EXHIBITIONS
森村泰昌・三嶋りつ惠「わたしはどこに立っている」
シュウゴアーツは、森村泰昌と三嶋りつ惠の2人展「わたしはどこに立っている」を開催する。世界の美術史、20世紀の歴史的人物などに扮して写真によるセルフ・ポートレイトを制作する森村泰昌と、ヴィネチア・ムラーノ島で吹きガラスによる制作を続ける三嶋りつ惠の共同プロジェクトは、シュウゴアーツ初の試み。
森村は1951年⼤阪市⽣まれ、在住。1985年にゴッホの⾃画像に扮するセルフ・ポートレイト写真を発表して以来、⼀貫して時代や⼈種、性別を超えた様々な「他者」に⾃らが成り代わる「⾃画像的作品」の発表を⾏う。⾃分ではない何かになる試みを続けながら、その根底には⾃分であることの意味を問い続けている。
三嶋は1962年京都⽣まれ。1989年からヴェネチアに移住、2011年より京都にも住まいを構え、⼆拠点を往復する⽣活を送る。ムラーノ島のガラス職⼈とのコラボレーションにより、ヴェネチアン・ガラスの透明度や粘度を活かした、周囲に溶け込みながら光の輪郭を描き出す無⾊のガラス作品を制作する。空気や光を取り込んでその場のエネルギーを表現する作品は公共空間でのアートワークとしても評価が⾼い。
一見して交わるところのない2人のアーティストが本展のキーワードとしたのは、森村が扮した松本竣介の自画像作品だ。《わたしはどこに立っている》と題された本作は、若くして聴力を失いながら画家を志し、戦中の国防美術の流れにも果敢に抗った松本竣介の代表作《立てる像》(1942) が主題となっている。また本展では、森村の自画像の美術史シリーズより、松本竣介に加え、ヤン・ファン・エイク、デューラー、ダヴィンチ、カラヴァッジョ、ゴッホらを取り上げ、三嶋がそれらの人物へ捧げる新作を発表する。
森村は主題となる人物に扮する時、歴史的な通説であるキャラクターになりきるのではなく、自己の解釈や想像力を駆使して新たな自画像をつくり上げる。三嶋もまた、今回はそれらの人物を自らの視点で分析した上でペルソナを想定し、ガラスの贈り物を手がけた。本展は森村、三嶋のコラボレーションであると同時に、過去のアーティストたちとのコラボレーションでもある。
森村は1951年⼤阪市⽣まれ、在住。1985年にゴッホの⾃画像に扮するセルフ・ポートレイト写真を発表して以来、⼀貫して時代や⼈種、性別を超えた様々な「他者」に⾃らが成り代わる「⾃画像的作品」の発表を⾏う。⾃分ではない何かになる試みを続けながら、その根底には⾃分であることの意味を問い続けている。
三嶋は1962年京都⽣まれ。1989年からヴェネチアに移住、2011年より京都にも住まいを構え、⼆拠点を往復する⽣活を送る。ムラーノ島のガラス職⼈とのコラボレーションにより、ヴェネチアン・ガラスの透明度や粘度を活かした、周囲に溶け込みながら光の輪郭を描き出す無⾊のガラス作品を制作する。空気や光を取り込んでその場のエネルギーを表現する作品は公共空間でのアートワークとしても評価が⾼い。
一見して交わるところのない2人のアーティストが本展のキーワードとしたのは、森村が扮した松本竣介の自画像作品だ。《わたしはどこに立っている》と題された本作は、若くして聴力を失いながら画家を志し、戦中の国防美術の流れにも果敢に抗った松本竣介の代表作《立てる像》(1942) が主題となっている。また本展では、森村の自画像の美術史シリーズより、松本竣介に加え、ヤン・ファン・エイク、デューラー、ダヴィンチ、カラヴァッジョ、ゴッホらを取り上げ、三嶋がそれらの人物へ捧げる新作を発表する。
森村は主題となる人物に扮する時、歴史的な通説であるキャラクターになりきるのではなく、自己の解釈や想像力を駆使して新たな自画像をつくり上げる。三嶋もまた、今回はそれらの人物を自らの視点で分析した上でペルソナを想定し、ガラスの贈り物を手がけた。本展は森村、三嶋のコラボレーションであると同時に、過去のアーティストたちとのコラボレーションでもある。