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2020.3.29

オラファー・エリアソンとは何者か? 日常生活の気づきを地球規模で作品化する唯一無二の存在

人間の知覚を問うインスタレーション作品のほか、環境問題についてのリサーチやプロジェクトで知られるオラファーは、いったいどのような人物なのか? オラファーの活動初期から親交を深め、その作品も所有するアートコレクター・宮津大輔がひも解く。

文=宮津大輔

オラファー・エリアソン Photo by Brigitte Lacombe, 2016 (C)2016 Olafur Eliasson
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パブリックアートの枠組みを大きく拡張する

 2019年夏から本年初頭にかけて、ロンドンのテート・モダンでは、オラファー・エリアソンの大規模な個展「In Real Life」(2019~20)が開催されていた。

 オラファーと同美術館との関係は深く、約15年前には彼が世界へと羽ばたく大きなきっかけとなった「ウェザー・プロジェクト(The Weather Project)」展(2003~04)を開催し、大きな話題を呼んでいた。同展で展開されたのは、スイスの建築家デュオであるヘルツォーク&ド・ムーロンによってリノベーションされた、旧・火力発電所の高さ35メートルにも及ぶタービン・ホールに、人工の太陽をつくり出すという巨大インスタレーションである。それは、街路灯に使用される数百基の単一周波数ランプで構成された半円形の光塊が、細かい霧に包まれながら天井の鏡に反射することで、輝く太陽になるという野心的な試みであった。

 天候はオラファーにとって都市のポートレイトであり、コミュニケーションを円滑にするために必要なトリガー≒共通の話題でもある。そして、屋内のTV画面に映し出される天気予報という仮想と、レインコートを濡らす雨粒という現実は、1枚の窓ガラスでしか隔てられていない。それは絵画史においては異世界への扉を意味する「窓」が、オラファーにとっては「内部と外部」そして「視覚と触覚」の境界線を表す重要なモチーフであることを示している。

オラファー・エリアソン Window Project for Daisuke2005 Spotlight, tripod, gobo (C)2005 Olafur EliassonInstallation view at Kasama Nichido Museum of Art  

 このアイディアは、その後「Window Projection」シリーズ(1999~)として作品に結実していくことになる。同展のプロモーションは、綿密なリサーチとマーケティング戦略に基づき、作品イメージの代わりに天候に関する説明や統計データが使用されていた。彼は事前情報のみで展示が消費、陳腐化されることを避け、フィジカルな鑑賞体験とそれがもたらす会話=バズ・コミュニケーションこそを重視していたからだ。こうしたリアリストとしての一面は、後に社会事業とも言うべき大規模プロジェクトを立ち上げ、運営していくうえで遺憾なく発揮されていくのである。

 「In Real Life」は、テート・モダンの新館を展示会場としており、高さ11メートルの《Waterfall 2019》が正面入口で来場者を迎えた。もはや彼の代表作ともなった人工の滝は、これまでニューヨーク市内(2008)やヴェルサイユ宮殿(2016)などで発表されてきた。前者の《The New York City Waterfalls》では、マンハッタンとブルックリンを結ぶブルックリン・ブリッジや、ガバナー島など4箇所に約27~37メートルの滝を設置。多くのニューヨーカーたちに涼をもたらしていた。

 同プロジェクトは作品展示のみならず、地域の歴史・文化財団や環境保護団体と協力し、海洋文化やその歴史、更には環境問題のリサーチや教育機会創出など、従来のパブリック・アートが有する枠組みを大きく拡張したものであった。

故郷・アイスランドから始まった地球規模の活動

 オラファーの故郷であるアイスランドは、年間を通して雪や氷に覆われており、白一色の景色は目測による距離感を奪ってしまうことから、水の流れや滝を目印にしてきた。《The New York City Waterfalls》は、まるで”人種の坩堝”ニューヨークで多様な価値観を認め、適切な距離を測りながら共存していくことの重要性を示唆しているようだ。

 制作中の様子は17年に公開された彼のドキュメンタリー映画『オラファー・エリアソン 視覚と知覚(原題:Space is Process)』(2009)でも紹介されているので、見た方も多いであろう。ちなみに、巨大な滝に使用されていた足場材は、展示終了後にはすべてが実際の建築現場において再利用されたようである。

