「クシノテラス」として未だ正当な評価を得ていない表現者の紹介を続けながら、今年4月より、「アーツカウンシルしずおか」のチーフプログラム・ディレクターの職を拝命し、静岡で働いている。「すべての県民を創り手とした、創造性に輝く地域づくり」を目指すアーツカウンシルしずおかの仕事だが、そのなかで高齢者の表現活動のリサーチも行っている。
政令指定都市の行政区としては日本一の面積を誇る静岡市葵区。閑静な住宅街を歩いていると、建物の屋上に手づくりのメリーゴーラウンドや電車が置かれている店舗兼住宅を発見した。店の名前は、「焼菓子 収穫月(みのりづき)」。2つある入口のひとつは、年代物の海外製バイクや車、そして散髪台などが並び、さながらアンティークショップのような雰囲気だ。隣にある扉を開けると、細長い木製の室内に趣のある調度品が並び、美味しそうな焼き菓子が販売されている。この内装のモチーフにしているのは、列車の木製客室なのだろう。
「小さい頃から鉄道が好きで、暇さえあれば見に行っていました。このスペースは、自分で木製客室のような雰囲気につくりかえたんです」。
そう声を掛けてきたのが、店主の都甲博文(とこう・ひろふみ)さんだ。1955年にこの地で生まれた都甲さんは、子供の頃に近所の人がバイクに乗せてくれたことを機に、バイクも好きになった。16歳からバイクを乗り始め、ひとりで各地をバイク旅行したりユースホステルに泊まったりしていた。旅を重ねるなかで、宿泊施設の運営に興味を持つようになり、そこで働く料理人としての腕を磨くために、高校卒業後は知人の仕出し料理店へ勤め始めた。20歳のときに調理師免許を取得した都甲さんは、憧れだった山村の生活を味わうために、21歳から八ヶ岳の南東麓に広がる清里高原へ移住し、観光施設「清泉寮」のレストランで勤務した。3年ほど勤めたあと、静岡へ戻り、都甲さんがつくるデザートの評判が良かったことから、市内の洋菓子店で働き始めた。
「シェフがフランスで修行した人だったので、いろいろなバランスが良かったんです。シェフの話を聞いているうちに、ケーキの器などディスプレイにも興味を抱くようになりました」。
3年半ほど働いたあと、叔母が経営し始めた喫茶店の手伝い要員として、調理とケーキづくりを担当した。2年ほど働いていくうちに、もう少しお菓子を習いたいという意欲が湧き、静岡市内の洋菓子店に就職。3年半ほど勤めたのち、母と叔母が焼津市に購入していた土地を利用して「焼菓子 収穫月」を始めたというわけだ。
「店のデザインから携わらせてもらって、店を建てているときも半年ほど大工について、道具の使い方や建築工程を学んだんです」。
店名の由来は、当時刊行されていた雑誌『収穫月のタルト』から拝借し、店を始める前には、大好きな鉄道を見るためにドイツとフランス、イタリアなどを3ヶ月くらいかけて旅したこともあった。36歳のときには、2歳下の女性と結婚し、夫婦で焼津市内の店舗の切り盛りを続けた。そんな都甲さんに転機が訪れたのは、母親を介護することになったときのことだ。
「父親が7年前に他界し、認知症を患った母親の面倒を見るのに、焼津店をいちど閉店して、僕だけ実家に戻ってきたんです。でも、介護だけに専念するっていう性格でもなかったから、介護の合間に、こっちで焼き菓子店だけでもやろうと思って、3年半ほど前に改修して2号店をつくったんです。この家は、およそ45年前に父親が建てたもので、サンダル製造の下請工場として使用してました」。
そして、3年ほど前からは電車を、1年ほど前からはメリーゴーラウンドの制作を屋上で始めた。インターネットでメリーゴーラウンドに使われていた馬の人形を探し当て、3頭分購入。写真を元に簡単な図面を描き、営業の合間に少しずつ制作を続けていったというわけだ。メリーゴーラウンドには、ホームセンターで入手した足場パイプなどを組み合わせて支柱をつくり、回転する仕掛けを施した。電動仕掛けのメリーゴーラウンドも電車も、すべて独学で制作したというから驚きだ。
「小学校低学年の頃、静岡市清水区に『狐ヶ崎遊園地』があったとき、電車に乗って毎日のように遊びに行っていたんです。当時は、メリーゴーラウンドなんてなくって、何となく線路が敷いてあったことは記憶しています。いまは失われつつあるデパートの屋上の小さな遊園地の光景を再現したかったんです」。
都甲さんによると、現在は試作段階であり、将来的には焼津店の敷地内に設置する予定のようだ。「子供たちに無料で遊んでもらいたくってね。あと1年くらいのうちには、焼津店で線路を敷きたいんです。ただ妻にも告げてなかったから、『あれは何?』って指摘されてるんですけど」と笑う。
そう語る都甲さんにとって、制作の原点になっているのは、小さな部屋いっぱいに敷き詰められたジオラマだ。鉄道が好きだった都甲さんは、若い頃からジオラマ制作に没頭していた。ホームセンターで購入した材料を加工し、巨大なジオラマをつくっては列車を走らせていたようだ。自分が列車に乗っている気分を味わっていたが、次第にジオラマだけでは満足できなくなった都甲さんは、大型作品の制作を夢見るようになった。
「実際に自分が乗れなきゃ嫌なんです。だから、バーチャルには興味が持てなくって。夢は、焼津店の庭に小さな遊園地をつくることです。『嗚呼、今日もお客さんが誰も来なかったな』と夕暮れ時に黄昏れて珈琲を飲みたいんですよね。その一抹の寂しさを味わいたいんです」。
誰も居ない遊園地で珈琲を飲んでいる都甲さんの姿さえも、僕にはひとつのジオラマ世界のように思えてしまう。列車に乗って流れる景色に身を任せ、バイクに乗って風を感じる。そうした昔からの体験が、母親の介護という制限下で、メリーゴーラウンドや電車の制作に都甲さんを向かわせたのだろう。いまは未だ小さな創作かも知れないけれど、数年後に都甲さんがつくる「等身大のジオラマ」は焼き菓子店の庭でどのように広がっていくのだろうか。僕にとって静岡で暮らす楽しみが、またひとつ増えてしまった。