EXHIBITIONS
没後80年 青柳喜兵衛とその時代
大正末期〜昭和初期にかけて活躍した早逝の洋画家・青柳喜兵衛(きひょうえ)。帝展をはじめ槐樹社、旺玄社で作品を発表し、その画風は牧野虎雄、吉村芳松ら官展系作家の影響が見られるいっぽう、玉葱や蓮根などの野菜や郷土玩具などをモチーフにした作品には、洗練された青柳の個性が表れている。第1回新文展で無鑑査となるなど、若くして高い評価を受けたが、1938年に34歳の若さで亡くなった。
喜兵衛は洋画のほか、夢野久作の新聞小説『犬神博士』の挿絵も手がけ、また火野葦平、劉寒吉、原田種夫ら九州の文士たちとの交流から生まれた多くの装丁・挿絵は、その画業の大きな一角を占めている。
本展は、青柳の多彩な画業の全容を明らかにする初の展覧会。亡き最愛の息子を描いた代表作《天翔ける神々》(1937)をはじめ、挿絵などを含む作品約200点が展示される。
喜兵衛は洋画のほか、夢野久作の新聞小説『犬神博士』の挿絵も手がけ、また火野葦平、劉寒吉、原田種夫ら九州の文士たちとの交流から生まれた多くの装丁・挿絵は、その画業の大きな一角を占めている。
本展は、青柳の多彩な画業の全容を明らかにする初の展覧会。亡き最愛の息子を描いた代表作《天翔ける神々》(1937)をはじめ、挿絵などを含む作品約200点が展示される。

