櫛野展正連載「アウトサイドの隣人たち」:等身大のジオラマ

ヤンキー文化や死刑囚による絵画など、美術の「正史」から外れた表現活動を取り上げる展覧会を扱ってきたアウトサイダー・キュレーター、櫛野展正。2016年4月にギャラリー兼イベントスペース「クシノテラス」を立ち上げ、「表現の根源に迫る」人間たちを紹介する活動を続けている。彼がアウトサイドな表現者たちに取材し、その内面に迫る連載。第40回は、店舗兼自宅の屋上にデパートにある遊園地のようなスペースをつくりあげた都甲博文を紹介する。

文=櫛野展正

都甲博文さん
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 「クシノテラス」として未だ正当な評価を得ていない表現者の紹介を続けながら、今年4月より、「アーツカウンシルしずおか」のチーフプログラム・ディレクターの職を拝命し、静岡で働いている。「すべての県民を創り手とした、創造性に輝く地域づくり」を目指すアーツカウンシルしずおかの仕事だが、そのなかで高齢者の表現活動のリサーチも行っている。

 政令指定都市の行政区としては日本一の面積を誇る静岡市葵区。閑静な住宅街を歩いていると、建物の屋上に手づくりのメリーゴーラウンドや電車が置かれている店舗兼住宅を発見した。店の名前は、「焼菓子 収穫月(みのりづき)」。2つある入口のひとつは、年代物の海外製バイクや車、そして散髪台などが並び、さながらアンティークショップのような雰囲気だ。隣にある扉を開けると、細長い木製の室内に趣のある調度品が並び、美味しそうな焼き菓子が販売されている。この内装のモチーフにしているのは、列車の木製客室なのだろう。

道端から見た「焼菓子 収穫月」の屋上

 「小さい頃から鉄道が好きで、暇さえあれば見に行っていました。このスペースは、自分で木製客室のような雰囲気につくりかえたんです」。

 そう声を掛けてきたのが、店主の都甲博文(とこう・ひろふみ)さんだ。1955年にこの地で生まれた都甲さんは、子供の頃に近所の人がバイクに乗せてくれたことを機に、バイクも好きになった。16歳からバイクを乗り始め、ひとりで各地をバイク旅行したりユースホステルに泊まったりしていた。旅を重ねるなかで、宿泊施設の運営に興味を持つようになり、そこで働く料理人としての腕を磨くために、高校卒業後は知人の仕出し料理店へ勤め始めた。20歳のときに調理師免許を取得した都甲さんは、憧れだった山村の生活を味わうために、21歳から八ヶ岳の南東麓に広がる清里高原へ移住し、観光施設「清泉寮」のレストランで勤務した。3年ほど勤めたあと、静岡へ戻り、都甲さんがつくるデザートの評判が良かったことから、市内の洋菓子店で働き始めた。

都甲博文さん

「シェフがフランスで修行した人だったので、いろいろなバランスが良かったんです。シェフの話を聞いているうちに、ケーキの器などディスプレイにも興味を抱くようになりました」。

 3年半ほど働いたあと、叔母が経営し始めた喫茶店の手伝い要員として、調理とケーキづくりを担当した。2年ほど働いていくうちに、もう少しお菓子を習いたいという意欲が湧き、静岡市内の洋菓子店に就職。3年半ほど勤めたのち、母と叔母が焼津市に購入していた土地を利用して「焼菓子 収穫月」を始めたというわけだ。

 「店のデザインから携わらせてもらって、店を建てているときも半年ほど大工について、道具の使い方や建築工程を学んだんです」。

焼菓子 収穫月の店内

 店名の由来は、当時刊行されていた雑誌『収穫月のタルト』から拝借し、店を始める前には、大好きな鉄道を見るためにドイツとフランス、イタリアなどを3ヶ月くらいかけて旅したこともあった。36歳のときには、2歳下の女性と結婚し、夫婦で焼津市内の店舗の切り盛りを続けた。そんな都甲さんに転機が訪れたのは、母親を介護することになったときのことだ。

 「父親が7年前に他界し、認知症を患った母親の面倒を見るのに、焼津店をいちど閉店して、僕だけ実家に戻ってきたんです。でも、介護だけに専念するっていう性格でもなかったから、介護の合間に、こっちで焼き菓子店だけでもやろうと思って、3年半ほど前に改修して2号店をつくったんです。この家は、およそ45年前に父親が建てたもので、サンダル製造の下請工場として使用してました」。

 そして、3年ほど前からは電車を、1年ほど前からはメリーゴーラウンドの制作を屋上で始めた。インターネットでメリーゴーラウンドに使われていた馬の人形を探し当て、3頭分購入。写真を元に簡単な図面を描き、営業の合間に少しずつ制作を続けていったというわけだ。メリーゴーラウンドには、ホームセンターで入手した足場パイプなどを組み合わせて支柱をつくり、回転する仕掛けを施した。電動仕掛けのメリーゴーラウンドも電車も、すべて独学で制作したというから驚きだ。

都甲さんが自作したメリーゴーラウンド

 「小学校低学年の頃、静岡市清水区に『狐ヶ崎遊園地』があったとき、電車に乗って毎日のように遊びに行っていたんです。当時は、メリーゴーラウンドなんてなくって、何となく線路が敷いてあったことは記憶しています。いまは失われつつあるデパートの屋上の小さな遊園地の光景を再現したかったんです」。

 都甲さんによると、現在は試作段階であり、将来的には焼津店の敷地内に設置する予定のようだ。「子供たちに無料で遊んでもらいたくってね。あと1年くらいのうちには、焼津店で線路を敷きたいんです。ただ妻にも告げてなかったから、『あれは何?』って指摘されてるんですけど」と笑う。

都甲さんが自作したメリーゴーラウンド

 そう語る都甲さんにとって、制作の原点になっているのは、小さな部屋いっぱいに敷き詰められたジオラマだ。鉄道が好きだった都甲さんは、若い頃からジオラマ制作に没頭していた。ホームセンターで購入した材料を加工し、巨大なジオラマをつくっては列車を走らせていたようだ。自分が列車に乗っている気分を味わっていたが、次第にジオラマだけでは満足できなくなった都甲さんは、大型作品の制作を夢見るようになった。

 「実際に自分が乗れなきゃ嫌なんです。だから、バーチャルには興味が持てなくって。夢は、焼津店の庭に小さな遊園地をつくることです。『嗚呼、今日もお客さんが誰も来なかったな』と夕暮れ時に黄昏れて珈琲を飲みたいんですよね。その一抹の寂しさを味わいたいんです」。

自宅に設置された鉄道のジオラマ

 誰も居ない遊園地で珈琲を飲んでいる都甲さんの姿さえも、僕にはひとつのジオラマ世界のように思えてしまう。列車に乗って流れる景色に身を任せ、バイクに乗って風を感じる。そうした昔からの体験が、母親の介護という制限下で、メリーゴーラウンドや電車の制作に都甲さんを向かわせたのだろう。いまは未だ小さな創作かも知れないけれど、数年後に都甲さんがつくる「等身大のジオラマ」は焼き菓子店の庭でどのように広がっていくのだろうか。僕にとって静岡で暮らす楽しみが、またひとつ増えてしまった。