EXHIBITIONS

young okazaki vol.2

今西真也、熊谷亜莉沙、坂本和也、大和美緒

2022.08.06 - 09.04

今西真也、moonlight〈Light touches you. You touch the light〉03(部分) 2022

熊谷亜莉沙 You or I  2022 Photo by Hikari Okawara

坂本和也、Respiration、2022

大和美緒 BREATH 13(部分) 2022

 MtK Contemporary Artでは、関西を中心に活動中の若手作家を取り上げるグループ展「young okazaki vol.2」を開催する。

 参加作家は、キャンバスに油絵具を厚く塗り、また削る動作を重ね、見る距離によって異なる表情を見せる作品を手がけている今西真也、自らのバックグラウンドを起点としつつ、矛盾する人間のありようや、愛と憎しみのように表裏一体の感情に目を向け、絵画を描いてきた熊谷亜莉沙、水草の飼育をきっかけとして、生態系と現代の社会環境とに類似性を見出し、植物をモチーフとした作品によって物事の内面を表現しようとする坂本和也、そして、自身が決めたルールのもと、手作業で描くドットや線で作品を構成する大和美緒の4名。

「抽象絵画であれ具象絵画であれ、あらゆる絵画に共通して存在するのは、なんらかの行為を通して画面を埋めるという作業そのものである。その意味で、あらゆる絵画には、個々のスタイルや様式を超えて、まずは『画家が絵を描く』という描写行為が先行しているはずだ。あらゆる絵画には、その絵画を成立させるまでに蓄積された行為の集積が必然的に存在する。

その意味で、描かれたものやイメージは、描く行為と不可分である。にもかかわらず、通常、絵画において、描写行為そのものを描写対象とすることはできない。描かれるのは、絵具の筆触であれ風景であれ、つねに描かれたイメージや対象であって、それを成立させる『行為』ではない。むしろ絵画は、画家の身体運動から切り離されることではじめて、透明なスクリーンとなり、絵画的なイリュージョンを獲得し自律する、とも言えるだろう。

しかし、本展出品作家の今西真也、坂本和也、大和美緒、熊谷亜莉沙の絵画に見られるのは、絵画を身体運動の集積から切り離すことへの抵抗である。そこで絵画面は、画家の生の持続を記録するものとなる。ゆえに、それらの絵画は、描かれたイメージが抽象か具象かという様式の違いを超えて、描写行為という生の結晶として絵画面が組織されることになる。それは、透明なスクリーンとしての絵画のありかたへの抵抗である。

彼女/彼らの絵画が、生の持続や、その反転としての死の概念にしばしば引き寄せられるように見えるのは、生の結晶として絵画面を組織するという、その方法に依っている。そのとき絵画は、細胞の集積に覆われた平面が呼吸と振動を繰り返すような身体性をまとい始める。絵とは身体であり、細胞である。そこから、生の律動が発生する(本展ステイトメント)」。