2018年にスタートしたARTISTS' FAIR KYOTO(AFK)はその名の通りアーティストが主体となるアートフェア。制作から値付け、接客、プレゼンテーション、販売までをアーティスト自身が手がけるので、若手アーティストにとって格好の教育機会であり、アーティストの「熱」を直に感じつつ新しい作品と出逢える場となっている。アートフェア乱立の時代にあって独自の立ち位置をとり注目されているAFKはどんな意味と影響があるのか。アドバイザリーボードとして立ち上げ時から関わってきた名和晃平と、ARTISTS' FAIR KYOTO 2024のサテライト展示に参加する前田紗希に、対談を通して解き明かしてもらった。
AFKはアーティストが歩むべき道をつくるアートフェア
前田紗希(以下、前田) 私は今回、AFK2024でサテライト企画に参加させていただきますが、それ以前にも2020年の回で推薦していただき、出品しました。2015年に京都造形芸術大学(現・京都芸術大学)を卒業し、その後も京都を拠点に活動してきた私にとって、アーティストが自分でマネジメントや販売までこなすAFKは、当たり前のように存在する場でした。でも、そのなりたちを改めて見てみると、始まったのは2018年とそれほど昔からあるわけじゃないんですね。立ち上げた方々はどんな思いを込めてこのフェアをつくったのですか。
名和晃平(以下、名和) 僕は立ち上げ当初から関わる者のひとりですが、発起人ではないんですよね。提唱したのは、当時すでに京都造形大学(現・京都芸術大学)教授だった椿昇さんです。最初に椿昇さんからAFKの企画を聞いたときは、あまりに型破りで驚きました。
僕はギャラリーに所属してキャリアを積んできたタイプでしたから、ギャラリーの特権を取り払って自分たちで値段をつけ、100パーセントアーティストのフィーとするなんて、そんなこと成立するのかなと聞いただけでヒヤヒヤしました。
僕は、AFKというのは椿さんの“社会彫刻”であり、椿さん流の教育的なアクティビティの一環だと思っています。椿さんの情熱に僕も他のメンバーも共感し、参加者や観客も巻き込まれていくのでしょう。
前田 AFKができる前は、似たようなフェアやイベントはまったくなかったのですか?
名和 同じようなものはなかったはずですね。ただ、同様の試みを目指す機運自体は以前から各所に存在し、それらが徐々にかたちを成していったという経緯があります。
AFKにつながることを僕個人の活動から挙げてみると、まず大学院時代の2000年~01年に行った「ブーメラン・アート・プロジェクト」があります。これはブレーメン州立芸術大学と京都市立芸術大学の交流展で、自分が京都側のプロジェクトリーダー(ブレーメン側の代表と発起人は竹岡雄二氏)を務めました。ドイツ人13人を京都に2ヶ月招聘して、展示やパブリック・アートを展開し、翌年には京都から11人がドイツのブレーメンに赴き滞在し展覧会をしました。すべてを参加アーティストが自ら企画し、オーガナイズしたのは大きな経験となりました。
そのあと、京都造形芸術大学で教員仲間になった鬼頭健吾さん、大庭大介さんと一緒に、地元のアーティストたちへの呼び掛けによって、アートが集う場としての「ホテル アンテルーム 京都/那覇」をつくったり、そして創作のプラットフォームとしての「Sandwich」を立ち上げ、継続してきました。
さらに京都芸術大学では作家としても教員としても先輩の椿昇さんやヤノベケンジさんとディスカッションするなかで教育機関「ウルトラファクトリー」、アーティストの現場と学生たちを接続する「ウルトラプロジェクト」が生まれたり、「国際価格設定講座」にも取り組んできました。これは作品価格をどう設定すべきか、あるいはどうのように取り決められているのかについて、ギャラリストら専門家を招聘して講義してもらい、ワークショップとして実際に卒業作品に価格をつけるという実践的な授業です。
椿さんも僕も世界中の美大のやり方を見てきたので、教育のレベルをワールドスタンダードに引き上げたいという想いがありました。僕がロンドンのRCA(ロイヤル・カレッジ・オブ・アート)に交換留学(京都市立芸術大学の大学院生時代)していた際に、RCAの卒展で院生の作品が売れて、そのまま作家としてデビューしていくのを目の当たりにしました。日本でもそうした環境を生み出したいと思ったんです。
これらの手立てによって、学生たちのリテラシーは全体として着実に上がっていき、次は社会への実装だ、ということでAFKが始まっていく流れとなります。
前田 私たちの世代が当たり前のように享受している環境は、京都を拠点にするアーティストのみなさんが、少しずつ築き上げてきたものだったんですね。責任を持って作品の値段を決めて、自分で解説をして売るところまでひと通りできることが、アーティストとして重要だという意識は、たしかに私たちのなかに植え付けられている気がします。
名和 ただし、すべてのアーティストがそこまでしなくちゃいけないかといえば、そうではないです。アーティストとして経済的にも自立し、自分の時間を100パーセント創作に注ぎ、やっていきたいと考える人に、採るべき道を選択肢として示せたらより良いだろう、というこです。
前田 作家としてやっていくうえでの選択肢のひとつを提案してくれているわけですね。たしかにいまは作家とひとことで言っても、進む道がいろいろある時代だと思います。私自身も現在のところ、ギャラリーに所属はしていないけれど作品の取り扱いはしてもらっている状態です。絶対にこういうキャリアでないといけない、というかたちを決め切っているわけではないので、そのときどきの状況で判断しながら活動していけたらと考えています。
