EXHIBITIONS
東北画は可能か?-生々世々-
Kaikai Kiki Galleryは、展覧会「東北画は可能か?-生々世々-」を開催する。
「東北画は可能か?」は東北芸術工科大学にて、東北における美術を考えるプロジェクト。2009年11月、三瀬夏之介と鴻崎正武によりスタートし、東北芸術工科大学の在学生、卒業生、思いを同じくする作家たちを中心に活動している。これまで山形を拠点に、福島や青森でのフィールドワークを重ね、東北のみならず東京、京都などでも作品を発表。東北の多様な在り方を、全国から集まったメンバーととも議論し制作を行い、展覧会を重ねながら模索している。
本展は、京都市京セラ美術館で開催された椹木野衣による企画・監修の展覧会「平成美術:うたかたと瓦礫(デブリ)1989–2019」において、「東北画は可能か?」の作品を見た村上隆が、三瀬夏之介に声をかけたことから始まった企画だ。村上は三瀬たちが共同制作を行っている山形のアトリエを訪れ、2人の対話がなされた。
自身も学生時代に所属していた日本画科について長年疑問を抱き、「東北画」の命名に至る文脈に共感する部分があったという村上。「東北画は可能か?」の合作をコレクションしたいと三瀬に提案し、学生たちとの作品を東北に残したいという想いを汲み取りながら、東日本大震災にかかわる《方舟計画》および《東北八重山景》の写し、そして新しい共同制作をコミッションワークとして依頼することとなった。
最新の共同制作のテーマは「災害」。「人間の存在を前提とする『災害』という概念を、それが降りかかった個人や集団の対応能力を遥かに超えるような大きな力であると規定し、歴史的に記録されるような大災害から、失恋や肉親との別れといったパーソナルな災害を、洛中洛外図の構造をベースにパッチワーク状に敷き詰めていくという制作の方向性がすぐに決まった」と、三瀬は語る。その過程で、阿蘇中岳の噴火、ウクライナ侵攻が起こり、現実と絵画空間が共鳴し合うように共同制作の作品が生まれた。
本展ではこの新作《生々世々(しょうじょうせぜ)》を披露。タイトルは、仏教において「生まれ変わり死に変わりして限りなく多くの世を経る」の意味を持つ。「《方舟計画》で汚れてしまったこの地を再び住める場所にするために旅立ったやまごんのアフターストーリーとして、現世も来世も永遠に決して忘れない」という強い思いが詰まっている。
「東北画は可能か?」は東北芸術工科大学にて、東北における美術を考えるプロジェクト。2009年11月、三瀬夏之介と鴻崎正武によりスタートし、東北芸術工科大学の在学生、卒業生、思いを同じくする作家たちを中心に活動している。これまで山形を拠点に、福島や青森でのフィールドワークを重ね、東北のみならず東京、京都などでも作品を発表。東北の多様な在り方を、全国から集まったメンバーととも議論し制作を行い、展覧会を重ねながら模索している。
本展は、京都市京セラ美術館で開催された椹木野衣による企画・監修の展覧会「平成美術:うたかたと瓦礫(デブリ)1989–2019」において、「東北画は可能か?」の作品を見た村上隆が、三瀬夏之介に声をかけたことから始まった企画だ。村上は三瀬たちが共同制作を行っている山形のアトリエを訪れ、2人の対話がなされた。
自身も学生時代に所属していた日本画科について長年疑問を抱き、「東北画」の命名に至る文脈に共感する部分があったという村上。「東北画は可能か?」の合作をコレクションしたいと三瀬に提案し、学生たちとの作品を東北に残したいという想いを汲み取りながら、東日本大震災にかかわる《方舟計画》および《東北八重山景》の写し、そして新しい共同制作をコミッションワークとして依頼することとなった。
最新の共同制作のテーマは「災害」。「人間の存在を前提とする『災害』という概念を、それが降りかかった個人や集団の対応能力を遥かに超えるような大きな力であると規定し、歴史的に記録されるような大災害から、失恋や肉親との別れといったパーソナルな災害を、洛中洛外図の構造をベースにパッチワーク状に敷き詰めていくという制作の方向性がすぐに決まった」と、三瀬は語る。その過程で、阿蘇中岳の噴火、ウクライナ侵攻が起こり、現実と絵画空間が共鳴し合うように共同制作の作品が生まれた。
本展ではこの新作《生々世々(しょうじょうせぜ)》を披露。タイトルは、仏教において「生まれ変わり死に変わりして限りなく多くの世を経る」の意味を持つ。「《方舟計画》で汚れてしまったこの地を再び住める場所にするために旅立ったやまごんのアフターストーリーとして、現世も来世も永遠に決して忘れない」という強い思いが詰まっている。