──トゥオンブリーの写真に焦点を当てた展覧会は日本では初めてとなりますが、ひじょうにめずらしい切り口ですね。本展の企画の狙いを教えてください。
トゥオンブリーといえば、みなさんが最初に思い浮かべるのは絵画ですよね。でも実は、トゥオンブリーは写真や彫刻も手掛けています。日本ではこれまで紹介される機会が少なかったので馴染みは薄いかもしれませんが、海外では発表されてきました。
トゥオンブリーにかぎらず、複数のメディアをまたいで制作している作家は少なくありません。例えばピカソの場合、絵画、彫刻、版画など様々なメディアを手掛けていて、どのメディアでの表現を見てもピカソらしさがあり、作家の思想がわかりやすく伝わってきます。対してトゥオンブリーは、絵画は絵画、彫刻は彫刻として完成度が高く、とても魅力的な作品をつくっているけれど、各メディアのつながりは見えにくく、同じ作家がつくったようには思えないところがあります。
ですがあるとき、トゥオンブリーの写真を個人的に見る機会があって、「絵画も彫刻もそれ以外の作品も、トゥオンブリーという一人の作家がある思想を通して制作したものなんだ」と強く実感できたんです。そこで、彼の創作全体を理解するために、メディア間のつながりを考える手がかりとして、写真にアプローチする企画が面白いのではないかと考えました。
──メディア間のつながりが見えてくるとは、具体的にどのようなことでしょうか?
例えば絵画の場合、「具象的にするのか、あるいは抽象的にするのか」「画材は何を使うのか」など、選択できる方法論やテーマがたくさんありますよね。選択肢がたくさんある分、描き手の個人的な視線や視点がどうしても見えにくくなります。いっぽうで写真は、基本的には現実の物をとらえるメディアです。花なら花、風景なら風景というふうに、万人が共通して理解できる対象がまず先にあるので、それをどう写し込むかというアプローチの部分から撮影者の視点をとらえることができます。絵画に比べて、私的な視点が見えやすいメディアではないでしょうか。
トゥオンブリーの写真を見ると、すべての画像は不鮮明で、輪郭が曖昧ににじんでいます。何を写したものなのか即座にわからない写真がたくさんあります。つまり、写真にとっていちばん重要な「現実のものを明瞭に写す」という特性をあえて使っていないんです。こうしたメディア特有の性質を意識的に放棄するアプローチは写真にかぎりません。絵画、彫刻、ドローイング、版画にも共通していると思います。
トゥオンブリーの絵画制作において重要なのは「線」です。絵画的な要素よりも、「線を引く」というドローイング的な手法を積極的に追求しています。対してドローイングでは、絵具を塗ったり色面を置いたりする絵画的な手法を取り込んでいます。彫刻では木やブロンズといった素材を用いていますが、ここでのいちばんのポイントは、素材の上から絵具をほどこして「塗る」という行為を重視しているところです。彫刻というよりも「塗られた基底材」という感じです。今回の展覧会では版画も展示していますが、実物に接すると、版画の上にトレーシングペーパーやテープを重ねたり、色彩をほどこしたりしているのがよくわかるはずです。「同一のものを複数存在させる」という版画の特性を飛び越えて、ほとんど一点もののオリジナル作品のような仕上がりです。
このように、トゥオンブリーはメディアが持っている特性を取り換え、遊ぶような操作を意識的におこなっています。
──まったく異なるアプローチを取っているように見えるけれど、それぞれのメディアは連関しているんですね。
いまお話したのはテクニック面でのことですが、モチーフ上のつながりやイメージの連鎖もありますよ。絵画のモチーフを写真のモチーフに使ったり、絵画の中のある形を別のメディアでは違う形に置き換えたり。各メディアがいろんなレベルで関係性を築いているので、今回の展覧会のように複数のメディアによる表現をまとめて見ると、トゥオンブリーの思考や意識の流れがわかりやすく伝わってくると思います。
──トゥオンブリーが写真を始めたきっかけは何だったのでしょうか?
