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「ブラックボックス展」とその騒動はなんだったのか? 主催者「なかのひとよ」に聞く

5月6日から6月17日まで東京のギャラリー「ART&SCIENCE GALLERY LAB AXIOM」で開催された「BLACK BOX(#ブラックボックス展)」は3万人以上の来場者が詰めかけ、最終日には国内ギャラリーでは過去類を見ない6時間待ちの行列ができるほどの盛況をみせたが、後に会場内での痴漢被害を訴える女性が現れるなど、展覧会の枠を超えた騒動を引き起こした。そこで同展主催者である「なかのひとよ」に、展覧会で発生した経緯について話を聞いた。

ブラックボックス展で配布された「許可書」

──まず「ブラックボックス展」の概要について確認したいと思います。ギャラリーに来場した人は「同意書」に署名をし、入場すると中には何もなく、ただ真っ暗な空間が広がっている。会場を出ると「許可書」を渡され、同展の展示内容に関する事実の口外を禁止するいっぽう、絶賛または酷評する感想の投稿・公言が許され、そこに嘘の情報を含むことも良しとする。これでよろしいですか?

 概ねその通りです。けれど会場内が真っ暗な空間であったことは、終了した今だからわかっていることです。事前告知では場所・日時以外の情報を開示しなかったため、会期中に訪れた来場者の多くは、オンラインや口コミで賛否の感想、または嘘の情報と出会い、想像を膨らませながら会場に足を運び、たどり着いた先でようやく真実となる真っ暗な空間を体験することになります。この瞬間に対峙する主客未分の純粋経験は、おそらく実際に訪れた方にしかわかりえぬものだったと思います。

──そもそもこの展覧会にはどういうコンセプトがあったのでしょうか?

 本展に限らず、私の活動目的は Anonism(アノニズム)、すなわち個人が自らの匿名的言動に意識を向けて生活することへの誘導です。その理由として「The World is You」、世界はあなた自身だからというメッセージを復唱してきました。すべてはプトレマイオスの天動説、コペルニクスの地動説に続く「私動説」とでもいうべきパラダイムシフトに備えた対策、ミクロからマクロにいたる全が個と連動してしまうその日のためのメタフォリカルな暗示のようなものです。

──この展覧会が始まったきっかけと、開催までの経緯を教えてください。

 アルス・エレクロトニカ賞(*1)での受賞をきっかけにギャラリーからお声かけいただき、私が企画を提案し、合意というかたちで開催に至りました。

 案には会場がアート&サイエンス専門のギャラリーであることから、あえてその対極のものを持ちこむよう心がけました。例えば人工的でない自然なもの、最先端でないプリミティブなもの、物質でない非物質なもの、数値化できない高次元なもの等。結果、キーワードに挙がったのが「暗黒物質」です。

 私たちはスマートフォンを使い、なんでも「わかった」つもりになってしまう錯覚の時代を生きていますが、本当にわかっている物質は広大な宇宙のうちわずか数パーセントといわれています。残りのほとんどは、暗黒物質や暗黒エネルギーのように「わからない」。その「わからない」を再認識させるにあたり、秘密や不確かさを維持する必要性が生じました。事前告知の非公開化、真っ暗な空間や口外禁止の「同意書」の着想はここから生まれ、最終的にシェアや拡散で賑わう時代とは逆行した展覧会となりました。

──「許可書」に嘘の要素を取り入れたことの理由についてもお聞かせください。

 現在、ヴェネチアで個展を開催中のダミアン・ハーストによる作品も「難破船から引き上げられた像」など嘘をテーマとしていますが、本展に賛否の感想とあわせて嘘をうながす「許可書」を用意した理由も、現代における「真実に対する価値基準」の変化を可視化させること、そして来場者の現存在の在り方を、外的情報受信型の「非本来性」から内的精神探求型の「本来性」に移行させることにあります。

 表層の濁流が生む乱反射やノイズに気を取られず、自己やものごとの深部にある闇に目を向け、沈黙に耳を澄ますということ、それはファクトとフェイクの境界線が失われたポスト・トゥルース時代を生きる私たちに共通して求められる力であり、国際的な課題です。

