EXHIBITIONS
没後50年 鏑木清方展
日本画家・鏑木清方の大規模回顧展「没後50年 鏑木清方展」が東京国立近代美術館で開催される。会期は2022年3月18日~5月8日。
東京・神田の佐久間町に生まれた鏑木清方(本名・健一)。13歳で水野年方に入門し、挿絵画家として身を立てたのち、日本画家を目指して仲間と結成した「烏合会」で研績を積んだ。1909(明治42)年に第3回文展に初入選。浮世絵をベースにした平明な姿かたち、明るい色調をもつ美人画によって画壇での地位を築いた。大正時代半ば頃からは社会との接点をもつ作品世界を模索し、金鈴社のグループ展などで研究を重ねていった。
1923(大正12)年に起こった関東大震災とその後の復興を境に、自身を育んだ明治時代を回顧する主題に新たな画境を開いた鏑木。展覧会の観客に向けた会場芸術に対し、ひとり机上で楽しむような小画面の作品を指す「卓上芸術」を提唱・実践したのもこの頃からだ。戦後は1954(昭和29)年に文化勲章を受章。1972(昭和47)年に93歳で生涯を閉じるまで、「専ら市民の画境に遊ぶ(「自作を語る」1971年『鏑木清方文集ー』より)」小品に、心のふるさとを描き続けた。
上村松園と並び称された美人画家として知られる清方だが、意外にも美人画と言うには収まりの悪い作品が多くあり、市井の人々の生活、人生の機微に真摯に目を向けていたことがうかがえる。本展は、女性の姿かたちや所作、いで立ちだけでは決して成立しない清方作品の個性に着目する。
出品作は日本画のみ、110点超を集めて一堂に展示。なかでも見どころとなる、2019年に44年ぶりに公開された三部作《築地明石町》(1927)《新富町》《浜町河岸》(いずれも1930)は、会期中展示替えなしで紹介する。さらに、清方が毎回力作を出品したグループ展・七絃会展の出品作《鐘供養》(1934)、《雪粉々》(1937)なども公開される。
関東大震災と太平洋戦争を経て、人々の生活も心情も変わっていくなか、あえて不変を貫いた清方の信念と作品は、震災を経験しコロナ禍にあえぐいまの私たちに強く響くことだろう。
なお本展は東京国立近代美術館での開催後、京都国立近代美術館(2022年5月27日〜7月10日)へ巡回予定。東京会場では作品のテーマに区切って年代順に、いっぽう京都会場では全体を通して年代順で構成される。
東京・神田の佐久間町に生まれた鏑木清方(本名・健一)。13歳で水野年方に入門し、挿絵画家として身を立てたのち、日本画家を目指して仲間と結成した「烏合会」で研績を積んだ。1909(明治42)年に第3回文展に初入選。浮世絵をベースにした平明な姿かたち、明るい色調をもつ美人画によって画壇での地位を築いた。大正時代半ば頃からは社会との接点をもつ作品世界を模索し、金鈴社のグループ展などで研究を重ねていった。
1923(大正12)年に起こった関東大震災とその後の復興を境に、自身を育んだ明治時代を回顧する主題に新たな画境を開いた鏑木。展覧会の観客に向けた会場芸術に対し、ひとり机上で楽しむような小画面の作品を指す「卓上芸術」を提唱・実践したのもこの頃からだ。戦後は1954(昭和29)年に文化勲章を受章。1972(昭和47)年に93歳で生涯を閉じるまで、「専ら市民の画境に遊ぶ(「自作を語る」1971年『鏑木清方文集ー』より)」小品に、心のふるさとを描き続けた。
上村松園と並び称された美人画家として知られる清方だが、意外にも美人画と言うには収まりの悪い作品が多くあり、市井の人々の生活、人生の機微に真摯に目を向けていたことがうかがえる。本展は、女性の姿かたちや所作、いで立ちだけでは決して成立しない清方作品の個性に着目する。
出品作は日本画のみ、110点超を集めて一堂に展示。なかでも見どころとなる、2019年に44年ぶりに公開された三部作《築地明石町》(1927)《新富町》《浜町河岸》(いずれも1930)は、会期中展示替えなしで紹介する。さらに、清方が毎回力作を出品したグループ展・七絃会展の出品作《鐘供養》(1934)、《雪粉々》(1937)なども公開される。
関東大震災と太平洋戦争を経て、人々の生活も心情も変わっていくなか、あえて不変を貫いた清方の信念と作品は、震災を経験しコロナ禍にあえぐいまの私たちに強く響くことだろう。
なお本展は東京国立近代美術館での開催後、京都国立近代美術館(2022年5月27日〜7月10日)へ巡回予定。東京会場では作品のテーマに区切って年代順に、いっぽう京都会場では全体を通して年代順で構成される。