あにはからんや
毎月のレビューを送稿し、編集と確認を経て公開されるまでには、2週間くらいの時間がかかる。2月に観た展示について、3月19日に書いたレビューが4月4日に公開されるまでに(*1)、まず大規模イベントの規模縮小、臨時休校の要請があり、それから東京2020オリンピック・パラリンピックの延期が決定し、ソーシャル・ディスタンスが膾炙し、多くの展覧会が閉鎖し、それに代わって多くの企画が立ち上がった。500人前後だった感染者数は10倍になり、公開から3日後の4月7日に、東京に緊急事態宣言が出された。いま、このレビューは4月12日に送稿される。公開に同じ日数がかかるなら、4月末に公開されているはずだ。
たった2週間という時間が予測しがたいものとなった。そのあいだに、わたしたちが互いに確保する距離はもっと当然のものとなり、より徹底する。2週間後、公共交通機関が動いているかわからない。自身はまだしも、親しい知人や、インターネット上で知っている人たちが、2週間後どうなっているか、想像がつかなくなった。発症から2〜3週間足らずで、重篤化する場合があるという。執筆現在、「2週間は接触8割減」の基準が多く唱えられている。
2週間というのは、展示の会期としてもちょうどいい。美術の制度慣習は、それをとりまく輸送や広報、批評も含めて、具体的な時間や空間のなかに成り立っている。美術館に行くとき、到着時間を決めて、ルートを考え、何時間くらい観るものなのか想像する。意外に長引いたり、早々に観終わったりすることも少なくない。映像作品だけで数十分もかかる場合があるし、中途で切り上げられることも少なくない。そうしたかたちを前提に、展示映像がつくられている場合もある。
制度と生活、都合のアマルガムとして、展示の形式はある。人々は2m以上近づかずして、どのように展示空間をデザインするだろう。いま、人が公共空間に滞在するリスクは、何時間で変わるのだろう。隣り合った椅子に座ったり、誰が座ったかもわからないクッションに寝転がって、映像作品をじっと眺めることは、どのように変わるだろう。
展示の形は物理的なものだけではない。ウェブサイト展示、ヴァーチャル空間、オンライン配信など「その場に赴く」ことを要件から外した形式が次々と案出されている。「購入」の機能にフォーカスしたものもある。オンライン・ビューイングは優勢だ。それは作品の鑑賞を、展示空間の制度や物理的な慣習から引き離したり、変換したりする。「OIL by 美術手帖」のポータルページは、メニューで「ARTWORKS」「ART PRODUCTS」「GALLERIES/STORES」「ARTISTS」に区切られている。クリックすると作品一覧が現れる。おおむね絵画や小立体を白い背景に正面からとらえたものだ。さらに進むと、その画像が画面いっぱいに表示され、ポインタはルーペに変わる。ルーペを載せると、そのエリアがおよそ相似比2倍で表示される。
デイヴィッド・ホックニーは、絵画面と、見るという身体運動のインタラクションに自覚的だった作家だ。「カーテン」を題材にした《劇中劇》(1963)では塗り残された画面の上にガラスが重ねられ、目は「それをいったい何が覆っているのか」と戸惑う(*2)。また代表作《A Bigger Splash》(1967)は、縦横2mを超える大きな絵画だ。その中央にある「水しぶき」は、一見アクション・ペインティングのように、絵具が飛沫いたように──見える。だが遠くからは本物の飛沫痕に思えたそれは、近づいて見ると、あまりに一粒ずつが「大きい」。ホックニーは、投げつけられた絵具の跡のような形を、大きく拡大して描いたのだ。
視覚、また自然な運動をもとに構成されたわたしたちの生活と身体。そのうえに、展示空間、さらに美的経験は習慣づけられている──蛍光灯の開発がなかったら、ハロゲン電球のもとで絵画はどのように進化しただろうか? 絵画表面の物理的な堅牢性と彫刻の経験は? 5G環境下で見る映像のシークバーは?
