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私の作品は、もがき苦しむ貧困層の言語です。ホセ・パルラインタビュー

雑誌『美術手帖』の貴重なバックナンバー記事を公開。発売中の2021年6月号に関連し、6月は、ニューヨークとストリートに関わるアーティストたちの言葉を紹介する。本記事では、ホセ・パルラへのインタビューを掲載。大山エンリコイサムを聞き手に、ストリートを起点に抽象表現に取り組む作家の思想を紐解いていく。

聞き手=大山エンリコイサム 翻訳・構成=相磯展子

ニューヨークにある作家のアトリエにて 撮影=GION

 カリグラフィーやコラージュといった手法を組み合わせ、都市の壁を思わせる抽象絵画によって重層的な物語を描き出すホセ・パルラ。

 本記事では、美術手帖2017年6月号の「SIGNALS! 共振するグラフィティの想像力」特集より、インタビューを公開。ライティング文化(グラフィティ)を巡る問題について、同じくライティングを再解釈した作品で知られるアーティストの大山エンリコイサムと議論しながら、アートを通じてどのように社会の分断と向き合うのか、その考え方を語っている。

カリグラフィーの筆致でみせるナラティブ

 10代からストリートを中心に活動を始め、現在では、アメリカの抽象表現主義を継承するアーティストとして世界的な評価を確立しているホセ・パルラ。彼はグラフィティ文化をどのようにとらえているのか。ニューヨークにある作家のスタジオを訪ね、話を聞いた。

Autobiographical Dance of Combined Stories  2010 キャンバスにアクリル絵具、インク 182.88×365.76cm
© Jose Parla Courtesy of Yuka Tsuruno Gallery

アートへの自然な流れ

──日本では既によく知られていますが、アーティストになったきっかけと経歴を教えてください。

パルラ フロリダ州マイアミでキューバ人の両親のもとに生まれ、10歳までプエルトリコで育ち、その後アメリカで教育を受けるため再びマイアミに移住しました。私の10代はまさにヒップホップ文化の黎明期。スケッチブックやキャンバスを持ち、ストリートでペイントしたりして、この生まれたばかりのメジャーなニューカルチャーに強い影響を受けました。その後、奨学金を得て高校を中退し、ジョージア州のサバンナ・カレッジ・オブ・アート・アンド・デザインに入学。制作、美術史など、正規の美術教育を受けます。卒業後はマイアミ、その後アトランタにスタジオを構え、1997年以降はニューヨークに拠点を移し活動を続けています。

 ニューヨークではスタジオを持ついっぽうで、Kase2などのアーティストと街に出てペイントしていました。海外のアーティストとコラボレーションを始めたのもこの頃。国際的なグループを形成し、それぞれ独自のスタイルを持つ若いアーティストたちとの間ですばらしいエネルギーが生まれていました。

──ある時期を境にコラボレーションからソロ活動にシフトし、メインストリームな現代美術の領域に入っていきましたね。

パルラ どのタイミングでストリートからスタジオへ移行したのかという質問は、このジャンルのアーティストがよく聞かれることです。私はそもそも移行などないと思っています。多くのアーティストたちはその当時、それが電車、トラック、壁であれアートをやっていた。「コンテンポラリー」は「今」を意味するのだから、既にそれはコンテポラリー・アートだったわけです。彼らにとって野外がスタジオだっただけのこと。

 存在するはず(傍点)の移行は神話にすぎません。そういう神話を設けることで、体制側はアートとグラフィティの垣根を温存しようとするのです。そもそも、グラフィティと呼ばれるまではそういう名前ですらなかった。ライター(*1)たちも、そう呼んでいなかったわけです。

 制作の場がストリートであれ、スタジオであれ、私はそれを単純にアートとしてしか見ていませんでした。他のアーティストとコラボレーションするいっぽうで、自分のスタジオで独自の様式や視覚言語を発展させ、一人で活動し、世界中で個展をやるようになっていました。それはごく自然な流れだったのです。

ニューヨークにある作家のアトリエにて 撮影=GION

──グラフィティはヴァンダリズム(公有・私有財産の汚染・破壊行為)や、社会、権威に対する反抗のイメージがいまだ強い。反体制的な姿勢はあくまでグラフィティ文化の一面であり、すべてではありません。たんにヴァンダリズムだけに支えられていたら、グラフィティの視覚言語がここまで発展することも、ここまでグローバルな現象になることもなかったでしょう。グラフィティは社会に対して何か強い態度を取るというよりも、若者たちの純粋な表現の欲求から生じていると思うのですが。

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