自分で多様な選択肢を持っておくためにも、自力でやっていく力をつけておくのは必要なことだと感じます。どういう人が自分の作品に興味を持ってくれるだろうかとか、普段関わりのない職種・業界の方から見えるいまの時代の雰囲気などは、ただ制作現場に引きこもっていてもわからないものです。AFKのような場を社会との接点として、また己を試してみる場として、活用できればいいと思います。
名和 そう、アーティストが生きていく道は、いくつも用意されていたほうがいい。とくに京都には、何かほかの仕事をしながら、休日や仕事以外の時間を使って創作する人もたくさんいます。マイペースな生き方ができる場所なんですよね。こうした、もともとある多様性を守っていきたいと思っています。
京都は街全体がアーティストを育てる
前田 京都でいろんなアーティストの在り方が許されているのは実感します。制作環境としても充実していますよね。大学が拠点になってすぐだれかと関われますし、困ったことがあったら聞ける距離感に誰かがいてくれる。アトリエを構える必要があるとなれば、家賃も現実的な範囲で収まります。
名和 京都には街全体でアーティストを支援し育てる、インキュベーションの気風があります。これには、貸し画廊文化が古くから根強かったという、歴史的な特徴も関係しているでしょう。貸し画廊があちこちにたくさん点在していて、作家はそれを安く借りて展示できたんです。展示の場所を決めて、テーマや構成を考え、テキストを書いてDMを発送し、いざ展示が始まれば在廊し、その場で自作をプレゼンテーションする……。これら一連の流れをすべて自分でやるのがふつうでした。僕が最初に京都で展示したときも、場所決めからすべて自分で考えていきましたね。
そうやって毎年1回でも個展を重ねていって、経験と自信がついたら東京にポートフォリオを持って出て行くといった一種の文化がありました。ところが2000年代以降、京都の貸し画廊はかなり減ってしまいました。時期を同じくして台頭してきたSNSが代わりの役割を果たしている面もあるのでしょうが、貸し画廊の減少は作家にとっては損失です。そこを補うため、AFKという新しいフォーマットが生まれた側面もあるんじゃないでしょうか。
前田 AFKは展示のしかたも独特で刺激的です。2020年に初めて参加したとき、自分で展示し自分で営業することはなんとかこなせたんですが、金網で区切られた展示空間にはちょっと驚き、手こずりました。
仕切りが金網だと周りのあらゆるものが見えてしまいます。ほかの作家や作品が見えるのはもちろんのこと、どうお客さんと接しているかもなんとなくわかるので、「自分も何かしなくちゃ」と焦ってきます。闘争心をかきたてられるような構造で、異様な空気が漂っているのは肌身に感じました。
名和 作家たちが金網の中に入って戦うようなかたちにしたのは、椿さんの仕業です(笑)。グローバルのアートマーケットがホワイトキューブのフォーマットばかりを使いすぎていておもしろくない、せっかくアーティスト主体の企画をするなら、逆を行くんだという考えがあってのことだと思います。
AFKは会場自体も京都国立博物館 明治古都館や京都新聞ビル 地下1階、音羽山 清水寺など、いろんな場所を使っていますから、観る人にとっては興味をそそりますし、展示する側は対応力が鍛えられますよ。
前田 AFK2024のサテライト企画として私は今回、京都 蔦屋書店 6Fのアートウォールで展示をします。京都高島屋S.C.内の書店の一角という特殊な環境ですが、せっかくの個展なので自分なりにスペースをどう生かそうかと精一杯考えました。
AFKで鍛えられたからというわけでもないですが、私はある程度どんな場を展示空間として指定されても、まずは肯定的にとらえるところから始めます。そもそもキャリアの初期からピカピカのホワイトキューブや美術館で展示できるとは思っていません。まずはどんな場所でも自分の作品の色を打ち出せるようにならなければと思っています。
書店内のような生活に近いところで展示したほうが、意外な出逢いもありそうなので楽しみにしています。
名和 僕も銀座 蔦屋書店の「GINZA ATRIUM」で個展をしたことがあります。本の売り場に囲まれたところで展示するのは難しいなと最初は思いました。商業施設の中で展示していれば必然的に、ショッピングなどから流入してきたお客さんの目に触れるわけで、そうした作品鑑賞を前提としていない人たちにどうアプローチするかを考えることになる。見せ方や周囲の環境との調和など、意識すべきことはたくさんあります。
いまは全国的に、アートスペースを併設するカフェなどが増えてきました。そういう場や機会を、作家はうまく使えるといいですね。同時に、場に「使われる」ことのないよう、注意は必要だと思います。
前田 今回のAFK2024は、ほかにどんなところが注目点ですか。
名和 アドバイザリーボードとして毎年、若手作家を推薦するのですが、これまで僕はギャラリーが扱いにくそうな作家も意識的に推してきました。植物を扱うアーティストだったり、パフォーマンスが中心の人だったり。作品は売りづらいけれど、ユニークな創作をしている人たちを、AFKではどんどん紹介していきたい。
今年も多様なジャンルの作家・作品に参加してもらいます。アーティストたちのエネルギーを、ぜひ京都で体感していただきたいです。
今年はとくに、サウンドアートなどを含め多様なジャンルの作家・作品に参加してもらうようにしています。アーティストたちのエネルギーを、ぜひ京都で体感していただきたいです。