現在とユニバース
熊本市現代美術館で開催された「遠距離現在」展のカタログには、展覧会と同じタイトルの福永信による短編がおさめられている。それはこんな風に始まる「少年は夢を見た。」──夢と現実を行き来しながら、少年は「現在」を生きている。あるときは10歳くらいの少年、あるときはベッド、あるときは立てこもり犯として生きている。突然その「現在」はリセットされ、また別の「現在」が立ち現れる。ちょうど私たちが夢を見るときのように。
幼い息子と日常を共にしていると、たしかに子供は、日々新しい現在を生き直しているように見える。子供にとって「現在」はすべてで、昨日と今日の区別はさほど重要ではなさそうだ。ある日公園ですべり台への誘いをやんわりと断る私に、屈託ない調子で息子がこう言った。「じゃあママが“子供”になったら、僕とすべり台で遊ぼうね」。子供にとって時間は円環を成している。そして過去が未来のあとにやって来る可能性を、ごく自然に受け入れている。
現在とは何か。アリストテレスの時代から続くこの問いは、アンリ・フォシヨンやジョージ・クプラーのような20世紀の美術史家たちの関心ごとでもあった。クプラーは1962年の著作『時のかたち』で次のように述べている。
過去は現在を知ることだけに役立つ。しかしその現在は私をすり抜けていく。『いったい現在とは何であるのか』。この問いは、私の師であるアンリ・フォシヨンの人生において究極の、そして最も重要なものであった。(中略)以来ずっと、私もまたこの疑問を抱き続けてきた。そしてこの問いに答えがあるとしたら、私はその解決にいまだ一向に近づいていないようである。(*1)
クプラーはさらに続ける。
私たち一人ひとりの一生には無数の現在の瞬間が含まれている。それぞれの瞬間には、意思においても行為においても開かれた選択肢が限りなく存在している。(*2)
現代でも、クプラーが予感したこの主観的時間の現象をめぐる議論は尽きない。物理的に、この世界に唯一の客観的な現在は存在しない。では、私たちはどのように時間と折り合いをつけているのか。この疑問は当然、人間がどのようにこの世界を生きているのかという問いに回付される。たとえば脳科学や認知科学の領域では、次のように考えられている。
それは、世界とその表象とを、絶えず調停することであり、両者の間に同期を取ることである。自分自身の運動と、その結果に対する知覚に関して、脳は絶えず同期を創り出す。ときに時間は縮み、時に因果関係は逆転さえする。(*3)
同期する──新種のウイルスが瞬く間に全世界に広がるほどの“小さな”地球に住み、どこにいても24時間オンラインでつながることができる私たちにとって、これほど身近な言葉もないだろう。だから私たちは、つい同じ「現在」を生きていると考えてしまう。実際には、人間の認知では、ひとつの現在によって紡がれる時間を生きることしかできず、同時に複数の現在を知覚することはできない。わたしの現在とあなた(別のわたし)の現在には、超えがたい溝がある。だからこそ人は、土台となる三人称の歴史に接続しながら、「現在」を生成し続ける。
このことを踏まえれば、私たちがある時間を共有することがいかに困難かに気がつくだろう。なぜなら、この世界に普遍的な時間軸や「いま、ここ」なるものは存在せず、それぞれの「現在」は、刻一刻と過去になってしまうからである。実際にほんの少し前のコロナ禍の3年間の記憶すらおぼろげになっている。「遠距離現在」の「現在」とは何を意味するのか。企画した尹志慧(ゆん・じへ)は次のように語る。
本展はこれらの作品をパンデミックの3年間を経験した目で見る。もちろんそれはパンデミックが過ぎ去った『ポスト』の視点、つまり『現在』から見ることである。現在にしか存在し得ない鑑賞者は本展をどのように鑑賞するのだろうか(*4)
展覧会の構想がたてられたのは、2021年夏、つまりコロナ禍の初期のことである。まだ世界の誰もが(専門家でさえ)未来のことを予測できなかった時期だ。美術館でも、多くの展覧会の開催を見合わせたり延期したりしていたちょうどそのとき、未来においてすでに過去になっているはずの「現在」を射程においていたということになる。
