佐々木敦 著『ゴダール原論 映画・世界・ソニマージュ』 言葉により、拡張するゴダールの存在
文学を扱った『例外小説論』『ニッポンの文学』と合わせると、今年刊行された単著はすでに3冊目。ハイペースかつジャンル横断的に批評集を世に送り出している印象の著者だが、意外にも1冊丸ごとを一人の映画作家に捧げた映画論は初めてだという。しかも分析の対象はシネフィル(映画狂)の教祖的存在、ジャン=リュック・ゴダール。この巨匠が齢83にして挑んだ3D映画『さらば、愛の言葉よ』(2014年)については、151頁を費やしてメイン論考に据えるほどの熱の入れようである。
本書は異なる時期に書かれた3つの論考で構成される。まずは序論にて、ゴダールが設立した映画会社の名称である「ソニマージュ」(ソン〈音響〉+イマージュ〈映像〉の造語)の語源的検証から。著者は「映像+音響=映画」という身も蓋もないまでの定式を、ゴダール作品に通底する揺るぎない原理として分析の中心に置く。過去作に即して「ソニマージュ」の実践と進化ぶりを手際よく確認したあとは、いよいよ『さらば、愛の言葉よ』の長大な分析へと突入だ。
『さらば、愛の言葉よ』は69分の短い尺だが、著者は映画のなかで起こっている事象を、冒頭に飛び出る「ADIEU」の文字からエンド・クレジットまで1分1秒も見逃さない/聴き逃さない。映画の進行に沿ってショットと音響の相乗効果を逐一分析していく手法は、あたかも映画の時空間を批評のエクリチュールによって再起動させるかのごとくである。
途中では、『アバター』『ゼロ・グラビティ』といったメジャーな3D映画との比較検証が行われ、現代の3D技術の始祖である19世紀のステレオスコープや、立体視に関心を持っていたマルセル・デュシャンへの言及もみられる。さらに「なぜ人間の瞳は2つあるのに、映画のスクリーンはひとつしかないのか」という原理的な問いや、1、2、3という数字がもつ象徴と映画との関係性が、奥深くまで追求される。迂遠な道のりだが、ゴダール作品の原理に降りていくにはすべてが必要な作業なのだ。69分の上映時間=映画の有限性は、批評の言葉によって拡張をはじめる。
最後の論考は、なんと20年以上も前に書かれたテキストがもとになっているらしい。ゴダールの『新ドイツ零年』(1991年)に累乗される孤独や歴史というテーマ、そして著者自身の過去と現在とが、見事に折り重なっている。
読者は本書が大胆にも「原論」を名乗るゆえんを、分析の密度の濃さだけでなく、手法の鮮やかさにおいても納得することになるだろう。