EXHIBITIONS

細川忠利と三宅藤兵衛

―肥後にやってきた、光秀の孫たち―

2020.05.16 - 07.05

おいっ子の三宅藤兵衛の世話を焼くガラシャの手紙 ガラシャ消息 桃山時代(16世紀)  三宅家文書 熊本県立美術館所蔵

細川忠利のおしゃれな陣羽織 羅紗陣羽織 淡茶紅裾替わり 江戸時代前期(17世紀)  永青文庫所蔵

 今年のNHK大河ドラマの主人公・明智光秀。織田信長のもとで活躍し、本能寺の変でその信長を討ったことで知られる光秀と、肥後細川家は室町幕府に仕えた同僚の間柄にあり、光秀の娘・ガラシャが細川忠興と結婚したことで、血縁でも結ばれた関係にあった。

 本展では、肥後へやってきた、ふたりの「光秀の孫」に注目する。ひとりは忠興とガラシャの三男として生まれ、寛永9年(1632)に熊本藩主となり肥後へやってきた細川忠利(ほそかわ・ただとし)。もうひとりは、明智家臣の明智左馬助と光秀の娘(ガラシャの姉)の子・三宅藤兵衛(みやけ・とうべえ)。ガラシャの世話もうけながら育った藤兵衛は、唐津藩寺澤家に仕え、天草の富岡城の城代となった人物で、天草・島原一揆にて戦死するも、子孫は生き残り、肥後細川家に仕えた。

 はからずも、肥後の地に活躍の場を得た忠利と藤兵衛。本展では、ふたりの光秀の孫にゆかりの品々を中心に展示し、それぞれの事績を紹介する。