• HOME
  • MAGAZINE
  • REVIEW
  • 詩を通じ、近代北海道を生きた人々の生を受け止める。はがみち…
2021.9.30

詩を通じ、近代北海道を生きた人々の生を受け止める。はがみちこ評 高嶺格《歓迎されざる者〜北海道バージョン》

高嶺格による《歓迎されざる者〜北海道バージョン》の上演が、札幌市民交流プラザにて開催された。緊急事態宣言発令の影響によりわずか3日間で会期終了となった本作を、京都を拠点にアート・メディエーターとして活動するはがみちこがレビューする。

文=はがみちこ

会場風景より 撮影=小菅謙三 写真提供=札幌市芸術文化財団
前へ
次へ

その舟はどこへ渡るのか

 筆者は浄土真宗の一門の僧侶だが、北海道移民に広島県出身者が多い理由のひとつは、安芸門徒と呼ばれる浄土真宗の信仰の厚い人々が、”コケシ”(子供の間引き)を避けて人口増加したことだと、古老の僧侶に教わった。東本願寺は、文明開花後の開拓使設置の国策と歩みを揃えて、1870年という早い段階から教団主導で門徒の開拓移民を奨励している。廃仏毀釈と時を同じくする、他方の流れである。そこには仏教による同化政策への協力というディールも透けて見え、その開拓にアイヌへの弾圧強化が続いたことは、歴史が教えてくれる通りだ(*1)。

 宗教と政治の導きで海を渡り、壮絶な開墾労働に従事しながら先住民弾圧に加担した和人たちは、子供の人権を重視するような人道的で豊かな暮らしを望み、信仰に生きた人々だったのかもしれない。開拓移民だけではなく、北海道という土地は、様々な由来の生活者の思惑が交錯したトポスである。そこでは、誰が、誰を歓迎し、誰を歓迎しなかったのか──幾重にも引かれる善悪の基準線がぶつかり合ってきたのだろう。言い換えれば、誰もが「歓迎されざる者」となった場所なのではないか。この地で、高嶺格の《歓迎されざる者〜北海道バージョン》が発表されたことの意義は大きい(それが、たった3日間だけの現れに終わってしまったとしても[*2])。

会場風景より 撮影=小菅謙三 写真提供=札幌市芸術文化財団

 2018年に京都で発表された高嶺の《歓迎されざる者》をもととする本作は、新たに札幌でのリサーチを加えて、大幅に改変された上演展示の作品である。展示構成は、前作を踏襲して、仄暗い会場に一脚の椅子が置かれ、その周りに海の漂流物をかたどった半透明のオブジェが無数に吊り下げられていた。ひとりの演者が椅子に座って、詩を朗読する形式も前作同様だ。今回大きく異なるのは、漆黒の床面に水が浅く張られている点である(*3)。つぶれたボトルや流木など、海岸で拾われた漂流物のオブジェは、一点一点が照らされて、ぼんやりと水面に浮かび上がる。あたかも漁火、あるいは海上にたゆたう人魂のように、静謐さを湛えながら揺れていた。

 朗読される詩は北海道近代詩を中心に集められており、耳を傾けるうちに、開墾農夫、炭鉱夫、アイヌやニヴフ、監獄囚といった、この地に生きた人たちの姿が詩篇ごとに浮かび上がってくる。家族や友を詠んだ詩もあれば、自然や神々とのつながりを詠んだ詩もある。具体的な生活描写のある詩は、それぞれの切実な暮らしの生々しさを想起させ、悲哀や苦悩、喜びや怒りなどを、ときに慎ましく、ときに激しく伝えている。"誰”が、誰を歓迎し、誰を歓迎しなかったのか。その主体は、ひとつの詩の朗読が終わるたびに代わりゆき、視点は一座に定着することなく、波紋に揺れる水面の反射に撹乱されるばかりだ。

会場風景より 撮影=小菅謙三 写真提供=札幌市芸術文化財団

 なかには、北海道にゆかりのあった石川啄木や宮沢賢治、吉増剛造、道内在住の山田航らの詩人の詩篇も含まれている。この地を踏んだ詩人の言葉としての、抽象度の高い詩や同時代の詩は、固有の文脈には容易に結びつかず、本作が一面的なドキュメンタリー的解釈に陥るのを回避させてもいる。病床の宮沢賢治が地獄絵図の情景を詠んだ詩「(ながれたり)」においては、その無常観がほかの詩篇の様々な生の声を受け止めるように対話しており、高嶺による喪の試みのようで、水の気配のなか、本作を象徴する詩篇に感じられた。

ながれたりげにながれたり
川水軽くかがやきて
ただ速かにながれたり
(そもこれはいずちの川のけしきぞも
人と屍と群れながれたり)
ああ流れたり流れたり
水いろなせる屍と
人とをのせて水いろの
水ははてなく流れたり
宮沢賢治「(ながれたり)」