ここに展示されているほとんどの作品は、コロナ禍前の2004年から2019年までに制作されたものだ。コロナ禍以後に制作された新作を含め、パンデミックに直接言及する作品はない。しかし、世界規模のパンデミックによって改めて突きつけられた社会、政治、経済をめぐる諸問題はある日突然発生したのではなく、すべてパンデミックよりずっと前からこの世界に存在していた。最初のごく小さな兆候を見逃さず出力し、未来へ投げかけていたのが、本展に参加しているアーティストたちである。
かつてアンディ・ウォーホルは「繰り返すことが有名になることだ」と言った。現代において、この法則を最も駆使しているのがファッションと政治である。ヒト・シュタイエルと、ベルリン芸術大学で彼女に学んだジョルジ・ガゴ・ガゴシツェとミロス・トラキロヴィチによる《ミッション完了:べランシージ》は、両者のイメージがいかに結びつき、無意識のうちに私たちの意識を支配しているのかを明らかにする。本作はもともとレクチャー・パフォーマンスとして2019年に発表され、その後映像とインスタレーションによって再構成された。
YouTubeのチュートリアルのような身ぶり、歴史、政治、ファッション、ゲーム、文学、ソーシャルメディアを横断するイメージ展開によって、私たちはつい内容に引き込まれる。しかしその作品構造には、「レクチャー」自体への皮肉が込められている。終始台本を読むように“レクチャラー”を演じていた3人が突然、ある人物からの電話を受ける。その痛快な結末やIKEAのフラクタやクロックスを“私有化”する「バレンシアガ方式」に応酬する「ベランシージ」的世界に大衆的な底力を見出す視点は、シュタイエルがドキュメンタリー映像作家としての出自を持つことを思い起こさせる。
テクノロジーの進歩がイメージの質と偏在性に及ぼす影響は、誰もが可視化されていると同時に匿名でもある、暗号のような存在になる巨大な監視システムを暗示する。徐冰(シュ・ビン)が初めて手がけた映画《とんぼの眼》は、中国全土に張り巡らされた監視カメラのデータで構成された映像に、映像とは無関係の音声が挿入されることによって制作された。時間的にも空間的にも脈絡のない監視映像が、線的な物語(ナラティブ)によってつなげられている。ここに描かれている世界も、その世界を可能にした現実もディストピアとしか言いようがない。それでも監視カメラに無防備に晒されている受動的な存在に甘んじるのではなく、その映像によって新しい映画を生み出すというところに、アーティストそして表現の自由の存続をかけた意思が託されているといえるだろう。
「手」は、芸術の世界でたびたび創造性と結び付けられてきた。とりわけ近現代芸術における手に求められたのは、合理性や歴史的/社会的慣習から解放された本能的で直感的な自由の象徴だったといえるだろう。チャ・ジェミンの《迷宮とクロマキー》でクローズアップされる手は、もはやそのような「自由な手」ではないが、この社会に欠かせない技術と知、そして個人の意思を持つ手である。ネット強国を自負する韓国の片隅で黙々と配線を行う労働者の姿には、日本を含む先進国で過小評価される傾向にある「マニュアル・レイバー」の問題が重なる。
トレヴァー・パグレンによるAIがイメージを学習するための「トレーニング・キット」、ティナ・エングホフが撮影した「孤独な死」の場所、エヴァン・ロスのハッカー的な発想と手つき、彼らの作品については、あまりに明確なコンセプトと出力方法のために、ここで多くは付け加えない。いずれもコロナ禍前に発表されたものだが、見えない現実を可視化する彼らの作品は、発表当時とは別の意味をともなって私たちの目を引きつける。
