EXHIBITIONS
奈良原一高 追悼展「消滅した時間」
今年1月に逝去した写真家・奈良原一高の追悼展「消滅した時間」が開催される。
奈良原は福岡県出身。46年に写真の撮影を始める傍ら、芸術や文学などにも関心を寄せ、54年に中央大学法学部を卒業後、早稲田大学大学院芸術(美術史)専攻修士課程に入学した。55年には、池田満寿夫や靉嘔ら新鋭画家のグループ「実在者」に参加した池田龍雄や河原温といった芸術家や瀧口修造らとも交流。同じ頃、東松照明や細江英公らとも知り合い、59年には仲間とともにセルフ・エージェンシー「VIVO」を設立(1961年解散)した。その後も、パリ(1962〜65)、ニューヨーク(1970〜74)と拠点を移しながら世界各地を取材し、多数の展覧会を開催。写真集も数多く出版し、国際的にも高い評価を受けている。
56年の「人間の土地」での鮮烈なデビューから、詩情豊かな「パーソナル・ドキュメント」の表現手法で日本写真史の新時代を切り開いた奈良原。「写真は未来から突然にやって来る。僕の場合は、いつもそうだった。」と述べ、晩年にはその作品世界を宇宙との対話へと収斂させた。
本展では、奈良原が、時空を越えた独自の視座を確立する上で重要な契機のひとつとなった、70年代のアメリカ滞在時の作品群「消滅した時間」より約10点を展示する。
奈良原は福岡県出身。46年に写真の撮影を始める傍ら、芸術や文学などにも関心を寄せ、54年に中央大学法学部を卒業後、早稲田大学大学院芸術(美術史)専攻修士課程に入学した。55年には、池田満寿夫や靉嘔ら新鋭画家のグループ「実在者」に参加した池田龍雄や河原温といった芸術家や瀧口修造らとも交流。同じ頃、東松照明や細江英公らとも知り合い、59年には仲間とともにセルフ・エージェンシー「VIVO」を設立(1961年解散)した。その後も、パリ(1962〜65)、ニューヨーク(1970〜74)と拠点を移しながら世界各地を取材し、多数の展覧会を開催。写真集も数多く出版し、国際的にも高い評価を受けている。
56年の「人間の土地」での鮮烈なデビューから、詩情豊かな「パーソナル・ドキュメント」の表現手法で日本写真史の新時代を切り開いた奈良原。「写真は未来から突然にやって来る。僕の場合は、いつもそうだった。」と述べ、晩年にはその作品世界を宇宙との対話へと収斂させた。
本展では、奈良原が、時空を越えた独自の視座を確立する上で重要な契機のひとつとなった、70年代のアメリカ滞在時の作品群「消滅した時間」より約10点を展示する。