だが最近のわたしたちの動きを統制し始めているのは、光より飛沫、そしてその残留時間だ。見えない飛沫は、街中の閑散、ファストフード店の椅子の配置、マスクの常用によって視覚的に換喩され、そして自粛”要請”やソーシャル・ディスタンシングの一般化、緊急事態宣言というかたちに隠喩されている。この「宣言」は英語で「ステートメント」だ。ステートメントが時空間に意味を付すとは、まるで近現代の美術展示のようだ。多くのステートメントは、そこに展示されている作品どうしや、鑑賞者の個人的・社会的なポジションと作品を「近づけて観よ」と要請する言語の形式だ。たとえ「離れて観よ」と記されようが、ステートメントという隠喩の装置は、「本質」への濃厚接触を鑑賞者に欲望させる。
ステートメントとは、発話媒介行為を主眼とする、インストラクション(指示)の形である。
3週間にわたって、オンライン映像祭「Films from Nowhere」は公開された。企画は荒木悠と佐々木友輔、加えて参加作家は、池添俊、内山もにか、海野林太郎、木野彩子、佐々木友輔、地主麻衣子、波田野州平、渡邉ひろ子。Vimeo.com上で、1000円で72時間「レンタル」して鑑賞する。
映像とはそもそも「どこでもない場所から(from nowhere)」出来する。Adobe Premiereなどの映像編集ソフトを開くと、インターフェースにはがらんどうの「タイムライン」が表示されている。撮影素材や音響、字幕などをその上にドラッグ、ドロップすることで、映像作品は初めて現れる。モンタージュの切り替わりには、見えない「どこでもない場所」が一瞬のぞく。まるで、枯尾花の映像に切り替わって消える幽霊のように。
幽霊の正体見たり枯尾花
映像は、企画者の荒木の作品から始まる。「原文は翻訳に不貞である」(ボルヘス)、「翻訳とは失敗の芸術である」(エーコ)という文句を引用する《ANGELO LIVES》、そして130年前に海外からの旅行者による紀行文をもとに現在の東京を撮影し、「戯訳」と称する《YEDDO》では、いずれも、隙間からひとつの解釈を生む運動を記す。前者は、神を「大日如来」と誤訳したザビエルの通訳・アンジロウを題材に、「物語なき物語」を展開すると紹介がある(*3)。この撞着した言い方こそ、物語のあり方だ。それが「ない」ところにも、隙間だらけだからこそ、物語は読者をそそのかし、自らを謬見させようとする。
池添の《あの人の顔を思い出せない》は、豊田市美術館にあるダニエル・ビュレンの野外彫刻《色の浮遊|3つの破裂した小屋》のあいだを抜ける人物を追う。所々の鏡に人物が映り込むため、いったいどこを通っているか認めづらい。何より、中央に現れる黒い長方形が、時折その姿を隠す。この四角を、画像に「載っている面」とも、「空いている穴」とも言えないのは、映像の素材どうしの境界が「どこにもない」ゆえだ。
しかし終盤、堂々と人物の顔が映って面食らってしまう。たしかに、目の前に見えている顔を「思い出す」ことはできない。むしろ「思い出そう」とすれば、目の前の顔との不気味なずれが錯覚される──こんな顔してたんだ? 「あの人」と「この人」のあいだの裂け目が開く。
だから、続く内山の《a new use》が映す、ロウ加工業を営む作家の実家の様子の、ロウを包む祖母にシャンタル・アケルマンの《ジャンヌ・ディエルマン》の芋剥きの場面を見紛ってしまうのも、「あの人」と「この人」を、ふたつの映画のあいだの「どこでもない場所」で混同させられるゆえだ。ここでも、ハクビシンとタヌキ、ムジナの〈違い〉、そしてその英訳が家族の話題にのぼる。カメラは口元ではなくロウを加工する手元を映しており、会話の声はオフ・ヴォイスだ。そこで切られている真っ白い直方体のロウが、池添の黒い長方形を思い出させる──どちらも、そののっぺりとした見た目が、映像の「どこでもなさ」を表わす──いや、この連想も同じ穴のムジナだ。
端的にいえば、音声はありとあらゆる形で画面外をみたしにやってくるのであり、この意味でいっそうイメージの構成要素と化す。(ジル・ドゥルーズ『シネマ』、*4)
どこでもない場所。最近屋外に出かけなくなったせいで、いままで暮らしていた生活の時空間がほどけ、買い出しや通学の道行きに思いが巡る。公共交通機関が、もはや近道ではなく遠旅に思える。こうして時空間に開いた裂け目に、映像の外側、作品と作品のあいだ、「どこでもない場所」。まるでテレビの向こうから聞こえてくる「要請」が、わたしたちの日々にこれ見よがしに物語を継ごうとするように、映像のモンタージュ、作品と作品どうしの連続を、コンセプトにもとづく解釈することは誘われる。それが「ステートメント」の力なのだ。
