美術の世界では小規模のコミュニティーからその後の歴史を左右する動向が生まれることが少なくない。もの派はその最たる例のひとつだろう。通説では、もの派は斎藤義重、高松次郎の影響を受けた多摩美系の作家たちを中心に誕生したと言われている。
代表格の作家は、関根伸夫、菅木志雄、小清水漸ら。美術評論家の峯村敏明が定義を与え、峯村理論をベースとする言説の拡充、公立美術館における展覧会開催によって評価を不動のものとした。作品と言説の理想的な連動がここにある。とはいえ、理念を共有しているかにみえる運動も、必ずしもその実態が一枚岩というわけではない。そこで生きてくるのは、運動に携わった当事者の証言と、客観的態度を保持し得る第三者による考証だ。
「真実というものはつねに藪の中」「自ら藪の中に分け入って血を流して欲しい」。小清水のこの言葉に鼓舞された著者は、もの派が興り始めた1968~69年の出来事を精査し、通説とは異なる新解釈からもの派の起源を探究した。重要な参照項は以下の2点。1968年、中原佑介と評論家の石子順造が企画した「トリックス・アンド・ヴィジョン」展。静岡を拠点に1966~71年頃に活動したグループ「幻触」の存在。ここから、「幻触」と関わりのあった李禹煥、「幻触」の精神的支柱だった石子がキーパーソンとして浮上する。
「トリックス・アンド・ヴィジョン」には、もの派のメンバーはほとんど関係していないが、著者は後に《位相‐大地》を制作する関根が出品していたことに着目し、もの派と「幻触」の両面にわたる影響力を指摘する。また、「幻触」の活動がトロンプ・ルイユ的な作風から生命や自然を主題とする立体作品に移行したことを踏まえ、もの派と共通する制作テーマ=自然観を抽出する。
広い視野から眺めれば、「トリックス・アンド・ヴィジョン」は絵画表現の約束事に疑義を呈し、西欧の文脈に由来する美術の制度を乗り越えようとする動きの転換点なのだ。これはもの派も「幻触」も飲み込む、時代の大きなうねりである。作品の表層的な見え方に惑わされず構造の把握につとめる著者の視点により、もの派と「幻触」のつながりに説得力が生まれている。
作品や資料が残っておらず、推測の域を出ない主張がいくつか見受けられるのは惜しいが、新たな史観の提示に意欲的な論考であることは間違いない。後半に収録された、李と中原の対談、「幻触」の元メンバー鈴木慶則が語る石子の思い出(聞き手=李美那)をあわせて読めば、当事者の声をいかに引き継ぐかという課題も見えてくるはずだ。
(『美術手帖』2017年3月号「BOOK」より)