椹木野衣 月評第92回 虚ろな東京──科学博の彼方に 「東京アートミーティングⅥ "TOKYO"ー見えない都市を見せる」
東京という巨大な謎を読み解くのに、単一の視点が有効でないというのは、誰もが納得せざるをえまい。ゆえに本展では、6人(組)のゲスト・キュレーターが思い思いに構成した東京の姿が個別にあり、そこに加えて本展のために特別につくられた新作が散りばめられている。だが、それだけでは展覧会というよりショーケースにしかならない。本展の成否を分かつのは、「メタ・キュレーション」と名付けられたディレクションが、一見しては雑多なこれらの陳列を、いかに「見えない力」で束ねうるかにかかっている。「見えない都市を見せる」とサブタイトルに謳われている通りであろう。
そのために本展が基点に置いているのが、1980年代の東京だ。この時代の東京はバブル経済の気運のもと、好景気に支えられて消費社会が跳躍し、多幸症的な気分の中でサブカルチャーがいっせいに花開いた。しかも、リアルタイムで世界へと発信された。長く欧米の背を追い続けてきた極東の島国が近代以後初めて、世界のカルチャー・シーンをリードしたのである。
カタログの主文で企画者の長谷川祐子が「東京は今でも未来的か ?」と回顧を前提に疑問符で書き付けるのは、このことによる。言い換えれば、この問いこそが、本展を支配するメタ・キュレーションの実体だろう。ショーケースを思わせるバラバラの展示が、たんに雑多に「見える」だけか、それとも未来を切り開きうる可能性を宿して「見える」かは、ひとえに、この問いをめぐる説得力にかかっている。
こうして、目に見える展示だけでは「見えない」メタ・キュレーションでは、それを基底で支えるはずのテキストが、ことのほか重要なものとなる。しかし、先に引いた長谷川の問いが、テキストの冒頭ではなく末尾に置かれていることに端的に示されているように、この問いは見る者に向けて野放図に投げ放たれているだけだ。その代わりに随所で示されているのが、全体を俯瞰する展覧会のマップでありチャートである。しかし地図だけを示されても、私たちはそれをどう歩いてよいかわからない。だが、自由に歩いて好きに考えてくださいというのなら、やはり本展は羅列以上のものにはならない。
私見では、1980年代というのは、見かけの華やかさに反して恐ろしい時代であった。たとえば、85年の夏には「つくば科学万博」から帰る客を多く乗せた日航機が航空機史上最悪の墜落事故を起こし、翌年の初めには宇宙開発の夢を託した米国のスペースシャトルが空中分解。直後にはチェルノブイリで未来のエネルギー源であったソ連の原発が爆発炎上した。本展ではYMOの未来主義的な「テクノ・ポップ」が魔法のキーワードのように強調されているが、背後で連鎖したテクノロジーの破局は語られない。
だが、いま「東京は今でも未来的か?」と問うなら、もはやこれら負の遺産から目を背けることはできない。「東京は今なお未来的だ」と言えるとしたら、原子力緊急事態宣言発令下でもなお五輪を決行しようとする、ディストピアSFそのままと言ってよい未知=既知の具現化においてのことにほかならないからだ。ちょうど1980年代に一世を風靡した大友克洋の『AKIRA』がそうであったように。
(『美術手帖』2016年4月号「REVIEWS 01」より)