展覧会の後半にかけて展示作品は抽象性を帯び、社会の現実からより私的な眼差しに向かう。そのあいだをつなぐのが、井田大介の映像三部作である。円形に置かれたバーナー上で低空飛行を続ける紙飛行機《誰が為に鐘は鳴る》、どこまでも飛び続ける熱気球《イカロス》、炎で熱し続けられるブロンズ彫刻《Fever》。いずれもある事物が熱をともなうことで起こる運動が延々と映し出されている。単純なそれぞれの運動の結末は、最後の最後まで判断がつかない。会場には台座から真っ二つに折れたブロンズ像がポツンと置かれている。私たちはこれが《Fever》で行われていることの末路だと、咄嗟に判断する。しかし映像の中で焼かれているブロンズ像と、目の前にあるブロンズ像がまったく同じものだという証拠はない。未来は予想通りかもしれないし、そうでないかもしれない。私たちの目の前で起きている現在という時間はいつも開かれていて、未来はいつも不確実なのだ。
地主麻衣子による《遠いデュエット》では、地主が敬愛するチリ生まれの詩人・小説家ボラーニョの作品そのもののように、複数の主体によって語られる現実と幻想、モノローグとダイアローグが、折り合いをつけないまま共存し、安易な共感や反感をふりはらう。《こうえん》や《うみ》を描いた木浦奈津子による絵画は、鑑賞者の目にありふれた日常の記憶と未知の風景が混じり合うデジャヴュを開設する。彼女たちの作品は、私たちが共有していると考えている事柄を静かに揺り動かし、「現在」という時空にさらなる広がりを与える。
時間が不意に巻きもどる。家に篭り画面越しに伝わってくるニュースからやるせなさや不安を覚えていた日々。そのなかに#MeeTooやBlack Lives Matterなど新しい社会のうねりが芽生えていたこと。それが瞬く間に世界規模の運動になったこと(そして反動もあった)。当時1歳だった息子と、ほかに行き場もなく毎日公園に通っていたこと。読書が数少ない最高の慰めだったこと。始まりと終わりの曖昧な記憶の断片を、4時間を超える滞在時間を通して思い出していた。
ふたたびクプラーの『時のかたち』に戻ってみよう。クプラーは現在性の本質を、天体と芸術の関係に見出そうとした。
過去を知ることは星について知ることと同じくらい驚きに値する仕業だ。天文学者たちは昔の光を観測しているのであって、彼らにはそれ以外に見るべき光はない。すでに消滅した星や遠く離れた恒星からの光は、はるか昔に発せられたもので、現在になってようやく私たちに届いたものだ。多くの歴史的出来事もまた、天体のように、それらが『出現』するずっと以前に発生していたのである。(*5)
ここに、「遠距離現在」と、その英語タイトルにあるUniverseが結びつく。本展を見るとき、私たちは天文学者のような目で、しかし天文学の物理的世界よりもはるかに予測不可能なこの人間的世界で、過去からのシグナルを受け取る。それはコロナ禍を経た私たちの目に、いっそう切実な光として映る。
このように「現実」を俯瞰して見ることができるアーティストたち、そして美術館で彼らの展示を見ている私たちもまた「特権的」な存在で、いまこの瞬間にも世界には、より悲惨な現実に向き合わなければならない人々がいるという指摘も当然あるだろう。しかし、だからこそ私たちはその小さな光に目を向け続けなければならない。
もうひとつの「遠距離現在」の物語は、次のように締めくくられる。
少年は、多くのことができた。たくさん考えた。そして大人達が忘れてしまった多くのことを少年は覚えていた。(*6)
あの奇妙な3年間に、あるいは「過去」のあらゆる時間において、私たちが見過ごしてしまったかもしれない無数の「現在」と同期する場所があるとすれば、「現代美術館」ほど相応しい場所はない。いくつもの「現在」と、個人的な記憶や意思が溶け合うとき、私たちはようやく未来をとりもどすのだ。
*1──ジョージ・クプラー『時のかたち 事物の歴史をめぐって』中谷礼仁、田中伸幸訳、鹿島出版会、2018年、44頁。
*2──クプラー『時のかたち』47頁。
*3──郡司ペギオ-幸夫『時間の正体 デジャブ・因果論・量子論』講談社、2011年、23頁。
*4──尹志慧「遠距離現在」『遠距離現在』カタログ、国立新美術館、2023年、7頁。
*5──クプラー『時のかたち』48頁。
*6──福永信「遠距離現在」『遠距離現在』11頁。