特撮美術に見るメディア芸術の歴史と未来。「井上泰幸展」担当学芸員・森山朋絵が語る

美術館の学芸員(キュレーター)が、自身の手がけた展覧会について語る「Curator's Voice」。第5回は、東京都現代美術館で開催中の「生誕100年 特撮美術監督 井上泰幸展」を担当した森山朋絵が、同展を契機にメディア芸術の歴史と未来について語る。

文=森山朋絵(東京都現代美術館学芸員/メディア芸術キュレーター)

展示風景より、「岩田屋再現ミニチュアセット」(監修=三池敏夫、制作=マーブリングファインアーツ、背景画=島倉二千六)
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 日本の特撮史、そしてメディア芸術史においても、2022年はある意味「シンギュラー・ポイント」になるだろう。円谷英二監督を支え、多くの特撮作品に魂を与えた「実装」の人──井上泰幸の仕事を「作家個展」として呈示できたいま、これまで何度も目にした「ある領域が自らの領域を超える」瞬間を思わずにはいられない。1980年代末から、公立の美術館展示では主流として扱われてこなかった領域(例えばアート&テクノロジー、コンピュータによる芸術、動画に限らない新旧の映像メディアや映像装置、広義のアニメーション、3Dやステレオグラフィー、数理・物理学的な宇宙や深海、知覚の拡大と縮小、人工現実感や人間拡張工学、超高精細画像や時間軸、バイオテクノロジー、人工生命や人工知能など)が表現と結びつくさまを繰り返し企画し展示するうちに、それらは徐々に名を変え、コンフリクトや不寛容を乗り越え、義務教育に盛り込まれ、災害や疫病禍を経て、いつしか自然な表現プラットフォームとなった。そしていま我々は、変わりゆく特撮領域のクロニクルを目撃している。草創期の優れたつくり手である井上泰幸は、アイデア外在化のためのメタ認知的視点をいかに持ち得たのだろうか。

展示風景より、エントランス

 かつて我々が井上作品を展示した「館長 庵野秀明 特撮博物館 ミニチュアで見る昭和平成の技」展(東京都現代美術館、2012年、以降全国巡回)もまた、同様にひとつの「特異点」であり、スタジオジブリ、日本テレビ放送網、東京都現代美術館の10年にわたる連携の最後を飾る大規模展であった。映画『巨神兵東京に現わる』の撮影現場には日本中から特撮ミニチュアセットの家々が集められ、「バーチャル観客8000人の記者会見」(六本木ニコファーレ)では庵野秀明、樋口真嗣、鈴木敏夫らが金屏風の前に揃ってマイティジャック号を披露した。設営中も館長・庵野秀明が展示室をのぞき、副館長・樋口真嗣がイラストマップを手がけ、尾上克郎、三池敏夫、原口智生、西村祐次ら、数えきれない関係者の貢献・機関の協力で奇跡の展示が成立した。動員20万人に達すると初代ウルトラマンが展示室に登場し、映画の巨神兵が破壊した東京の巨大ミニチュアセットのなかを闊歩した。やがて来場者は約30万人にのぼり、そこに展示された夥しい特撮の夢が──ゴジラやキングギドラや妖星ゴラス本体が役割を終え帰っていくまで、特撮愛に支えられた祝祭的な3ヶ月を皆が共有した。東日本大震災から1年あまり、まだ文化的にはやや鎮静化した社会のなかで、特撮メイキング映像を見て歓声を上げる来館者の笑顔は、保存が危惧されていたミニチュア特撮領域のみならず、我々の心にも希望を灯すかのようだった。

展示風景より、「岩田屋再現ミニチュアセット」(部分)

 ちょうど10年前、「特撮博物館」展図録の論考に「この博物館は、特撮とそれを取り巻くすべてを愛する人々に捧げられている。その羽化を待ち続けるうちに、先駆者たちは次々と鬼籍の人となりつつある」と記した。同展には特撮映画のイメージの源を現在に伝える井上の貴重なデザイン画やセットデザインを陳列したが、前述の通り、同展参加後に川北紘一が逝去し、惜しくも会期を前に他界した井上泰幸その人を、展示室に迎えることは叶わなかった。昭和30年代の西九州/北九州の子供なら皆が知っている怪獣映画『空の大怪獣ラドン』の作中で、東洋一のアーチ橋「西海橋」や天神の「岩田屋デパート」が完膚なきまでに破壊される。精巧に再現され、現実と見分けがつかない商店街や見慣れた駅前風景の崩壊を前に、幼い我々はただギャン泣きするしかない──峻厳な目と精緻な手わざでそれを造ったのは誰なのか。『ゴジラ対ヘドラ』50周年にあたる2021年を経て、井上の没後10年に向けてふたたび、翌22年に開幕する東京都現代美術館の井上展準備に携われたのは望外の喜びだった。

展示風景より、「特撮美術の基本的な制作プロセス」パネル

 「イメージにかたちを与える『実装』の尊さ──それが伝わる作家展に」と我々は願い、特撮美術監督の仕事に特化した公立美術館初の作家展を、第二次世界大戦を超えて生きたひとりの「つくり手」の個展として成立させようとした。展示や図録(キネマ旬報社)の年譜には、特撮と井上の人生の流れに同時代の社会や芸術領域を加え、対比を図った。「テクノロジーを戦争でなく創造に使える」という喜びを体現するような井上の歩みは、同時代の前衛作家たちとも遠くない。北代省三や山口勝弘らによる「実験工房」は、映画にも共通する先駆的な「総合芸術」を目指したが、山口が松本俊夫と手がけた特撮映画『わたしはナイロン』や、同じく2人が円谷英二と協働した特撮映画『銀輪』もまた、円谷・井上の最後の協働となった大阪万博の三菱未来館や、バウハウスの作家モホイ=ナジ・ラースローが手がけたH.G.ウェルズの映画『来るべき世界』の特撮セットに通底するものがある。いっぽうで「人工現実感による特撮」ともいえるメタバースも、いまや珍しくはない。我々の知る「現代の芸術」とはかけ離れた異質な存在・流れとしてのみ「特撮」をとらえていた時代は、もう終わっている。

展示風景より、坂野義光監督『ゴジラ対ヘドラ』(1971)の資料