机の上にズラリと並べられた紙製の「冷蔵庫」たち。小さなもので6センチから12センチほど、大きなものに至っては24センチもある。蛍光灯の明かりに照らされて、所々光沢を放っているのは、紙同士をつなぎ合わせるのに多量のセロハンテープを使用しているためだ。ハサミを使ってフリーハンドで切断された紙の歪みと、劣化して黄色くなったセロハンテープの跡が、本物の冷蔵庫にはない温もりを感じさせる。
初めて目にしたのは、2018年9月から翌年3月にかけて、フランスのパリ市立アル・サン・ピエール美術館で開催された展覧会「アール・ブリュット ジャポネⅡ」でのことだった。よく見れば「冷蔵庫」のすべての扉は開閉可能になっているし、開いた扉からは、実際のカタログから切り取られた飲料のサンプルなどが実物の展示品のように扉の棚に陳列されている。さらに「冷蔵庫」の扉には各メーカーの型番や価格だけでなく、広告なども貼り付けられており、鏡面仕上げになった「冷蔵庫」に使用されているのは、焼き海苔や珈琲のフィルターの袋に使われている銀紙のようだ。あらゆる部分が精巧に再現されているが、価格表示だけは「700,900円」や「500,900円」とデタラメな数字が記されており、作者の遊び心を感じてしまう。見れば見るほど味わい深いこれらの作品は、驚くべきことに、家電量販店の店頭で陳列されている「冷蔵庫の展示品」を模して制作されたものなのだ。店頭に並んだ冷蔵庫を自らの手中に収めたいが、持ち帰るわけにはいかない。だから、作者は手を動かし創造したのだろう。そのあふれんばかりの愛情表現に、僕はすっかり打ちのめされてしまった。
作者は、静岡県浜松市で両親と暮らす酒井友章(さかい・ともあき)さんだ。2001年生まれの酒井さんは、幼稚園の頃から現在まで15年ほどこうした作品をつくり続けてきた。
そんな酒井さんが最初に興味を示したのは、「車」だった。母親が乗車していたこともあって、とくに日産車を好むようになり、様々な車種を覚えては口にするようになったという。「初めて発した言葉は『ママ』ではなく『マーチ』だったんです。車に乗るとマーチばかり追いかけていましたね。暗闇を通過する車もライトの形で判断して言うことができたんです」と母の幸子さんは教えてくれた。そんな酒井さんに転機が訪れたのは、幼稚園の卒園式を間近に控えたある日のこと。
「お迎えに行ったときに、幼稚園の先生たちが『友章くんがこんなことをしました』って教えてくれたんです。ダンボールを冷蔵庫に見立てて並べていたようで、そのときから『冷蔵庫』をつくり始めたんです」。
以来、家電量販店に足を運んでは、展示品の冷蔵庫をじっくり観察して、帰宅後に自分の「冷蔵庫」をつくるようになった。当初は、家に画用紙などがなかったため、持ち帰った家電製品のカタログなどを画用紙代わりにして組み立てていたようだ。すぐに家族が準備した画用紙を使うようになったが、色画用紙だけは「要らない」と使うことはなかった。冷蔵庫の特殊な色を再現するためには、クーピーペンシルを何色も使用していくという。とくに、庫内の再現度は年々高くなり、セロハンテープだけで冷蔵室などの透明な収納箱をつくるときもあれば、コンビニエンスストアで販売されている麺類の上蓋などを使うときもある。
「冷蔵庫への興味とともに車へ興味がなくなったんです。だから『冷蔵庫もやめるの』と尋ねたら『冷蔵庫の時代は終わらない』って話してくれたんです」。
冷蔵庫は、新型モデルの多くが10~11月に発売される。そのため、毎年モデルチェンジを繰り返し、家電量販店の製品が一新する秋口が、酒井さんにとって制作にもっとも注力を注がなければならない時期だというから、彼が必死に制作に打ち込む姿を想像すると笑ってしまう。つまり、酒井さんが一番愛でているのは現行モデルの「冷蔵庫」なのだ。
「ここに並べているのは、すべて型落ちのものなんです。店頭に並んでいる『冷蔵庫』を模した現行モデルは、家の居間に並べていて、絶対に手放そうとはしません。いつも気になる箇所があると自分で手直しをしています。『冷蔵庫』の他にも『洗濯機』や『テレビ』も制作しているんですが、全部で100個近くあって、私たちが掃除機をかけて倒しただけでも怒っちゃいますから、大変なんです」。
小さい頃には、制作中でも「何をつくっているの」と誰かが声をかければ、すぐにグチャグチャにして処分してしまうこともあったようだ。当時の酒井さんにとって、「冷蔵庫」の制作とは、それだけ大切な行為だし、誰にも干渉されたくない自分だけの時間だったのだろう。以前は「携帯電話」や「カメラ」もつくっていた酒井さんによると、大型の冷蔵庫の制作は、「2016年8月から始めた」と語る。
「セロハンテープを1日に1巻以上使うこともあって、つくり始めた当初は、家族にとっては迷惑な行為だと思っていました。でも、市内の療育センターで臨床心理士を務めていた笹田夕美子さんに『面白いんじゃないの』と認めてもらったことで、私たちの意識も変わったんです」。
笹田さんの勧めで市内の展覧会などに出展していくうちに、作品は多くの人の目に触れるようになり、ついには僕が心を鷲掴みにされたフランスの展覧会にも出展されたというわけだ。酒井さんがつくる作品の魅力は、その開閉可能な仕組みにある。裏返したセロハンテープをマジックテープ代わりに使っていく。もちろん「冷蔵庫」だけでなく、「洗濯機」も開けることができるし、「テレビ」に至ってはテレビ台の扉を開ければ、中にあるDVDプレーヤーも開閉可能な状態になっている。昔は望遠機能のついた「カメラ」や2つ折りの「携帯電話」もつくっていたが、「エアコン」に関しては一度も制作しなかったと言うから、どうやら「自分の手で現物を開閉できること」が彼にとって制作するか否かの条件になっているようだ。様々な扉を開けることで、酒井さんはどんな空想をしてきたのだろうか。
いっぽうで、作品が評価されるようになったとは言え、酒井さんの日常は変わらず続いている。通信制の高校を卒業し、現在県内の私立大学3年生になる酒井さんは、大学進学も「行きたい」と自ら志願した。まだ若い酒井さんの制作は今後も続いていくのだろう。「制作を続けることが、仕事につながっていく」、そんな仕組みが生まれることを僕は願わずにはいられない。冷蔵庫の扉を開けると、そこに彼はどんな未来を夢見るのだろうか。