 人々の体験によりフォーカスした作品といえば、グリーンランドから運んだ氷塊を街中に配した《Ice Watch》(2014~)にも触れておきたい。気候変動枠組条約締約国会議などの開催に合わせ、過去にはテート・モダンやパリのパンテオンで展示されている。道行く人々は、氷塊に触れたり、舐めたり、溶解に伴い閉じ込められていた気泡が解き放たれる破裂音に耳を傾けたりと、思い思いに楽しんでいるようであった。しかしそこには、温室効果ガス排出防止により地球温暖化を止めるというグローバルな課題を、当事者のひとりとして真摯に意識してほしいと願うアーティストの切実なる思いが込められているのである。

オラファー・エリアソンとミニック・ロージング Ice Watch 2018 Supported by Bloomberg Installation: City of London, outside Bloomberg’s European headquarters (c)2018 Olafur Eliasson

 同様に故郷の自然をとらえた写真作品《溶ける氷河のシリーズ 1999/2019》(2019)は、1999年とその20年後に撮影された氷河の写真30点を並べて展示することにより、気候変動が引き起こした急激な環境変化を私達の眼前へと突きつける。地質学的な尺度において、20年はナノ秒(1秒の10億分の1)に相当することを考えてみれば、地球への影響がいかに短時間かつ劇的なものであったのか、まさに一目瞭然であるといえよう。

オラファー・エリアソン 溶ける氷河のシリーズ 1999/2019 2019 
Courtesy of the artist; neugerriemschneider, Berlin; Tanya Bonakdar Gallery, New York / Los Angeles
 (c)2019 Olafur Eliasson Photo by Michael Waldrep / Studio Olafur Eliasson

 オラファーが生まれる前年の1966年、エリアソン一家はアイスランドからデンマークのコペンハーゲンへと移住した。その後、彼は両親の離婚にともない、夏休みはアーティストである父と過ごし、それ以外は母とデンマークで暮らしていた。こうしてふたつの土地を行き来する生活は、後の作品に大きな影響を及ぼしている。前者は手つかずの大自然であり、後者は福祉に厚い北欧型の社会システムである。

 また、デンマーク王立芸術アカデミーで視覚芸術を学びながら、当時熱心に取り組んでいたのが「ブレイク・ダンス」であった(彼の腕前は、先ほど紹介した『オラファー・エリアソン 視覚と知覚』の公式予告編で垣間見ることが可能だ)。彼が友人2人と結成した「The Harlem Gun Crew」は、その後、スカンジナビアのダンス選手権で優勝する。こうした経験は、コンテンポラリー・バレエ『Tree of Codes』の舞台装置(2017)や、《Your Light Movement》《Sunlight Graffiti》(いずれも2012)など、身体性に焦点を当てた作品の重要なソースにもなっている。

オラファー・エリアソン サンライト・グラフィティ 2012 Installation view: Tate Modern, London Photo by Zan Wimberley, 2019
Courtesy of the artist; neugerriemschneider, Berlin; Tanya Bonakdar Gallery, New York / Los Angeles

日々の生活から織りなすアート

 1995年ベルリンに自らのスタジオを構えたオラファーは、アートを日々の生活に取り入れる試みをさらに加速させていく。現在オラファーは、元ビール工場を改装した広大な4階建てのビルを使用し、そこで働く多くのスタッフや外部協力者のために、毎日100食以上の無料ランチが用意される。スタジオ・オラファー・エリアソン・キッチンの指揮を執るのは妹のビクトリア・エリアスドッティルで、そこでは毎日数品からなる、ベジタリアン向けの食事が提供されている。すべての料理には、CSA(地域支援型農業)プログラムに登録された、地元のバイオダイナミック農場(ルドルフ・シュタイナーによって提唱された、有機農法の一種である循環型農業を実践する農場)から、二酸化炭素排出量に細心の注意を払って輸送された農産物が使われている。

 地球環境に優しい有機野菜を地産地消すること、さらには出自や文化的背景を異にする全スタッフが家族のように同じテーブルを囲むことは、もはやスタジオ・オラファー・エリアソンの哲学であり、作品創作の礎にすらなっているといえる。2017年に私がスタジオ訪問した際には、数ヶ月前からビクトリアと連絡を取り合い、海苔とチーズのショート・パスタ、蓮根の照り焼き、そしてグリーン・サラダの献立を一緒に考え調理する機会に恵まれた。オラファーは料理に因んで、海藻類による海中のCO2吸収・固定効果である「ブルーカーボン」に関するパネルを作成し、食事の前に簡単なスピーチを行っていた。