実家の犬の葬儀にヴィデオ通話で参列した内山の映像《Anatomy of Dependence》は文字通り、物事どうしの「次第」の継がれ方、その心もとなさを示す。「depend」は〈吊り下がったもの〉を指し、必ず〈宙吊り〉すなわち「サスペンド」の最中にある。
出品映像のなかで、「カット」のない映像は、内視鏡で体内を撮影した荒木の《Deep Search》と、野焼きの様子とそれに群がるカメラマンたちとが「別のレイヤーで合成されているかのように」撮影した海野の《ロング・ロング・ショット》だ(*5)。タイトルの重複する「ロング」は、この作品における「映像」の重複でもある。まるで映像かのように見える炎と、それを遠巻きに撮影しようと微動だにしない人々とが、一挙に画面に収められる。映像を撮る人々自身が、そこに静止した映像としてある。何かを観るということもまた「映像になること」だ──というアレゴリーは、《ロング・ロング・ショット》を観ているわたしたちにもあてはまる。オンラインで映像や展示を観ることは、みずからもまた、この「どこでもない場所」に没することなのだ。
オフ・ヴォイス、つまり「どこでもない場所からの声」を文字通りモチーフに据えたのが、福島県の都市伝説「声」をめぐる佐々木の《コールヒストリー》だ。緊急通報(emergency call)をドイツ語で「Notruf」と言う。Notは「緊急」、そしてRufは「呼び声」(マルティン・ハイデッガー)と訳される。存在の内から聞こえる「呼び声」は、その存在の本来的な根拠の欠如、穴から響く(*6)。精神分析家のジャック・ラカンはこれを受け継ぎ、この欠如に──欠如なのに!──意味を与えようとするシステムが、欲望する主体を構成するとみなした。このシステムは「父性隠喩」と呼ばれる。
わたしは次第に、声そのものより、二人の物語に関心をもつようになった。
「声」は、それを聴く者に、何かしら「物語」を求めさせる(*7)。その声が聞こえてくるのが、「どこでもない場所」だ。作品とその余白のあいだ、二つの映像をつなぐカット、公の報道と私の生活空間。そのあいだにある「どこでもない場所」から聞こえてくるかのように、抑圧的な「ステートメント」の声を響かせられている誰かがいる。
地主の《欲望の音》は、不貞や即身仏など、作家が提案する様々な「欲望」のトピックについて、パーカッショニストは自分の考えを応え、ドラムを演奏する。わたしたちはそのやりとりを見ながら、その回答、つまりステートメントと、ドラムのテンポや音色とのあいだに「本質的」な関係があるかのように、期待してしまう──おそらく、演奏者自身もそうかもしれない?
波多野の《影の由来》の紹介にも、「物語」と結びついた「声」の隠喩がある。
炎天下の夏の午後、道を尋ねた老人が唐突に語り始めた特攻隊の思い出。老人が去った後で陽炎に揺れる町を眺めながら、の語りは老人ひとりの声ではなく、この土地が私に語りかけてきたのではないかと錯覚した。この土地が、亡き者の声を記録しろと私に迫ったのだと。私はこの体験と、遺棄された所有者不明の写真や手紙を用いて物語を創作し、かつてこの町に生きた名もない死者たちの声を呼び起こそうと試みた。
「死者たちの声」を「呼び起こす」という隠喩のねじれ。呼ぶはずの声のほうが呼ばれるという奇妙さに、一読して気づかない──このような「誤訳」こそ、文の意味を忖度して理解しようとする、わたしたち人間の生き方だ。
共通の視点、足場を持たないもの同士のはざまにある余白を想像することへの考察。
このように紹介のある渡邊の《蟻と魚と鳥が出会う処》は、三つに分割された画面で進行する。凍った文字が溶けていく様子が印象的だが、終盤からその文言を二つ引こう。
同じ風景を想いながら 見つめながら
「ながら」という接続助詞が、並んで次々と現れ、紹介の言葉を借りれば、「見えないものと見えるもの、何処かと何処かというような異なる地点が縦横無断に繋がっていく」。歌人・水沼朔太郎の指摘を思い出す。
周知のように〈つつ〉は非常に便利な助詞である。何かしら関係がありそうな二物を〈つつ〉はいい案配でつなげてくれる。(*8)
渡邊の「ながら」の溶解を、隣り合う別の時間と結びつけることも、固有の時間で孤独に溶けていくとみなすことも、わたしたちはどちらだって、そう解釈したいようにできる。わたしたちはそうできている。裂け目は、切り離すことも、結びつけることも、つねに自在で、だからこそ、どう解釈するかは、ステートメントに左右されやすい。「余白を想像する」のも、「縦横無尽に繋がって」いるように見るのも、「いい案配」を警戒するのも──、「どこでもない場所」からの声に、鑑賞者はほだされやすい。
