EXHIBITIONS

田中信太郎展「風景は垂直にやってくる」

2020.08.08 - 10.18

田中信太郎(1940~2019)

アトリエ

田中信太郎 何故、その庭に翳りはないのか、 1986

田中信太郎 彼岸の陽炎、あるいは子宮の彼方から 1992-93 ©︎ 安斎重男

田中信太郎 〇△□の塔と赤とんぼ 2000 ©︎ 大地の芸術祭実行委員会

田中信太郎 〇△□〝萌〟〝凛〟〝律〟 2001 ©︎ 白鳥美雄

 2019年8月に逝去した美術家・田中信太郎の展覧会が開催。田中の作品を時代の変遷で追い、当時の写真や作家自身の言葉とともに紹介する。

 田中は1940年東京都生まれ。読売アンデパンダン展で注目を集め、60年に赤瀬川原平らによる「ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズ」に参加。68年の個展「点・線・面」でのミニマルな表現は、美術界のみならず、倉俣史朗をはじめとするデザイナー、建築家にも強いインパクトを与えた。その後、第6回パリ青年ビエンナーレ展(1969)、第36回ヴェネチア・ビエンナーレ(1972)への出展など、国際的に活躍。80年より病気療養のためしばらく制作から離れた。

 数年に及ぶ闘病生活を経て、85年に「風景は垂直にやってくる」という新たな表現形式をもって復活。翌年にはコミッションワークとして、ブリヂストン本社ロビーの彫刻《そのとき音楽が聴こえはじめた》を手がけた。2001年に国立国際美術館(大阪)で個展「饒舌と沈黙のカノン」が開催。茨城県日立市のアトリエで精力的に制作を続けた。19年8月23日に逝去。

 本展では、作品・写真・言葉などを通して、若干19歳での鮮烈なデビューから79歳で亡くなるまでの60年間を、田中がどのように考え、制作し、生きたかをたどる。

 会場では、田中の多くの作品を生み出した日立市のアトリエの一部も再現。コミッションワークのためにつくられた多くの模型やドローイングなども展示し、思考と制作のプロセスの一端を紹介する。

 本展には、田中と40年近く親交のあった池田修(BankART1929 代表)が協力。図録には、田中が深い信頼をおいた3人のキュレーター、中井康之(国立国際美術館)、光田由里 (DIC川村記念美術館)、保坂健二朗(東京国立近代美術館)が作家論を、ネオ・ダダ時代をともにした吉野辰海、篠原有司男や、田中と共同展を開催した中原浩大ら、アーティストたちがエッセイを寄稿し、多くの人に愛された作家の魅力を伝える。