 “誰か”によって生きられた言葉は、束の間、演者によって息を吹き込まれ、鎮魂に静まる舞台に動きを生み出す。数篇の詩の朗読が終わると、演者は舟の影のなかにいて、ムックㇽとディジリドゥの倍音が不思議と絡み合う音色に送り出されながら、くるぶしまで浸かった足で水をかき分け、水面を揺らしながら舞台を去る。背後のスクリーンには、その波紋が大きく増幅されて反射し、焚書のごとく焼かれる詩篇の映像に合わさっている。水面は、演者によってざわめきを掻き立てられては、ふたたび凪いで静まりを取り戻し、展示のあいだ、それが繰り返されていた。観る者は、“誰”に同化するでもなく、ただ、その、ざわめきと凪の繰り返しが自らの内でも生じるのを体験することになっただろう。

会場風景より 撮影=小菅謙三 写真提供=札幌市芸術文化財団

 水や舟のモチーフは、前作の高嶺の説明によれば、北朝鮮からの漂流船を秋田の海岸で目にした自身の経験に由来する。ハングルの書かれた将棋の駒に、この船で営まれたひとときの暮らしを想像したことが《歓迎されざる者》の着想のきっかけとなったという。「脅威」として迎えられながら、しかし、この船には拍子抜けするほどに普通の生があったのだと。個に還元された「詩」という表現を同じ舞台の上に乗せ、互いの善悪の線引きを無効化して、そこに一つひとつの生があったことを、ざわめきをもって静かに受け止める。《歓迎されざる者》という作品の手触りが、回を重ねられたことで、より明確に示されていた。

会場風景より 撮影=常松英史 写真提供=札幌市芸術文化財団

 とはいえ、アイヌ語の単語が出てくる詩も含め、すべてが規範的な「日本語」で詠まれていることには次第に違和感を覚えもした(*4)。展示会場には、メインとなる水の舞台の奥に、回廊がふたつ続いている。ひとつ目の回廊では、舞台に吊るされていた漂流物のようなシルエットが壁面全体に散りばめられ、壁を覆うポリエステルシートが、送風と吸引によって、呼吸のように膨らんだり縮んだりしている。空気が吐き出されて、シートが壁に張り付いた時のみ、漂流物のシルエットのなかにおぼろげに文字が浮かび上がった。これは朗読されていた詩のようなのだが、すぐにまたシートが膨らんで文字がぼやけてしまうので、しっかりと判別することが叶わない。ふたつ目の回廊では、ポリエステルシートに挟まれた狭い空間を進むと、シートに手書きでカタカナの文章が書いてある──文字を持たないアイヌ語の表記方法だが、実際には観客の大多数はこれを理解することができないだろう(*5)。そして、出口付近には、解読できないほど何重にも重ねられた日本語の文章が書いてあった……。

 最後にこれらの回廊を通過することで、先ほどまでの鑑賞体験が、言語という共通基盤に支えられていたことを思い知らされ、またその基盤を失ったときの、他者のわからなさという絶望をも突きつけられたのである。だが回廊の先は展示の出口ではなく、入り口に戻っていた。だから、そこで終わりにせず、またスタートすることができるのだ。

会場風景より 撮影=常松英史 写真提供=札幌市芸術文化財団

*1──真宗大谷派ではアイヌや在日コリアンの人々らに対する教団の差別の歴史への問いを信仰的課題ととらえ、解放運動推進本部を設置している。(https://jodo-shinshu.info/kaisui/、最終アクセス2021年9月8日)
*2──2021年8月27日からの北海道への緊急事態宣言の適用に伴い、本展は当初8月27日〜9月5日の10日間だった会期を8月29日までの3日間のみに短縮して開催された。
*3──前作では、波間に揺れるような漂流物の上下運動によって水面が表現され、モニター上では、その動きをキャプチャした幻の舟に目の前の演者が合成され、海上をひとり漂流する姿として映し出された。なお、朗読されたのは与謝野晶子、金子光晴、原民喜らの反戦詩で、言論統制下での発表が困難だったものを集めたという。
*4──この背景として、アイヌ語で詠まれた近代詩そのものが非常に少ないことも考えられる。1899年制定の「北海道旧土人保護法」によりアイヌ学校が設置され、学校教育で日本語指導が行われるなど公的な場で使用される言葉が日本語になったことで、アイヌ語の話者が急激に減り、現代ではアイヌ語は「消滅の危機にある言語」に挙げられる(UNESCO “Atlas of the World’s Languages in Danger” 参照。http://www.unesco.org/languages-atlas/、最終アクセス2021年9月8日)。いっぽうで、アイヌ語やアイヌ文化の振興を図ろうとする取り組みも官民双方で広がっていることも申し添えておきたい。
*5──このカタカナの文章の末尾には下記の出典が示されていた。砂沢クラ『私の一代の思い出-クスクッㇷ゚オルシベ』(1983)より”コタンチラおじさんが山で和人に殺される。そのたたり”