EXHIBITIONS
青野文昭 個展
1968年、宮城県仙台市に生まれた美術家の青野文昭は、90年代より「復元」をテーマに制作。各地で拾った様々な欠片への「なおし」を試みながら、多様な問題を浮かび上がらせようとしている。本展「次から次へと、、、、」では、拾った雑誌の切れ端にある人影などを追ったドローイング、壁面作品を中心に展示する。作家は次の言葉を寄せている。
「『次から次へと、、、、』埋らない欠落―終わらない不安(定)―片付かない世界。そして拡張。
(なおす・代用合体・連結)
欠片=不安(定)。欠片(不安・定)は完全(安・安定)を希求する。
しかし完全・(完全な安定)は半永久的には存在しえない。欠落の補完は常に不完全に終わる。さらなる安定を希求する。
つねに不安(定)であり、つねに安定を求めざるをえない。だからつねに他の何ものかー補完するために―すでに失われたはずの何ものか―あるいは代用物?―を希求している。
それが生きるということなのかもしれない。
何ものからから何ものかへ。終わない不安(定)。埋らない欠落。
そうして人生は続き人類は継続し拡張し、どこに行きつくこともかなわないままに、道となり、分岐し、伸びていく。
欠片を補完する―欠落部を埋める。何ものかで補おうとする時に内在する何らかの方向性。
形作られていく人型の表象から想起される動きとその方向性。
異なる次元の「方向性」を重ね合わせながら、伸ばし結ぼうとして生まれる形、道筋。(青野文昭)」。
「『次から次へと、、、、』埋らない欠落―終わらない不安(定)―片付かない世界。そして拡張。
(なおす・代用合体・連結)
欠片=不安(定)。欠片(不安・定)は完全(安・安定)を希求する。
しかし完全・(完全な安定)は半永久的には存在しえない。欠落の補完は常に不完全に終わる。さらなる安定を希求する。
つねに不安(定)であり、つねに安定を求めざるをえない。だからつねに他の何ものかー補完するために―すでに失われたはずの何ものか―あるいは代用物?―を希求している。
それが生きるということなのかもしれない。
何ものからから何ものかへ。終わない不安(定)。埋らない欠落。
そうして人生は続き人類は継続し拡張し、どこに行きつくこともかなわないままに、道となり、分岐し、伸びていく。
欠片を補完する―欠落部を埋める。何ものかで補おうとする時に内在する何らかの方向性。
形作られていく人型の表象から想起される動きとその方向性。
異なる次元の「方向性」を重ね合わせながら、伸ばし結ぼうとして生まれる形、道筋。(青野文昭)」。