EXHIBITIONS
Unknown Image Series no.8 #4
三田村光土里「人生は、忘れたものでつくられている」
インディペンデント・キュレーター、カトウチカの企画による展覧会シリーズ「Unknown Image」の4回目は、三田村光土里の個展「人生は、忘れたものでつくられている」を開催する。
三田村は1964年愛知県生まれ。94年現代写真研究所基礎科修了。「人が足を踏み入れられるドラマ」をテーマに、日常の記憶や追憶のモチーフを、写真や映像、日用品、言語など様々なメディアと組み合わせ、私小説の挿話のような空間作品を国内外で発表している。
コロナ禍のなかで制作の現場に戻った三田村は、完成も評価も求めず、ただ「つくり続けていたい」気持ちが強くなったと言う。本展では、会期中に会場で作品を制作し、スペースを日々変化させていく。また三田村とゲストに中尾拓哉(美術評論家)を迎えたトークを実施し、後日、HIGURE 17-15 casのウェブサイトにて録画を配信予定。三田村は次のステイトメントを出している。
『人生は、忘れたものでつくられている』。
久しぶりに開いたアイデアノートのページに、その走り書きはあった。前後のメモからすると、この2年ほどの間に書いたのだろう。いつ何を思って書きとめたのかは思い出せないが、その一文は、何かの意志を持ったように私を諭して見えた。
思い出は日々その輪郭を失い、記憶は意識から去り続けて、印象だけが心に遺されていく。
1990年代前半、私は古い写真を題材に、こまごまとした生活の痕跡を組み合わせて空間を造形し始めた。私の家族にしか価値のないような、普通の人々の衒(てら)いのない視点が捕らえた写真と対比するように、父と母の立ち姿を意図的に撮り、日常の写真と写真作品の曖昧な価値の境目を空間に提示してみせた。
昨年の始まりはコロナ禍に翻弄される一方、春には母が思いがけなくこの世を去った。秋になって再び制作の現場に戻ったとき、ただ『つくり続けていたい』という気持ちだけが強くなっていた。完成も評価も求めない。足元で自然に草が生えてくるように、その場所に何かを生み出していたかった。
インスタレーションという表現形態は、人に観てもらうことを目的としていて、創作というより、展示に間に合わせるための造作に追われる。しかし、いつの間にか滞在制作に軸足を置き、時間をかけて日々の気づきを空間に積み上げるようになってからは、観せるためにつくるのではなく『つくるために観せる』と言った方がしっくり来る。
つくり上げた空間が目の前から消え去り、記憶から遠ざかっても、つくり続けた『暗黙知』は感覚となって身体に宿っていく。
銀塩が印画紙に定着するように、記憶の輝きの残像が意識にこびりつくように、ここでまた何かをつくり続けてみようと思う。
私は、私の一番近くにいる鑑賞者として、自分が何をつくるのかを目撃していたいのだ。(2021年10月 三田村光土里)
三田村は1964年愛知県生まれ。94年現代写真研究所基礎科修了。「人が足を踏み入れられるドラマ」をテーマに、日常の記憶や追憶のモチーフを、写真や映像、日用品、言語など様々なメディアと組み合わせ、私小説の挿話のような空間作品を国内外で発表している。
コロナ禍のなかで制作の現場に戻った三田村は、完成も評価も求めず、ただ「つくり続けていたい」気持ちが強くなったと言う。本展では、会期中に会場で作品を制作し、スペースを日々変化させていく。また三田村とゲストに中尾拓哉(美術評論家)を迎えたトークを実施し、後日、HIGURE 17-15 casのウェブサイトにて録画を配信予定。三田村は次のステイトメントを出している。
『人生は、忘れたものでつくられている』。
久しぶりに開いたアイデアノートのページに、その走り書きはあった。前後のメモからすると、この2年ほどの間に書いたのだろう。いつ何を思って書きとめたのかは思い出せないが、その一文は、何かの意志を持ったように私を諭して見えた。
思い出は日々その輪郭を失い、記憶は意識から去り続けて、印象だけが心に遺されていく。
1990年代前半、私は古い写真を題材に、こまごまとした生活の痕跡を組み合わせて空間を造形し始めた。私の家族にしか価値のないような、普通の人々の衒(てら)いのない視点が捕らえた写真と対比するように、父と母の立ち姿を意図的に撮り、日常の写真と写真作品の曖昧な価値の境目を空間に提示してみせた。
昨年の始まりはコロナ禍に翻弄される一方、春には母が思いがけなくこの世を去った。秋になって再び制作の現場に戻ったとき、ただ『つくり続けていたい』という気持ちだけが強くなっていた。完成も評価も求めない。足元で自然に草が生えてくるように、その場所に何かを生み出していたかった。
インスタレーションという表現形態は、人に観てもらうことを目的としていて、創作というより、展示に間に合わせるための造作に追われる。しかし、いつの間にか滞在制作に軸足を置き、時間をかけて日々の気づきを空間に積み上げるようになってからは、観せるためにつくるのではなく『つくるために観せる』と言った方がしっくり来る。
つくり上げた空間が目の前から消え去り、記憶から遠ざかっても、つくり続けた『暗黙知』は感覚となって身体に宿っていく。
銀塩が印画紙に定着するように、記憶の輝きの残像が意識にこびりつくように、ここでまた何かをつくり続けてみようと思う。
私は、私の一番近くにいる鑑賞者として、自分が何をつくるのかを目撃していたいのだ。(2021年10月 三田村光土里)