沖縄復帰50年の節目である本年、琉球王国の歴史と文化を総合的に紹介する展覧会、特別展「琉球」を東京国立博物館で開催している。琉球王国とは現在の沖縄県から奄美諸島にかけて存在した国で、15世紀後葉に政治的な統一を果たし、中国や日本とのかかわりのなかで独自に成熟した文化を築いた。1879年に明治政府によって強制的に沖縄県が設置されて王国は終焉すると、近代化や第二次世界大戦によって王国時代の文化遺産が失われるという困難な歴史がつづく。本展覧会は、主として琉球王国の歴史と文化を、さらに失われた技術と文化財を現代に甦らせ、未来へつなごうという復元事業の取り組みについて、貴重な作品からたどるものである。
ところで、1872年(明治5年)創立の東京国立博物館には、草創期に収蔵された琉球資料がある。プロイセン王国博物局人種学部(旧ベルリン民族博物館、現ドイツ 新美術館)のコレクション充実のために、1882年に駐日ドイツ代理公使より琉球資料コレクションの収集・送付を依頼された明治政府が、これを契機に博物館用に沖縄県から購入を計ったものと考えられている。ドイツへ送られたのは計543件であったが、残念ながらこのとき博物館が購入した資料の全容は不明である。万国博覧会への参加を目的に開館した博物館において、当初収蔵品の売却や交換などが積極的に行われたため、草創期のコレクションの詳細を把握するのは困難である。琉球資料もおそらくこの流れのなかで混乱、失われたものも多かったとみられる。
また近代日本において、欧米の影響のもとに書画、彫刻、工芸など各分野の美術史学研究が次第に確立し、博物館のコレクションも体系的に整えられる一方で、民族資料の多くに恒常的な光が当てられなかったという博物館の歴史もあった。琉球資料は前述の購入以降、石沢兵吾(1853~1919)、田代安定(1857~1929)ら沖縄に関わった研究者や個人からの貴重な作品の寄贈も続いたが、わずかな絵画、漆工、染織作品以外については、展示活用される機会はほとんどなかった。なかには琉球製と認識されず、産地不明として他の収蔵品に紛れてしまっていたものもあった。
こうした状況が大きく変化するきっかけとなったのは、1992年(平成4年)、沖縄復帰20年の特別展「海上の道」の開催であろう。貝製品や周辺地域からの交易品を中心に南島を象徴する考古遺物を主軸として、琉球王国時代までとりあげた展覧会であった。このとき築かれた博物館研究員と沖縄の研究者の方々との交流によって、復帰30年の2002年には『東京国立博物館図版目録 琉球資料篇』が刊行された。ここにおいてようやく東京国立博物館が収蔵する琉球資料コレクションの全容が明らかとなったのである。
さらに、2014年には本館16室「アイヌと琉球」において常設展示が始まった。博物館が沖縄県から琉球資料を購入してから、100年以上も過ぎてのことである。この展示にあたり、琉球資料コレクションのなかで経年劣化がみられるもの、または破損の危険性の高いものを洗い出し、本格的な作品修理を行う必要があった。制作に用いられた材料や適した修理技術を探るために、類例を調査したり、沖縄まで担当者や技術者が足を運んだりしたこともあった。琉球資料を正しく、かつ安全に展示活用ができる状態にする作業にはさらに長い時間を要した。
今回の復帰50年記念特別展「琉球」は、この30年ほどの東京国立博物館の取り組みと関わった研究員たちの想いを受けて、企画が始まった。そして、2006年の開館以来、沖縄との交流を深めてきた九州国立博物館の研究員をはじめ、琉球・沖縄文化について学び、沖縄に暮らしたことがあるスタッフが加わり、沖縄からは沖縄県立博物館・美術館、那覇市歴史博物館、浦添市美術館、沖縄美ら島財団をはじめとする多くの研究機関、ご所蔵者の協力を得て、これまでにない規模の布陣で準備が進められてきた。