緊急事態宣言を予感しつつ、カフェで飛沫感染のリスクを感じながら、「Films from nowhere」を観て、批評を書く。外で起きていることへの意識に駆動されてしまいながら。もしくは、自分が期待する批評の物語に駆動されながら。海野の映像において、観るものが観られるものであったように、いま、批評を書くものも批評の対象になる──そう言ってしまうことも、「どこでもない場所」への無限後退だ。
木野と佐々木によるレクチャーパフォーマンス映像《【補講】ダンスハ保健体育ナリ?》では、戦争のため東京五輪が中止となった1940年前後に現れた「体操」がいくつか紹介される。家庭で体操を行うことへの奨励が、一種の教化プロパガンダだったことを木野はレクチャーする。戦時中、東南アジアまで含めた地域で、同一時間にラジオ体操が行なわれることで、身体的なレべルで大東亜共栄圏が紡ぐ一体感の物語──いわば「肌感覚」が与えられた。
木野はさらに、義務教育課程での保健体育にダンスが必修化したこと、そして日本ユニセフ協会が提案した「手洗いダンス」を取り上げる。いずれも2012年のことだ。タイトルの疑問文「ダンスハ保健体育ナリ?」は、木野が順に、戦争と五輪、教育の文脈で取り上げる二者のあいだの「つながり」をすでに主題に上げながら、「ダンスハ保健体育ナリヤ、否、
いったん類似に気づいてしまうと、その類似を否定する手立てが、あるいはその類似から逃れる方策がなかなか見つからない。(*9)
手洗いをしながら、昼間のワイドショーに出ていたピコ太郎の動画を思い出してしまう──形が似ているとは、それを「思い出す」よう「振り付け」られていることだ。手洗いや社会的距離を「ダンス」と喩えるような提案は、「距離をとる」ことをいつでも思い出すよう国民に振り付けてしまう。ラジオ体操が「形だけ」残っているように、「距離をとる」こともまた、習慣づけられて残りかねない。
映像の最後、砂漠で木野が踊っている映像が挟まる。この「どこでもない場所」で木野が踊り続けるとき、ダンスは、体操や手洗いの比喩であることを止め、ダンスそのものでしかないように、見える。「どこでもない場所」はここでようやく眼前に現われ、そこに「なにもない」ことを露呈するのだ。
さて、様々なトピックを続けざまに語るレクチャーパフォーマンスの形式は、類似という「ささやかな狂気」(*10)に駆動される。芸術が、「隠喩の機械」が狂っていることを示すものであるなとすれば、「ナリ?」というけったいな文語の、読み手の欲望を照射する修辞疑問文ほど、レクチャーパフォーマンスに、そして批評にふさわしいタイトルもない。手洗いとダンス、いくつかの映像作品、ホックニーと空気感染、声明(state)と国家(State)とのあいだに隠喩とは、あにはからんや。
*1──大岩雄典「物語のサスペンド:パンゲア・オン・ザ・スクリーン」(美術手帖ウェブサイト・レビュー欄より)
*2──田中麻帆「デイヴィッド・ホックニーの「カーテン・シリーズ」(1963)」『WASEDA RILAS JOURNAL No.2』(2014)、早稲田大学総合人文科学研究センター
*3──オンライン映像祭「Films From Nowhere」(関内文庫)より。作品の「紹介」と示した引用はすべてこのページより。
*4──ジル・ドゥルーズ『シネマ2*時間イメージ』宇野邦一・石原陽一郎・江澤健一郎・大原理志・岡村民夫訳、法政大学出版局、1985/2006年
*5──大岩雄典「反撃の情景:海野林太郎『風景の反撃/執着的探訪」」 も参照。
*6──東浩紀『存在論的、郵便的』第三章を参照。
*7──これはポール・ド・マンの言う「隠喩的な誘惑」にあたるものだろう。ド・マン「アレゴリー(ジュリ)」『読むことのアレゴリー:ルソー、ニーチェ、リルケ、プルーストにおける比喩的言語』土田友則訳、岩波書店、1979/2012年
*8──水沼朔太郎「〈つつ〉なし短歌における接続と因果の問題」また水沼は「【インタビュー】水沼朔太郎」でも「つつ」に触れている。「現在は使うようになったけれど、なぜ、わたしが〈つつ〉を警戒するかというと〈つつ〉は一見客観的に並列性を表現しているように見えるけれど実のところその並列性は作者によって意図的に並列性をまとわされているからです。〔…〕はじめわたしは〈つつ〉は並列的(=シームレス?)な接続語だと思っていたのに書いてみたらそうではなくて接続に負荷を掛ける接続語だということがわかりました」。
*9──谷口博史「全能にして無力な語り手(たち)」、モーリス・ブランショ『わたしについてこなかった男』(谷口博史訳、書肆心水、1953/2003)の訳者解説より。
*10──同上。