EXHIBITIONS
イサム・ノグチ
─彫刻から身体・庭へ─
世界文化を横断しながら生き、彫刻をはじめ舞台美術や家具、照明器具「あかり」のデザイン、また陶芸や庭、ランドスケープ・デザインまで、幅広い制作を行ったイサム・ノグチの、国内では12年ぶりとなる回顧展が開催される。
ノグチは1904年、詩人・野口米次郎とアメリカ人の母親のもとロサンゼルスに生まれ、12年ほど日本で過ごす。18年にインディアナ州の実験校に入学するため単身渡米。27年にパリへ留学し、彫刻家、コンスタンティン・ブランクーシのアシスタントを務めた。
世界10カ国以上の石の遺跡を訪ねる旅を終えて19年振りに来日すると、日本の芸術家たちと交流し、日米欧を行き来しながら制作を行う。52年、北鎌倉の北大路魯山人の敷地内の日本家屋で陶作品の制作に没頭。アトリエを構えていた香川県牟礼町の石工、和泉正敏と出会い、以後制作協力者として、最晩年には札幌市《モエレ沼公園》の基本設計を手がけた。
本展では、ノグチの出発点となる北京で描いた毛筆による身体ドローイング、モダンダンスの開拓者、マーサ・グラハムのための舞台装置、日本で制作された陶作品や光の彫刻「あかり」のデザインを紹介。さらに《チェイス・マンハッタン銀行プラザのための沈床園》(1961-64)など庭園、ランドスケープの模型・資料・動画、そして晩年の石の彫刻まで、多様な作品を通して「異文化の融合」や「生活と環境の一体化」を目指した活動の全容に迫る。
ノグチは1904年、詩人・野口米次郎とアメリカ人の母親のもとロサンゼルスに生まれ、12年ほど日本で過ごす。18年にインディアナ州の実験校に入学するため単身渡米。27年にパリへ留学し、彫刻家、コンスタンティン・ブランクーシのアシスタントを務めた。
世界10カ国以上の石の遺跡を訪ねる旅を終えて19年振りに来日すると、日本の芸術家たちと交流し、日米欧を行き来しながら制作を行う。52年、北鎌倉の北大路魯山人の敷地内の日本家屋で陶作品の制作に没頭。アトリエを構えていた香川県牟礼町の石工、和泉正敏と出会い、以後制作協力者として、最晩年には札幌市《モエレ沼公園》の基本設計を手がけた。
本展では、ノグチの出発点となる北京で描いた毛筆による身体ドローイング、モダンダンスの開拓者、マーサ・グラハムのための舞台装置、日本で制作された陶作品や光の彫刻「あかり」のデザインを紹介。さらに《チェイス・マンハッタン銀行プラザのための沈床園》(1961-64)など庭園、ランドスケープの模型・資料・動画、そして晩年の石の彫刻まで、多様な作品を通して「異文化の融合」や「生活と環境の一体化」を目指した活動の全容に迫る。