ミランダ・ジュライは1974年バーモント州生まれ。2008年の横浜トリエンナーレで発表された《廊下》や、ニューヨークに設置された参加型作品《11の重いものたち》(2010)ように、観客を巻き込むインスタレーション、パフォーマンス、プロジェクトを数多く手がけてきた。
いっぽうで映画監督、小説家としての活動も豊かで、数々の賞を受賞している。2020年にはコメディ映画『カジリオネア(Kajillionaire)』を公開。小説では邦訳もされている短編集『いちばんここに似合う人』(岸本佐知子訳、2010)などがある。近年ではその多岐にわたる制作活動についてまとめたモノグラフ『ミランダ・ジュライ』(Prestel、2020)が出版された。
本記事では映画『ザ・フューチャー』公開時のインタビューを公開。様々な方法でフィクションを表現する理由を語る。
声なき声を拾い、語るすべを知らない人の人生に、声や言葉を与えていきたい。
2005年『君とボクの虹色の世界』で一躍、映画監督としても認知を高めた、ミランダ・ジュライの新作映画『ザ・フューチャー』が日本でついに公開される。映画、小説、パフォーマンスなど、その多岐に渡る創作について話を聞く。
映画『ザ・フューチャー』構想から実現へ
──2005年『君とボクの虹色の世界(以下、君とボク)(*1)』から6年ぶりの映画ですが、どのような経緯で『ザ・フューチャー』の構想を詰めていったのですか?
ミランダ あの映画の後、私は、早く次の映画を……という脅迫観念にとらわれがちだったんです。でも、短編集『いちばんここに似合う人(*2)』や彫刻作品《11の重いものたち》、パフォーマンスといったことを有機的にやってこれたおかげで、より自由に、スムーズに移行できたと思います。
──前作の日本での公開時のインタビューで、『ザ・フューチャー』のテーマとして「自意識」「自分で状況を選べないときにいかに対処してゆくか」と話していましたね。
ミランダ 具体的に何を意図していたかは忘れてしまったけれど、「自意識」がひとつの重要なテーマであるのは本当です。例えば、主人公のダンサー、ソフィーが、ダンスから離れて浮気相手に見守られるだけの生活を送る。それは、心地よくも虚しいことですよね。
『君とボク』の成功は私にとって、とてつもなく大きな出来事で、プロモーションで世界中を飛び回っていた当時は、一種のショック状態でした。「今、すべてをやめたら?」「このあと何もつくらなくなったら?」ということが頻繁に頭をめぐり 、いわば自意識過剰な状態だったと思います。
──そんな状態から、『ザ・フューチャー』を制作していくにあたって、07年にNYのキッチンで初演されたパフォーマンスが、映画の原型となっているそうですね。どのような内容なのですか?
ミランダ 《私たちが理解できないこと、そして絶対話そうとしないこと》というタイトルで、私自身が観客のなかからカップルを選び、終始役を演じてもらいました。『ザ・フューチャー』の重要な要素──話をする猫、時間を静止させること、Tシャツダンス、浮気問題を抱えるカップル等──で構成しています。パフォーマンスでは現実世界に固執する必要がないし、映画より象徴的な内容になっていると思います。でも、驚いたのは選んだカップルのほとんどが、女性側の浮気を経験しているということ。どのカップルを選ぶかで神経を使っていたんだけれど、その意味がないほど(笑)。