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無数の撮り手たちが見せた日本、招いたもの  若山満大評「国際観光写真にみる1930年代」展

1930年頃より日本の観光政策として外国人観光客の誘致宣伝に本格活用されるようになった写真。本展では、JTB旧蔵ストックフォトから82点(すべてモノクロ)を選出し、ニュープリントで展示した。1930年代において、これらの写真はどのように扱われたのか、そしてどのように撮られたのか。東京ステーションギャラリー学芸員の若山満大が、同ストックフォトの来歴をたどりながらひも解く。

若山満大=文

「国際観光写真にみる1930年代」展(JCIIフォトサロン、東京)の展示風景 提供=JCIIフォトサロン

旅路は善意で舗装されている

 「国際観光写真にみる1930年代」と題した展覧会がJCIIフォトサロンで開催された。本展は、JTBパブリッシングが保管していた観光宣伝用ストックフォト(以下「JTB旧蔵ストックフォト」)の一部を紹介したものである。

 本展を企画した白山眞理調査研究部長によれば、JTB旧蔵ストックフォトの形成は1934年頃から始まったという。その基礎となったのは、鉄道省国際観光局(1930年設立)および財団法人国際観光協会(1931年設立)が収集した観光宣伝用の写真である。後者は1943年、ジャパンツーリストビューロー(1912年設立)の流れを汲む財団法人東亜旅行社と合併し、財団法人東亜交通公社となる。同法人は1945年に財団法人日本交通公社と改称するが、このとき、国際観光協会から継承されたストックフォトに内閣情報部の外郭団体・写真協会(1938年設立)由来のネガが加わった。その後、ストックフォトは財団法人から分離した日本交通公社(現・JTB)へと継承され、2004年に分社したJTBパブリッシングへの移管を経て、2017年に日本カメラ財団(JCII)へ寄贈された。

「国際観光写真にみる1930年代」展(JCIIフォトサロン、東京)の展示風景 提供=JCIIフォトサロン

 JTB旧蔵ストックフォトは戦前日本における国際宣伝の二大潮流──鉄道省国際観光局と内閣情報部のそれぞれに由来する。寄贈されたフィルムの概数は25000本、ガラス乾板は約200箱に上るという。本展では1930年代から1970年代に撮影されたこれらのネガのなかから、国際観光局に由来する1930年代撮影の82点が選定され、ニュープリントで公開された。

男体山ヨットクラブ 日光中禅寺湖 1935年9月8日 提供=JCIIフォトサロン
伊豆 1936年3月10日 提供=JCIIフォトサロン

 ヨット・競馬・スケート・スキー・花見・七五三・クリスマス・七宝・伊豆など撮影対象は多岐にわたる。いずれの写真も、キャプションを読むまでもなく、何が撮影されているかは一目でわかる。しかしいっぽうで、これらの写真には「誰が、なぜ」という情報がつねに抜けている。具体的で説明的な写真ではあるが、同時に抽象的で可塑的であるところに観光宣伝用ストックフォトの「個性」がある。

東京競馬場 1935年 提供=JCIIフォトサロン

 1930年代において、これらの写真はどのように扱われたのか。会場に掲出された引用文は明確な答えを示していた。

「欧米に対しては日本固有の姿に重点をおき近代日本を従とすることゝし、これに反し後進国に対しては主として近代日本を知らしめることに力を注いでおります」(国際観光局『国際観光事業の概説』1939年12月)

 このような意図によって、すべての被写体は「日本固有の姿」もしくは「近代日本」の表象に従事させられる。具体的な個人の名前、動機や目的は写真から注意深く捨象され、かわりに日本という単一の主語が立ち上がる。

第二回全日本選抜スキージャンプ大会東京大会 1939年 提供=JCIIフォトサロン

 ところで、このストックフォトのなかにはプロフェッショナルの写真のみならず、アマチュアによる写真も含まれている。1930年9月発行の『日本写真会々報』には、国際観光局による写真募集が次のように告知されている。

「本会各位は当局者の企を詠せられ、「懸賞」の目的にのみ捉はれず、寫真作家本来の使命を完ふすべく与えられた此の好機会に際し、卒先して日本の風景及び風俗を広く世界に紹介する意味[に]於て義的に応募されん事を切望する次第であります」([ ]は筆者による補足)

 じつに清々しく、不可解である。アマチュアにとって写真は趣味であって「本来の使命」ではない。「本来の使命」とはなんなのか。

 JTB旧蔵ストックフォトの一部は、こうした公募事業によって収集されている。上記のような「煽り」がどの程度アマチュアの発奮を促したのかは定かではない。懸賞目当ての応募もあれば、無邪気な承認欲求が動機の者もいただろう。純粋な善意や使命感を持った応募者もいたかもしれない。ただ、参加の理由がどうであれ、1930年代における国策への積極的な協力は「翼賛体制の胎動」となった。善意が必ずしも善に至るとは限らない。何者かになろうとした人、社会を慮った人、漫然と仕事をした人、自らの生を意味づけようとした人。様々な人々の望みと営みが国家の大義のもとに動員された結果がストックフォトだというのは、少々過ぎた見方だろうか。1930年代のストックフォトには、卑小な誠意と尊大な思惑が折り重なっている。そんなふうに思える。目先の利益や自己実現の甘美な誘惑に抗えず、誰かが掲げた目標、使命、生きる意味に安堵する。ストックに写真を供したアマチュアとは、私自身である。「なぜこの写真が撮られたか」という問いの答えは「観光宣伝のため」だけではないだろう。ストックフォトの一枚を前に、その撮影の動機を改めて想像するとき、ストレージから漏れてしまった「生温さ」が去来する。

 JTB旧蔵ストックフォトの全貌は今後より詳らかになっていくことだろう。本展は、その過程における重要なメルクマールである。

編集部

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