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REVIEW - 2018.12.7

図書館で石を切り出し、採石場で古書をめくるように。長谷川新評 吉田志穂展「Quarry / ある石の話」

インターネット上に存在する様々な画像と自身が撮影した写真を重ね、新たなイメージを構築してきた写真家の吉田志穂。東京・新宿のユミコチバアソシエイツで行われた個展「Quarry / ある石の話」では、これまで様々な人物によってスケッチ、小説、採掘場の石の欠片、ネット上の画像や考察などで表されてきたにもかかわらず、いまだ事実や史実が明確にされていないある「石」を、写真という手段で表現することを試みた。本展を、インディペンデント・キュレーターの長谷川新がレビューする。

文=長谷川新

展示風景 © Shiho Yoshida Courtesy of Yumiko Chiba Associates

展示風景 © Shiho Yoshida Courtesy of Yumiko Chiba Associates

層から層へと遡ることのできない、版画的写真

 採石法を紐解くと、第十条に次のような記述を見つけることができる。

 その土地が鉄道、軌道、道路、水道、運河、港湾、河川、湖、沼、池、橋、堤防、ダム、かんがい、排水施設、公園、墓地、学校、病院、図書館若しくはその他の公共の用に供する施設の敷地若しくは用地又は建物の敷地であるとき。

 列挙されているのは、経済産業局長が採石権を許可してはならない土地である。採石場(吉田がタイトルに掲げている「quarry」とはまず採石場を指す)とはこうした土地ではない、と否定的に定義することができる。にもかかわらず、辞書でquarryの第2義を調べてみると、名詞であれば「知識の源泉」、動詞であれば「(古文書などから)事実などを探し出す、記録を探索する」「(苦心して)資料を探し出す」といった意味があることがわかる。石を切り出すという営為と、古文書などの資料を苦心して解読していく営為が、忍耐を要する地道な作業の繰り返しであるという点で似通っていることはすぐに了解されるだろう。

 ここで興味深いのは、採石法によって図書館での採石が禁じられているということである。quarryという語が持つ多義性は、法律によって文字通り破砕されている。吉田はこれまでも、インターネットで画像検索して見つけた写真を撮影し、さらにその撮影現場を訪れて再撮影し、それをまたスキャンするという手法によって、写真の持つ複数性のポテンシャルを引き出してきた作家である。

「Quarry / ある石の話」 © Shiho Yoshida, Courtesy of Yumiko Chiba Associates

​ インターネットとまず書いてしまったが、《測量|山》(2016)、《砂の下の鯨》(2017)、そして今回の《Quarry / ある石の話》(2018)といった作品タイトルからもうかがえるとおり、吉田の関心はむしろ、ある半秩序化された情報の集積=物質化にあると考えたほうがよい。そこにあるはずのデータを読み取るのにそれなりの時間と労力が求められ、にもかかわらず、解析できたデータはすでに様々な侵食を受けて変容している。アーカイブされた瞬間に、長く放置されているあいだに、あるいは解析しようとしたその瞬間に、情報は擦られ、捻られ、圧迫され、漏水する。

「Quarry / ある石の話」 © Shiho Yoshida, Courtesy of Yumiko Chiba Associates

​ 吉田の「写真」もまた、こうした生っぽいアーカイブ的塊と同質なものとしてつくり出されている。よく言われるような写真の持つ細部過剰性や多層性は、必ずしも表面的な明晰さを意味しないし、トレーサビリティがあることも意味しない。吉田の写真は(たとえその制作プロセスを一つひとつ作家から聞いたとしても)抵抗なく層から層へと遡っていくことができない。まるで少し錆びた電熱線を通り抜けるかのように、流れる電流=情報は抵抗に遭い、発熱してしまう。むしろそれは版画的営みに近く、吉田にとって撮影という営為は「凹凸をつけていくようなもの」としてあるとすら感じられる。

 逆説的に感じられるかもしれないが、だからこそ、吉田の作品は「写真」である必要がある。切り出した工数がそのまま理解できる多角形としてではなく、どれだけの工数と操作を費やしたとしてもただフラットな1枚の写真としてのみ看取されなければならない。ここに、吉田の写真への手応えを見ることができる。​

展示風景 グレーの壁が大胆に配置されている © Shiho Yoshida, Courtesy of Yumiko Chiba Associates

​ ​そして吉田の実践として特筆すべきもうひとつの点は、展示空間である。それぞれの作品の出力方法の思案もさることながら、吉田は物理空間において写真を鑑賞する際の流れのようなものを緻密に設計している。入口すぐ右手にはグレーの壁がそびえており、私たちはやや小回りをして会場奥へと入らねばならない。鑑賞者にもたらされるこの負荷は、吉田の写真が備えている負荷と同期する場合にかぎり、非常に説得力を持つこととなる。

 逆に言えば、これがある石の「話」として、イメージ探訪記のように受け取られることになってしまうとたちまち足場を失いかねない。別の言い方をすれば、本展は移動というものを扱い損ねている。時間の圧縮の仕方に対して、あるいはそれぞれエレメントの時間の同期とズレの扱い方に関して、穿つべき鉱脈は眠っている。

​ 「Quarry」という語に備わっている、採石と資料解析という2つの営みは、吉田の作品と態度の魅力となって放熱している。法律がなんと言おうと、図書館で石を切り出し、採石場で古書の黄ばんだページをめくる、そのような豊かな時間の刻み方として。​

展示風景 © Shiho Yoshida, Courtesy of Yumiko Chiba Associates