 「In Real Life」展の会期中テート・モダンのテラス・バーでは、同キッチンによる特別メニューの提供や関連イベントも催された。また、彼らのクリエイティブなメニューを紹介したレシピ本『スタジオ・オラファー・エリアソン キッチン』(美術出版社)も発売中である。興味のある向きには、是非一読をおすすめしたい。

『スタジオ・オラファー・エリアソン キッチン』(美術出版社)

 ランチと同様に「共有」や「相互理解」を実践する作品が、「ヨコハマトリエンナーレ2017」で展開された《グリーン・ライト(Green light)―アーティスティック・ワークショップ》(2015~)である。同ワークショップは、強制移住や難民、何らかの理由で排斥された人々が、新しい環境に適応し、日常生活を営む能力や自信をつけるきっかけとすべく、ボランティアとともに「グリーン・ライト」を協同で組み立てるプログラムとなっている。知識や学びの共有、さらには相互に支え合うことを実践的に体験することにより、「we-ness」(私たち感)を醸成し、社会的包摂(社会的弱者を排除や摩擦、孤立から援護し、地域社会の一員として受け入れ支え合うという考え方)を目指している。

 もちろん、様々な理由でワークショップに参加できない場合でも、ライトを購入することでプロジェクトに貢献することも可能である。ウィーンやヴェネチアでは1基250ユーロ、横浜では3万円で販売しており、売上はすべて難民支援に寄付される。グリーンに輝く照明は、実際にオフィスやリビングで使用されることによって、空間を美しく彩るばかりでなく、歓迎や希望、自由といった作品が有するメッセージを発信し続けることになる。

 また、オラファーがエンジニアと共同で開発し、ビジネス・パーソンとともに販売・組織運営する《リトル・サン》プロジェクト(2012~)も、「we-ness」の思想を色濃く反映している。世界の7人に1人が満足に電力利用できていない状況を憂いた彼は、取り扱いが簡易で持続可能な太陽発電式LEDライト《リトル・サン》を考案。豊富な地下資源を先進国に供給しながらも、自らはその恩恵に浴することのないアフリカ諸国などに配布・供給している。

エチオピアでの《リトル・サン》プロジェクト (c)Michael Tsegaye

生きることは表現すること

 1998年の第11回シドニー・ビエンナーレで、小さな滝の作品について照れくさそうに説明してくれた若き日のオラファー。それ以来、銀座の鮨屋で後の伴侶となる美術史家マリアンヌ・クローウ・ジェンセンを紹介してくれたり、アート・バーゼル香港で反抗期の子供達について悩みを打ち明けられたりと、20年以上にわたり彼と交流してきた。そのなかで強く感じ続けてきたのは、すべての作品が自身の人生、日々の生活に密着しているという点である。

 2007年のサーペンタイン・パビリオンを経て、18年にはスタジオの建築家であるセバスチャン・ベーマンとともに(彼らはふたりの名義で19年に原美術館で開催された「The Nature Rules 自然国家:Dreaming of Earth Project」展にも参加している)、 《Fjordenhus(フィヨルドの家)》を設計・完成させているが、彼が建築に強い関心を持つきっかけとなったのはマリアンヌが書いた記事であったと記憶している。

 また《リトル・サン》プロジェクトが、息子と娘の生まれ故郷であるエチオピアのエネルギー政策(近年は、日本の援助で地熱発電事業に力を入れている)と無関係であるとは考えにくい。ちなみに、オラファー夫妻が設立した慈善団体「121エチオピア」は、ルイ・ヴィトンとの《Eye see you》プロジェクト(2006)を通じたアディスアベバ州営孤児院の改修費提供をはじめ、数々の活動により同国の状況改善を継続的に支援している。彼にとって「生きること」は、すなわち「表現する」ことであり「創造すること」でもあるのだ。

 16年にボブ・ディランがノーベル文学賞を受賞したときから、私はそう遠くない将来、オラファー・エリアソンがアーティストとして初のノーベル平和賞を受賞するのではないかと予想している。そして1日でも早く、その日が来ることを待ち望んでいるのである。