トゥオンブリーは少年時代から絵画教室に通ったり近代美術史を学んだりするなど、絵の勉強をしていました。19歳から2年間、ボストン美術学院で学んだ後は、ニューヨークの有名な美術学校アート・スチューデンツ・リーグに入学します。すでにボストンで美術教育の基礎を身に付けていたせいもあり、アート・スチューデンツ・リーグではあまりやる気のない学生だったようですが(笑)。
でも、この美術学校では大きな出会いもありました。戦後アメリカ美術を代表する画家、ロバート・ラウシェンバーグ(1925〜2008)と知り合うのです。ラウシェンバーグに誘われたトゥオンブリーは、1951年の夏と冬に、アメリカのノース・カロライナ州にあるブラック・マウンテン・カレッジという非常に先鋭的な美術学校の短期講習に通います。ブラック・マウンテン・カレッジでは西洋美術史ばかりでなく、アジアの美術や俳句など様々な授業が実施されていたわけですが、そのうちのひとつにピンホールカメラの授業もあって、これが写真を始める最初のきっかけとなりました。
当時は、ラウシェンバーグ、アンディ・ウォーホルをはじめ、写真を作品に取り入れる作家が増えはじめていましたし、絵画も彫刻も分け隔てなくどんどん作品に取り込む時代性がありましたから、トゥオンブリーが写真を手掛けるようになったのはごく自然な成り行きでした。こうして1950年代のトゥオンブリーは、絵画、写真、彫刻、ドローイングを並行して制作するようになります。
──最初はどんなものを撮っていたのですか?
1950年代に撮っていたのは、静物、ベッドのシーツ、旅行先の遺跡、テーブルと椅子のある室内風景など。シーツのシワの質感に寄ったり、壁面の模様を写し込んだり、構図をいろいろと試しています。この頃の作品からは、写真を始めたばかりの美術学生ならではの実験精神が伝わってきますね。物に対する執着が強く、とりわけ触覚的なものに関心があったように見えます。
被写体について付け加えておくと、取り立てて特別な対象を撮っているわけではないんです。彼にとっては身の回りにある風景や日常すべてがインスピレーションの源でした。一貫して、身の回りのものや日常の世界に関心が終始していた印象です。
また、トゥオンブリーは当初、写真を発表用のメディアとして考えていませんでした。1950~80年代にかけて個展はたくさん開いていますが、写真だけは長らく秘蔵していました。本当に自分が興味あるものだけを、あくまで個人的な実験として撮っていたようです。イメージをとらえるメモ帳のような感覚で写真を使っていたのでしょうね。写真を公に発表したのは1990年代に入ってからです。
──トゥオンブリーの写真制作は技法も特殊です。一貫してポラロイドカメラを使用していたそうですが。
写真を発表しはじめた1990年代から、ポラロイドカメラで撮影した写真を、フランスにあるフレッソン工房に持ち込んで厚紙にプリントしてもらうようになるのですが、フレッソン・プリントの特徴は、ニュアンスのある色調とザラザラしたテクスチャーです。つまり、ポラロイド写真ならではのぼんやりした画像をフレッソン・プリントでさらに強調し、イメージをおぼろげにする操作を行ったのです。
これを気に入ったトゥオンブリーは、2007年頃に同じような効果が得られる80年代製造の古い複写機を購入します。そして、過去に撮影したポラロイド写真をこの複写機でサイズを拡大して写し取る、という工程を踏まえるようになりました。そうすると、色彩が紙に浸透する具合とか、部分的な色調の変化なども自分で自由に調整できますから、イメージをおぼろげにする操作が効果的に行えるようになったんですね。
──写真のエディション(限定部数)が6点までに設定されているものが多かった印象ですが、これにはトゥオンブリーのこだわりがあったのでしょうか?
