EXHIBITIONS
小寺創太 個展「調教都市」
Token Art Centerでは、アーティスト・小寺創太による個展「調教都市」を開催する。
小寺は1996年生まれ、東京都青梅市出身。2019年に武蔵野美術大学造形学部油絵学科油絵専攻を卒業後、21年に武蔵野美術大学大学院造形研究科美術専攻油絵コースを修了した。
全身白タイツ姿で絵画作品を持ちホワイトキューブの白壁になりきる、展示場所となった公共空間内で不審者を装い徘徊、あるいは事件現場を模した一室で遺体を演じる。小寺はある設定が施された空間の中で極めてシンプルな行為を行うか、ただ「いる」ことによって自身の身体を展示してきた。
身体性を拡張していくようなパフォーマンスとは異なり、反対に展示の主体であるはずの作家(パフォーマー)の身体を空間に霧散させる、あるいは無機物や展示物になりきることで、展覧会や演劇における秩序を攪拌させていく。ただし、それは味気ない制度批判にとどまるのではなく、作家の性や身体イメージに対する関心が濃厚に反映され、作品の構造と複雑に絡み合っている。
近作《凶室》は、ある事件をモチーフにしたインスタレーション、パフォーマンス。犯行現場を模した展示室内には、様々な既製品や小寺以外の2人の作家による死にまつわる映像、音響、マンガ作品、それらと同等に不在の犯人によってブルーシートに包まれた小寺の身体が展示され、演劇の一場面のようにも設えられる。
この《凶室》の展示空間に入る人々は、展覧会としては展示作品を見る鑑賞者であり、かつ犯行現場に侵入した窃視者として舞台上に立ち、またパフォーマーである小寺が遺体あるいは立体作品として展示されることで、同じように身体を所持する鑑賞者もまた展示されているという状況がつくられる。本作は、死や肉体、窃視を主題としながら展覧会や演劇の制度と重ね合わせ、鑑賞者をも取り込んだ展示の新たなスタイルを開示したと言える。
今回の個展「調教都市」で小寺は、排除アートに着目する。排除アートは、街中に存在する真ん中に不自然な間仕切りをつけたベンチや鋭利な突起が多く配置された公共空地など、人間が長時間居座れないよう身体を拒否するようデザインされたオブジェの通称。小寺はそれらを身体を拒絶する台座としてとらえ、それらと新たな関係を結ぶため強引にそれらの上に身体を展示する。本展では、彫刻における台座を基点にした作品制作と発表を行っている吉野俊太郎と共同して制作を行う。
小寺は1996年生まれ、東京都青梅市出身。2019年に武蔵野美術大学造形学部油絵学科油絵専攻を卒業後、21年に武蔵野美術大学大学院造形研究科美術専攻油絵コースを修了した。
全身白タイツ姿で絵画作品を持ちホワイトキューブの白壁になりきる、展示場所となった公共空間内で不審者を装い徘徊、あるいは事件現場を模した一室で遺体を演じる。小寺はある設定が施された空間の中で極めてシンプルな行為を行うか、ただ「いる」ことによって自身の身体を展示してきた。
身体性を拡張していくようなパフォーマンスとは異なり、反対に展示の主体であるはずの作家(パフォーマー)の身体を空間に霧散させる、あるいは無機物や展示物になりきることで、展覧会や演劇における秩序を攪拌させていく。ただし、それは味気ない制度批判にとどまるのではなく、作家の性や身体イメージに対する関心が濃厚に反映され、作品の構造と複雑に絡み合っている。
近作《凶室》は、ある事件をモチーフにしたインスタレーション、パフォーマンス。犯行現場を模した展示室内には、様々な既製品や小寺以外の2人の作家による死にまつわる映像、音響、マンガ作品、それらと同等に不在の犯人によってブルーシートに包まれた小寺の身体が展示され、演劇の一場面のようにも設えられる。
この《凶室》の展示空間に入る人々は、展覧会としては展示作品を見る鑑賞者であり、かつ犯行現場に侵入した窃視者として舞台上に立ち、またパフォーマーである小寺が遺体あるいは立体作品として展示されることで、同じように身体を所持する鑑賞者もまた展示されているという状況がつくられる。本作は、死や肉体、窃視を主題としながら展覧会や演劇の制度と重ね合わせ、鑑賞者をも取り込んだ展示の新たなスタイルを開示したと言える。
今回の個展「調教都市」で小寺は、排除アートに着目する。排除アートは、街中に存在する真ん中に不自然な間仕切りをつけたベンチや鋭利な突起が多く配置された公共空地など、人間が長時間居座れないよう身体を拒否するようデザインされたオブジェの通称。小寺はそれらを身体を拒絶する台座としてとらえ、それらと新たな関係を結ぶため強引にそれらの上に身体を展示する。本展では、彫刻における台座を基点にした作品制作と発表を行っている吉野俊太郎と共同して制作を行う。