椹木野衣 月評第108回 VRDG+H #4『XXX RESIDENTS THE EYE BALL VR』 VRのなかの悲田院
ゴーグルやメガネなどの装着を必要とせず、肉眼のまま極めて迫真性の高い光学的な幻影をステージ上に再現する本VRシアターの劇場型「ホログラフィック」は、本来であればアートというよりエンタメとの相性がいいのだろう。私はここに初めて足を運んだが、実際、普段はアイドルやキャラクターによるショー形式の催しが行われて人気を博しているらしい。それ自体は良くも悪くも無難なものであるにちがいない。
けれども今回、宇川直宏率いるユニット「XXXレジデンツ」をフィーチャーした「VRDG+H」枠での公演は、いっそ見世物小屋と呼びたくなる、そんな「興業」を伝統の正統に引き継ぎつつ、根底では、そのような見世物小屋の起源に、この世のありとあらゆるおどろおどろしいものを密室としての劇場の中で開陳し、ひそかに保存し続ける(いっそ悲田院的と呼んでもいい)受け皿としての機能があることを、はっきりと示したように思う。
そもそもザ・レジデンツとは、アメリカ西海岸で長く活動する匿名的なロック=アート(すなわち後美術的な)ユニットで、日本では一部を通じ長くシルクハットにモーニング姿の4人の目玉男たちとして知られてきた。XXXレジデンツとは、本来匿名であるザ・レジデンツの「公認」を取った、それ自体二重に匿名のユニットで、今回宇川はその公演を4部で構成し、それぞれに「見世物」的な要素(発明と楽器、80年代とアイドル、解剖学とノイズ、夜光と緊縛)をエッセンスとして注入し、一見しては最先端のテクノロジーに乗せるかたちで、逆にそれぞれの「小屋」的なあり方を最大化して見せた。
なかでも特記したいのは、第3部にあたる秋田昌美によるメルツバウとのコラボレーションだ。そこでは、会場のすみずみまで均質に充満する爆音=ホワイトノイズが、音というよりも、それ自体耳に立てられたスクリーンのようにも感じられ、ステージ上に設置された透明で脱視覚的なスクリーン上で繰り広げられる一瞬たりとも生成をやめない流動的な造形と折り重なり、人間が持つ既存の感覚的な生理を、視覚とも聴覚ともつかないかたちで延々と再編集し続けるかのようだった。
最先端のはずのシアターが、一瞬にして場末の見世物小屋に変容するこうした奇妙なデジャヴュ体験は、しかし、たんに過去への逆行を意味しない。というのも、文化の祭典でもあるとされる新東京五輪や、その後まことしやかに語られるようになった(それこそ最先端の文明の品評会である)新大阪万博のかけ声のなかで、いわゆる政策芸術としての「メディア芸術」が重点的な補強をなされるようになればなるほど、それらの持つ見世物小屋的な起源は、むしろ隠されてしまうからだ。
ところが、今回のような試みは、幻想(フィクション)としての未来や進歩がまことしやかに語られるようになればなるほど、そうした幻影(イリュージョン)を、つねに原点にある「いかがわしさ」へと強制的に引き戻す働きを持つ。そして、元来がヴァーチャルではありえないはずの、見えていなかっただけのもうひとつの〈劇場・小屋・フロアー〉を、それこそマルチ・レイヤー的に立ち現わせるのだ。
(『美術手帖』2017年8月号「REVIEWS 01」より)