はっきりとしたことはわかりませんが、作家自身で複写機を使って画像を調整して、サインも一点ずつ入れていたので、6点までが限界だったのではないでしょうか。おもしろいことに、トゥオンブリーの写真はエディションによってけっこう個体差があるんです。つまり、イメージの差異がエディション間でも生まれているわけです。
──ぼんやりとした曖昧なイメージはトゥオンブリーの写真全般に共通する最大の特徴ですね。何を撮ったのかわからない写真もたくさんあります。
ズッキーニを撮った写真などは一見してわかりにくいかもしれませんね。私はこの写真を見たとき、オキーフの描く風景画に似ているなと思いました。野菜なんだけど風景的な広がりを感じさせるというか。
一方、《絵のディテール》(2000年)にはトゥオンブリーが所蔵していた古い絵画作品が写り込んでいます。人が絡み合っているような、事物が積み重なっているようなイメージが描かれているのがわかるでしょうか。物が積み重なるイメージという点では、彫刻作品を撮影した《彫刻のディテール》(2000年)と似ていますよね。
──この2点はキャベツの写真とも通ずるところがありますね。だんだん関連が見えてきたような気がしました。
先ほどのズッキーニが風景に見えるように、似ているイメージが別のものに変換されて移行していくんですよね。ほかにも、パンの質感とテーブルのマーブル模様が似ていたりとか。トゥオンブリーの写真を見ていると、似ている形がいくつも出てきて、ある物が別の物へメタモルフォーゼしていくような感じを味わうことができます。今回の展示では、複数の写真間でイメージがひとつながりに見えてくるような、流れを重視しています。
トゥオンブリーの写真は、いわゆる、対象の本質に迫るタイプの写真ではありません。花の瑞々しさ、チーズの匂い立つ感じといった物の特性をとらえるわけではなく、むしろこうした特性を画面から排除しようとしている。そうすることで、観る人によって別のイメージや物語が広がるような写真となっているのではないかと思います。
唯一、展示の最後のほうで紹介している最晩年の写真については、それまでと比べて質が変わってきているかもしれません。2011年に墓地で撮影した写真で、お墓だけでなく献花や空なども撮っています。どこか生々しくて、花のあるべき姿というか、生を感じさせる作品になっていますね。死していくトゥオンブリー自身と咲き誇る花との対比が感じられて、ひじょうに興味深いです。
──展覧会では作家自身による言葉も引用して紹介していますね。「わたしは自分のことを、ロマンティックな象徴主義者だと思っています」と語っていたそうですが、こうした言葉からはトゥオンブリーの新たな面を知ることができます。
トゥオンブリーは1960年代にアメリカで発表した作品が現地で酷評されたせいもあって、自分の作品について語ることを一切やめていたのですが、晩年になるとインタビューも少しずつ受けるようになって、若い頃だったら言わないようなロマンティックな言葉を残すようになりました。「歳をとるとノスタルジックになっていくものです」と本人も語っています。
もともとトゥオンブリーは文学的な資質のある人で、画学生の頃から、画家よりも作家や詩人に影響を受けてきました。また、歴史や古典、叙事詩についての造詣も非常に深かった。1959年にはイタリア人女性と結婚してローマに住むようになりますし、壮大な歴史をもつヨーロッパへの憧れはずっと強かったようです。トゥオンブリーの写真がどことなく郷愁を誘うのは、このようなヨーロッパの古典への美意識が背景にあるせいかもしれませんね。
そういえば彫刻作品も、古めかしい感じを出していて、古代ヨーロッパの遺跡を連想させます。《無題》(1983)はチューリップのかたちが隠れているのですが、地中にずっと埋もれていたチューリップがたったいま掘り起こされたかのようなイメージをまとっています。時間の経過とともに加えられていく澱のようなものが、トゥオンブリーにとっては大切だったのでしょう。
今回出品の《無題》(1989)は、もともと1950年代につくられたオリジナル作品をブロンズ化したものです。オリジナルは木っ端に包帯を巻いたり釘を刺したりしてつくった簡素なものですが、時間を経た神殿のような厳かな雰囲気を持っています。
トゥオンブリーの作品は、観る人が頭の中でいろいろと想像を羽ばたかせることで完成する作品なのではないかと思います。その意味では文学作品に共通するものがあると言えるでしょう。人が物語を読むとき、本の中では映像が展開されているわけではないので、読者の頭の中で情景が想像されるわけですよね。頭の中で起こっていることは視覚的に確定できないですし、サイズも関係ありません。つまり、全部が視覚として「ある」ものよりは、「ない」もののほうが、喚起力があって無限の広がりに通じているんですよね。
美術史の文脈では、トゥオンブリーの作品でよく言及されるのは1960年代の、灰色の地に白い線描で描かれた絵画作品です。でも、若い世代でトゥオンブリーが好きな人に話を聞くと、トゥオンブリーといえば真っ先に思い浮かぶのが、チューリップの写真や1980年代以降の色鮮やかな絵画作品なのだそうです。多くの作家はひとつのスタイルに固定して語られやすいですが、トゥオンブリーはひとつに限定されない、いくつもの物語を持っているところが魅力です。だからこそ幅広い世代や層に支持されるのでしょう。これからは、現代美術の文脈で語られるのとはまた別の物語が、新たな支持層によって紡がれていくのかもしれませんね。展覧会を見た方には、トゥオンブリー作品の持つ広がりを感じてほしいです。