 特に離散した情報が繚乱と舞う Twitter のタイムラインにおいて、インプレッションにより強く影響をもたらすのは「理性的正論」ではなく「感情的共感」といわれています。つまり誰もが「何が正しいか」ではなく、それぞれの色眼鏡越しに「何を信じたいか」の基準で世界を見つめ、リツイートや意見を行ってしまう。そんな真偽から信疑のものさしに移行した現代の虚しさを露呈させるつもりが、思わぬ形の騒動を引き起こしてしまい、多くの方にご迷惑をおかけしてしまいました。

──「ブラックボックス展」は会期途中から「ネクストレベル」(5月19日〜)、「アルテマレベル」(6月13日〜)と名前を変えています。また、6月13日からは「本展覧会に適した精神・態度基準に達する者でなければ入場することができません」として「バウンサー」と呼ばれる門番が設置され、料金の徴収も行われました。なぜこのような構造に変わっていったのでしょうか?

 「サザエBOT」を含む私のこれまでの活動も、完成系を提示するというより、未完のプロトタイピングから始まり、参加者とともにアップグレードを繰り返していくというモデルのものがほとんどでした。本展においても例に漏れず、反響に応じて改良を繰り返し、その都度要素を追加したり、変化させていくという手法を選びました。

 バウンサーと有料化については、会期後半に来場者数が急増したため、いずれもハードルを上げるために行った施策です。長蛇の列にともなう苦情が寄せられたことをきっかけに、近隣の店舗に迷惑がかからないようにすることを第一の目的に実施いたしました。

──SNSでは「バウンサー」(門番)が女性を意図的に多く選別していて入場させたのではないか。つまり、女性が被害に遭いやすい状況をギャラリーがつくったのではという疑問も出ています。

 拡散されている動画もまた断片が切り取られているため、いろいろな憶測を呼んでいますが、男女という基準での選別は行っておりません。実際に来場された方にはそれがわかると思います。しかし終了日の数日前に集団の来場者が会場内で著しく騒ぎ、床や壁を破損させてしまうという報告があげられたため、それ以降は個人での来場者を優先的に入場させるよう基準の変更を行いました。

──この展覧会では、入場した女性から痴漢被害を訴える声が出ています。これについて、まず率直なお気持ちをお聞かせください。

 大変悲しく思っております。真相については現在も究明中ですが、今後も声に向き合い、協力の姿勢で対応を進めてまいりたいと思います。またこれを発端に起こった騒動で多くの方にご迷惑をおかけしたことについても、猛省しております。

──会期中、Twitterにも数件の痴漢被害が寄せられていました。それでも展示を継続した理由について、お聞かせください。

 「同意書」で事実の口外を禁じ、また「許可書」で嘘の投稿を許していたことから、会期中のツイートやブログの真偽を見分けることは誰もが困難でした。仮にもし深刻な被害に遭われた方がいた場合、嘘という前提ルールの敷かれたネット上ではなく、受付に常駐していた女性スタッフや、ギャラリーのお問い合わせ等に直接報告してくださったのではないか。騒動となったいまやそんな考えも甘いでしょう。自らが設計したルールをコントロールできなかったこと、想像力が欠如していたことを、深く反省しております。

──暗視カメラを設置する等、事前に対策は行っていなかったのでしょうか?

 騒動となった被害を想定できなかったこともあり、暗視カメラについては思い至りませんでした。しかし来場者が暗闇で転倒や怪我をしてしまわぬよう、事前にスタッフに何度もシュミレーションを行ってもらい、会場内の段差をなくす、壁の角に気泡緩衝材を取り付ける等の取り組みは行ってもらいました。また会期中、出入り口には常時スタッフを配置し、会場内の巡回、定期的にカーテンの開け閉めをして光を差し込んでもらい、大きな物音や声が上がった際にはすぐにカーテンを開けて駆けつけ、場合によっては全員退場してもらう等の処置をとってもらいました。

 それでも万一に備え、同意書にはあらかじめ「会場内において発生した一切の事故や怪我・病気などの責任を負いかねますことをあらかじめご了承ください。上記内容に同意し、署名を行った方のみご入場可能となります」と掲載し、口頭でも入場前に「お気をつけてお入りください」との呼びかけを徹底してもらいました。しかし結果として、今回のような騒動が起こってしまった。すべては私の配慮の足りなさゆえの結果です。

──民事訴訟の動きについても報道されましたが、これについてどう思われますか?

