は「すべては国民次第なのだ」と言う。そしてこのように続け、映画は終わる──

白人は自分自身に問わねばならない なぜ「ニガー」が必要だったのか?と 私をニガーだと思う人は ニガーが必要な人だ […] 私はニガーではない 人間だ あなたたち白人がニガーを生み出したのだ 何のために? それを問うことができれば未来はある(*9)

 「それを問えれば未来はある」。逆に言えば、それを問えなければ未来はないのだ。

 ボールドウィンはここで、差別構造を必要としたのは誰かということを「『あなたたち』が自分自身に問うこと」を求めている。「それ」を「問う」ことは「私たち」の問題ではなく、「あなたたち」の問題なのだと彼は言う。

 「ニガー」は蔑称であり、「アイヌ」は「誇りある人間」を意味するから、ここでのボールドウィンの問題提起をそのまま本件に敷衍することはできない。いっけん、そのように思われる。果たしてそうか。それを考えるため、最後に1973年にアイヌの若者たちが刊行した雑紙『アヌタリアイヌ』の編集後記から引用する。

今わたしたちが直面しているのは、人種としての「アイヌ」でもなく、民族としての「アイヌ」でもなく、ただ、状況としての「アイヌ」──人々がわたしたちを「アイヌ」と呼ぶ、その「アイヌ」という意味が、わたしたちの生き方を拘束しているものとなっている状況──である。

 そのような「状況」を強いた「人々」とは、和人である。国立アイヌ民族博物館において、「『私たち』アイヌ民族の視点」を強調する「状況」をつくりだし、それによって加害について語らせないような仕組みを、そこにアイヌという存在を配して「展示」をしているのは、和人である。だからこそ「共生」とは、次のような言葉が発される地点からしか考えることはできないのではないか。「私はあなたの『アイヌ』ではない」と(*10)。

編集部

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