EXHIBITIONS
開館55周年記念特別展
川合玉堂
―山﨑種二が愛した日本画の巨匠―
日本の自然や風物を叙情豊かに描き出した川合玉堂(1873〜1957)。その約70年にわたる画業を振り返る展覧会「川合玉堂 ―山﨑種二が愛した日本画の巨匠―」が山種美術館で開催される。
愛知に生まれ、岐阜で育った川合は、京都で望月玉泉、幸野楳嶺に師事した後、23歳の時に上京。橋本雅邦のもとでさらなる研鑽を積んだ川合は、京都で学んだ円山四条派の基礎のうえに、橋本が実践した狩野派的な様式を取り入れ、伝統的な山水画から近代的な風景画の世界へと画風を展開していった。また、官展で審査員を務め、東京美術学校教授、帝室技芸員に任命されるなど、東京の画壇における中心的な役割を果たし、1940(昭和15)年には文化勲章を受章した。
山種美術館の創立者・山﨑種二(1893〜1983)は、川合と親しく交流し、戦時中にもしばしば奥多摩の邸宅を訪れるほどの間柄だった。その縁から同館の所蔵となった川合の作品は71点を数える。
本展では、初期の代表作《鵜飼》から、古典的な筆法と写実的な風景表現を融合させた昭和初期の《石楠花》、自然とともに生きる人々の姿を穏やかに描き出した、川合の芸術の真骨頂とも言える《春風春水》や《早乙女》、そして戦後の第1回日展に出品された《朝晴》まで、名品の数々とともに画家の足跡をたどる。
さらに、1930(昭和5)年にイタリアの「ローマ日本美術展覧会」で紹介された《松籟涛声(しょうらいとうせい)》を特別に公開。また、支援者であった山﨑種二、師の望月や橋本、弟子の児玉希望ら、川合をめぐる人々にも焦点を当て、それぞれの交流をうかがわせる作品やエピソードを紹介する。
愛知に生まれ、岐阜で育った川合は、京都で望月玉泉、幸野楳嶺に師事した後、23歳の時に上京。橋本雅邦のもとでさらなる研鑽を積んだ川合は、京都で学んだ円山四条派の基礎のうえに、橋本が実践した狩野派的な様式を取り入れ、伝統的な山水画から近代的な風景画の世界へと画風を展開していった。また、官展で審査員を務め、東京美術学校教授、帝室技芸員に任命されるなど、東京の画壇における中心的な役割を果たし、1940(昭和15)年には文化勲章を受章した。
山種美術館の創立者・山﨑種二(1893〜1983)は、川合と親しく交流し、戦時中にもしばしば奥多摩の邸宅を訪れるほどの間柄だった。その縁から同館の所蔵となった川合の作品は71点を数える。
本展では、初期の代表作《鵜飼》から、古典的な筆法と写実的な風景表現を融合させた昭和初期の《石楠花》、自然とともに生きる人々の姿を穏やかに描き出した、川合の芸術の真骨頂とも言える《春風春水》や《早乙女》、そして戦後の第1回日展に出品された《朝晴》まで、名品の数々とともに画家の足跡をたどる。
さらに、1930(昭和5)年にイタリアの「ローマ日本美術展覧会」で紹介された《松籟涛声(しょうらいとうせい)》を特別に公開。また、支援者であった山﨑種二、師の望月や橋本、弟子の児玉希望ら、川合をめぐる人々にも焦点を当て、それぞれの交流をうかがわせる作品やエピソードを紹介する。