 現時点で私のもとにそのような通達は届いていませんが、いずれにせよ敏感に扱われなくてはならない問題のため、公での発言は極力控えさせていただきたく思います。しかし今後も声をあげてくださった方の思いに寄り添い、対応については個別で丁寧に進めていきたいと考えております。

──ブラックボックス展について「アート無罪」として取り上げる批判について、どのようにお考えでしょう?

 この活動がアートと呼ばれるものかどうかについて、私自身あまり意識しておりませんが、仮にもしそうだとしても、迷惑行為が「アートだから許される」とは思いません。また公式にも表明している通り、本展についても迷惑行為が行われることを意図したものではございませんでした。

 いっぽうで、現場に足を運ばず、当事者に事実を確認もせず、真偽の入り混じったネットの情報だけをもとに、企画意図さえ歪曲させて批評することへの危険性は感じてやみません。PV至上主義や日本のウェブ媒体特有のエクリチュールが孕ませる問題以前の深刻さを感じますし、本展で露呈させたかった「何が正しいか」ではなく「何を信じたいか」で行われる言論の象徴のようにも感じます。もちろん誰もが思いを発信できるところがネットの良い部分でもありますが、それがいちネットユーザーでなく、美術教育者の立場によって行われるものであれば話は別ではないでしょうか。

 感情が支配するTwitterでの議論は不毛なものがほとんどですが、誤解を生んでしまった元凶は私にありますので、今後はできる限り対話の姿勢を示し続けられればと思っております。

──その他にも、現在もウェブ上には様々な報道が飛び交っています。これについて、何か意見はありますか?

 ツイートから個人ブログ、メジャーなウェブ媒体にいたるまで、一部真実とはかけ離れた情報が紛れていることは事実で、それは本展開催中に自らがつくり上げた「真偽の入り乱れる状況」と変わることなく続いております。唯一インタビューに応じたメディアでも誤解を招きかねない切り取られ方をしており、訂正を希望しましたが現在も返答をいただけず、大変残念に思っております。

 本展において許可した感想を「絶賛」のみにせず「酷評」を取り入れた理由は、ネット上でポジティブよりネガティブの方がより広がりの勢いが凄まじいことを浮き彫りにすることを目的としていましたが、皮肉にもそれは現在も思わぬ形で拡大し続け、メジャーなウェブ媒体でさえその本質を利用した記事構成を行っていることに、ただただ悲観しております。

──騒動に至ってしまった一番の要因はなんだとお考えですか?

  Mediumにも掲載した通り、すべては私の配慮の足りなさにございます。私は過去にも、半匿名状態での参加型プロジェクトをいくつか行ってまいりました。しかしそこには、個人名や身分から解放された状態であるからこその危険が紛れこんだ実例があり、その都度、エチケット・マナー・モラル・ルールを参加者がボトムアップでつくり上げていけるよう設計を見直してきました。けれど本展において、その設計・対応が不十分であり、自らが用意したルールと影響をコントロールしきれなかったがため、このような騒動に発展してしまった。これについても、今後の活動の重要な課題として扱い、模索しながらはっきりと提示してまいりたいと思います。

──現在開催中の音楽とアートの国際フェスティバル「インフラ INFRA」への出演を含め、今後の活動についてはいかがお考えでしょうか?

 私の活動拠点であるベルリンとも深く関わりのある「インフラ INFRA」は、現代の日本において特に重要なフェスティバルだと思います。騒動後、一度不参加も検討しましたが、取り扱うテーマが「現代社会におけるインフラストラクチャー(基盤、基礎)の調査、インターネットの出現から劇的に変化しているアーティストや音楽家、パフォーマーの作品を位置付け、ナビゲートする環境の創造」であることから、今回不覚にも達成しえなかったエチケット・マナー・モラル・ルールのボトムアップを再考案するため、自らの意思で参加を選択しました。発表作品は Google Docs と管理者権限を使った「#ホワイトペーパー」です。

 その後も今年はベルリンやプラハでの発表が続きます。今回の騒動と反省を踏まえ、よりものごとの表層ではなく深部に目を向けながら、ひたむきに前進していきたいと思っております。

脚注

*1──オーストリアのリンツで開催される芸術・先端技術・文化の祭典で、メディアアートに関する世界的なイベント「アルス・エレクトロニカ」がメディアアートに革新をもたらした者に贈る賞。

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