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旅と協働の作家が示す、ウィズ・コロナ時代のコラボレーティブ・アート。山本浩貴評「小沢剛展 オールリターン」

今年開館した弘前れんが倉庫美術館にて、開館記念プログラムとして小沢剛による個展が開催されている。フィクションを織り交ぜ歴史上の人物をめぐる物語を描く「帰って来た」シリーズが一堂に会した本展を、文化研究者の山本浩貴がレビューする。

文=山本浩貴

《帰って来たS.T.》(2020)の展示風景 撮影=楠瀬友将 Courtesy of Hirosaki Museum of Contemporary Art

ボーダーなきコラボレーション

 明治・大正期に建設された煉瓦倉庫の改修を建築家の田根剛が担当し、今年開館した弘前れんが倉庫美術館。同美術館では、現在「小沢剛展 オールリターン─百年たったら帰っておいで 百年たてばその意味わかる」が開催されている。同展は2013年から小沢が継続する「帰って来た」シリーズの第一作から弘前れんが倉庫美術館のコミッション・ワークとして制作された最新作までが一堂に会する、初の機会である。

 小沢の芸術実践を語るキーワードは2つ。「旅」と「コラボレーション」だ。旅への関心は学生時代から顕著であった。東京藝術大学在学中の1980年代後半、彼は「地蔵建立」シリーズを始めた。自身が世界各地を旅し、出会った風景を小さな手づくりの地蔵とともに写真に収めた。不穏な空気が充溢する1989年の天安門広場での写真は、歴史的激動の記録でもある。時代の変化をくぐり抜け、国境(ボーダー)を横切りながら、同シリーズは小沢による旅の軌跡を刻印する。

帰って来たJ.L.(部分)  2016 Courtesy of the Artist

 1990年代に入り、小沢は「相談芸術」シリーズに着手した。同シリーズには、コミュニケーションに対する関心が発現している。小沢は自らの主観を捨て去り、第三者の助言のみに従って作品を完成させることを試みた。この試みは主観を排するという意味では相互作用を基礎とするコラボレーションとは異なるが、以後、小沢はより(自己を含む)対話や議論を重視するようになり、その芸術実践は他者(たち)との相互作用を通じたコラボレーティブなものが中心になっていく。

 その後も小沢は「なすび画廊」「醤油画資料館」「ベジタブル・ウェポン」など様々なシリーズを矢継ぎ早に展開していくが、それらすべての核には共通して「旅」(自ら移動し、越境し、体験すること)と「コラボレーション」(対話や関係性をつくり出すこと)への関心が見られる。これら2つの核をまとめて、小沢の芸術実践の特徴を「ボーダーなきコラボレーション」と規定したい。

《帰って来たDr.N》(2013)の制作風景 Courtesy of the Artist

 もっとも新しい「帰って来た」シリーズでも、これら2つの核が融合されている。同シリーズは国境をまたいで活動した近現代史の重要人物をひとり取り上げ、様々な国での現地調査に基づいてつくられる。小沢は想像力を駆使して、虚実を織り交ぜながら主役となる人物にまつわる物語を紡ぐ。彼が書いた物語は現地の音楽家の手で歌となり、現地と日本を行き来しながら撮影された映像に取り入れられる。最終的にそのシリーズの作品の多くは、地元の路上画家などとのコラボレーションによって制作された、絵画を含む映像インスタレーション空間として結実する。

 同シリーズでこれまで取り上げられた人物は、野口英世、藤田嗣治、ジョン・レノン、岡倉覚三(天心)である(今回、寺山修司が加わった)。野口を主役の座に据え、シリーズ開始の契機となった《帰って来たDr. N》(2013)は、彼が黄熱病に斃れた最期の地ガーナを舞台に、現地の音楽家との協働により制作された。野口の子孫が研究者となり、福島の放射能汚染に(自らの父祖がアフリカの地でしたように)文字通り命をかけて取り組むという物語を描いた同作では、想像力を通じて現実と虚構のあいだの境界、そして時間と空間の境界を越える、小沢のボーダーなきコラボレーションの力が発揮された。

《帰って来たペインターF》(部分)  2015 森美術館蔵 撮影=椎木静寧 Courtesy of the Artist

 それぞれ2015年と2017年に、藤田と岡倉をその主人公として取り上げた《帰って来たペインターF》と《帰って来たK.T.O.》は、現地のクリエイターとのボーダーを越えたコラボレーション以上に、小沢が乗り越えようとしているもうひとつのボーダーに着目したい。それは藤田と岡倉という日本近代美術史上の最重要人物に数えられる2人を扱ううえでの困難、すなわち藤田の戦争画と岡倉のアジア主義に付き纏う戦争の暗い影である。これら2作品において、小沢はたんなる戦争関与批判に終始するのではなく、しかし芸術家の戦争責任からは目を逸らさず、想像力を駆使して(まるで自らと一体化するように)彼らの内面に深く入り込み、そこで起こっていたかもしれない出来事を描き、かつ「ありえたかもしれない別の物語」を紡ぎ出すという(何重もの意味で)難しい課題に挑戦している。

 ジョン・レノンを扱った《帰って来たJ.L.》(2016)は、彼との関わりではほとんど語られてこなかった「フィリピン」という第3項を挿入し、原発、移民、貧困などの現代的問題に対する批評的視点を提出した。ここでも時空間を跳躍し、現代との接続を見つけ出す小沢のボーダーなき想像力がその輝きを示す。いずれの作品でも、小沢はトランスナショナルな、時空間を越境した接続性に着目しながら、近現代の重要人物たちの(よく知られているものも、あまり知られていないものも含む)活動が現代を考察するうえでどのような示唆を与えるのかを提示しようとする。

《帰って来たJ.L.》(2016)の展示風景 撮影=楠瀬友将 Courtesy of Hirosaki Museum of Contemporary Art

 新作《帰って来たS.T.》(2020)の主人公は、弘前生まれの劇作家・寺山修司である。紙幅の都合上、内容に踏み込むことはできないが、小沢はコロナ禍で実際に国境を越える移動ができない状況で同作をつくった。ゆえにそれは「ウィズ・コロナ」時代におけるコラボレーティブ・アートの新しいモデルとなるだろう。

 最後に、「帰って来た」シリーズでは全部で5人の人物が取り上げられているが、みな男性であることは気にかかった。言うまでもなく、国境をまたいで躍動した、日本になんらかのゆかりのある人物には、たくさんの女性がいる。様々な事情はあるかもしれないが、まだひとりも女性が登場しないのは、やや不自然であると感じられた。そのため、次はぜひ女性を主人公にしてもらいたい。そのときに小沢のボーダーなきコラボレーションがどのような新しい側面を見せるのか、楽しみで仕方ない。

 

編集部

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