EXHIBITIONS

岡田紅陽 富士望景ー武蔵野から

岡田紅陽 井の頭より 1970 武蔵野市蔵

岡田紅陽 井の頭池 1969 武蔵野市蔵

岡田紅陽 吉祥寺駅南口より 1967 武蔵野市蔵

「富士の写真家」として国内外に名高い岡田紅陽(おかだ・こうよう)。その写真は多数の郵便切手に採用されているほか、現行千円札の「逆さ富士」の装画は、岡田の作品《湖畔の春》(1935)がもとになっていることもよく知られている。

 1895年に、現在の新潟県十日町市に生まれた岡田には、書画の才に秀でた父や祖父がおり、芸術が身近な家庭環境で育った。早稲田大学進学後から写真表現に熱心に取り組むと、1916年の正月に山梨県忍野村で体験した富士山に圧倒され、以来、富士山の撮影に生涯を捧げることを決意する。
 
 岡田の活躍は富士山の撮影にとどまらず、各地の国立公園に足を運んで風景美を多数の写真に収めて国内外に紹介したほか、日本観光写真連盟や日本写真協会の設立に携わるなど、写真の普及にも幅広く尽力。また川端龍子や川合玉堂、横山大観、林武、朝倉文夫といった、明治から昭和を彩る芸術家たちと親交を深めた。

 長く居住していた都心部に高層の建物が建ち並び、富士山を眺めるのが困難になったことから、岡田は1961年に武蔵野市へ移住。晩年までの10年あまりを過ごし、自庭には「富士見台」のある別棟をこしらえて、武蔵野から望む富士山を多数撮影した。

 いっぽうで、岡田のスタジオに残された未現像のフィルムには、郊外の夕暮れや井の頭池の朝など、武蔵野での暮らしのなかに流れていた穏やかな時間がそのままに収められているものもあり、富士山に対峙するときとは異なる岡田の目線をうかがい知ることができる。

 富士山を「富士子」と呼ぶほどに愛し、その刻々と移り変わる表情に向き合い、「富士こそわが命の根幹」と語った岡田。本展では、武蔵野市が所蔵する写真47点と関連資料によって、生涯を富士山に捧げた岡田の仕事を振り返る。