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ジョン・コンスタブル

John Constable

 ジョン・コンスタブルはJ. M. W.ターナーと並ぶイギリスの重要な画家。1776年、イギリス北東のサフォークに生まれ、製粉業を営む裕福な家庭で育つ。家業を継ぐよう父から反対に遭うも、画家を志してロンドンのロイヤル・アカデミーで学ぶ。1802年にロイヤル・アカデミー展に風景画を初出品。各地の名勝を巡ったターナーに対して、コンスタブルは生涯イギリスから出ることなく、自身が慣れ親しんだサフォークの田園や農村の営み、穀物を運んでいく運河などの風景を描いた。その画業が認められるのは後年になってからのこと。当時の画壇で絵画とされていたのは、肖像画や、神話・歴史・文学を主題としたものであり、風景画は評価に値しなかった。批判されるなか、コンスタブルはこれらの歴史的絵画と同等の大画面で風景画を発表することで、人と自然の関わりから生じる精神性を重んじ、また気象学や地質学などの知識に基づく観察を通して、ありのままの自然を描くことの価値を高めようとした。

 21年に代表作《干し草車》をロイヤル・アカデミー展に出品。夏のサフォークを描いた作品で、画面手前にいる1匹の犬の視線をたどって、浅瀬の川を渡ろうとしている干し草の荷車へ、鑑賞者の目線を導く構図となっている。画面左の小屋は、現在も実在するウィリー・ロットの家。右側にいる男の服には緑とその補色の赤が使われ、鮮やかさの効果をもたらしている。すばやい筆致から本作は未完成であると見なされイギリスでは評価されなかったものの、フランスではウジェーヌ・ドラクロワら画家をはじめとして好ましく迎えられた。大作の制作にあたっては、現地での戸外のスケッチからいくつかの習作を経てロンドンのアトリエで完成させ、のちにサフォークにもアトリエを構えて戸外での大作制作も試みている。故郷のほかに主な拠点としたのは、ロンドンと郊外のハムステッド、妻の療養のために滞在したブライトン、親友のジョン・フィッシャー司教を訪れたソールズベリー。ハムステッドではコンスタブルの風景画には欠かせない雲を観察し、ブライトンでは海の風景を、ソールズベリーでは大聖堂と虹を描いた。

 28年に最愛の妻が早世。翌年にようやくロイヤル・アカデミーの正会員に選出されるも、妻の死を機に、それまでの牧歌的な作風は陰りを見せ、筆遣いはより荒々しく、暗雲や廃墟をモチーフに描く。この頃の作品のひとつ《牧草地から見たソールズベリー大聖堂》(1831)には、たんなる自然現象ではなく画家の内面を映すように象徴的な虹が大聖堂にかかり、晩年の水彩画《ストーンヘンジ》(1835)にも虹の描写が見られる。32年のロイヤル・アカデミー展で、完成までに長年を要した《ウォータールー橋の開通式(ホワイトホールの階段、1817年6月18日)》(1817〜32)を発表。本作については、ターナーが対抗して、出品予定だった寒色系の海景に赤色のブイを描き足したことでも知られる。晩年は自身の代表作と風景画における明暗の効果を解説する版画集『イングランドの風景』の出版を構想したほか、ロイヤル・アカデミーで風景画の歴史の講義を行うまでになり、ロマン主義やバルビゾン派、印象派の先達となった。37年没。

 日本では、1986年に初の回顧展「コンスタブル展 イギリスの詩情」が伊勢丹美術館(東京)、福岡県立美術館、山梨県立美術館、そごう美術館(神奈川)を巡回。2021年に大規模回顧展「テート美術館所蔵 コンスタブル展」(三菱一号館美術館、東京)が開催。