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REVIEW - 2018.11.16

「偽造」し、真価を「奪う」ことで見えてくるものとは? 中尾拓哉評 TENGAone「盲点-blind spot-」展

ストリート・アーティストとして国内外で活動し、近年ギャラリーやフェアへと発表の場を広げているTENGAone。ダンボールという「使い捨て」の素材を「偽造」し、その上に商品パッケージやキャラクターのイメージを描いたシリーズのほか、キャンバスを用いた大作も発表した。同展について、美術評論家の中尾拓哉がその作品のレイヤーをときほぐす。

文=中尾拓哉

¥染色体 2018 キャンバスにアクリル絵具 324×518×3.1cm Photo by IKKI OGATA Courtesy of Kaikai Kiki Co., Ltd.

¥染色体 2018 キャンバスにアクリル絵具 324×518×3.1cm Photo by IKKI OGATA Courtesy of Kaikai Kiki Co., Ltd.

屍体と支持体

 スプレーは支持体とのあいだに、ある距離を取り、塗料を噴射する。その様々なものの上から「書く=描く」ことのできるガス圧の物理的強制力によって、「グラフィティ」はなんらかの価値を奪ってきた。それは、既存の価値の上においてであって、白紙の上ではない。

 ここでの既存の価値とは何か。例えば、宅配ピザのダンボールの上であれば、覚書きが残されることもあるだろう。「東中野店からTEL!! 店長TEL 080-70」というように。複雑なことは起きていない。しかし、それが宅配ピザのダンボールの上ではなく、巧みに準備された支持体の上に書かれたものであるならば、その限りではない。覚書きは支持体に準じて、模倣=再現へと変わる。TENGAoneはMDF(medium density fiberboard)を削り、ダンボールを偽造する。

パーティー2 2018 キャンバスにアクリル絵具 91×91.1×11cm
Photo by IKKI OGATA Courtesy of Kaikai Kiki Co., Ltd.

 アンディ・ウォーホルのブリロ・ボックスは、支持体を既製品のダンボール箱から木箱へと替え、その皺ひとつない造形によって(非-)痕跡を残す。それは、造形と偽造のあいだで既存の価値を問い、新たな価値へと塗り替える行為である。いっぽう、TENGAoneのドミノ・ピザのデリバリーボックスは、支持体をMDFへと替え、その造形された皺、捲れ、剥がれ、破れ、さらには汚れや染みとともに様々な痕跡そのものとなり残されている。しかし、ダンボールの皺はこれほどまでに力強いものであっただろうか。

 実物より少し大きなこのダンボールが、偽造された支持体だとわかり、覚書きがその上で模倣=再現に転じていくとしても、落書きは既製品であれ、非-既製品であれ、既存の価値の上であれば、変わらず落書きのまま、である。いや、グラフィティ・ライターがピザを食べ落書きをした、という状況まで想像すれば、それもまた模倣=再現となっていく。すると、ここでのグラフィティはいつも通り既存の価値を奪う、というよりもその造形されたダンボールあるいは偽物の既製品という支持体の上で、リアルとフェイクを並存させる領域にまたがっているようにも見える。

 しかし、このような支持体のあり方の上で、ドミノ・ピザのロゴとディズニーのキャラクターが、文字を三次元に立体化させようとしながらも、アウトラインを二次元上でクロスさせる「スローアップ」のように、部分的に重なり、背景と前景を入り組ませたところで描き止められていることに注目しなければならない。支持体のみならず、TENGAoneは異なるレイヤーを織り込みながら描画をおこなっているのである。

SHIKABANE 2018 キャンバス(5枚)にアクリル絵具 194×810×3.1cm
Photo by IKKI OGATA Courtesy of Kaikai Kiki Co., Ltd.

  《SHIKABANE》における屍の腕と脚の部分のアウトラインを見れば、それが筆で引かれているか、スプレーで引かれているか、と同じ人体の上で別々のコンテクストにおいて描かれていることに気づく。それだけではない。屍は、セル画のようにベタ塗りされたキャラクターに囲まれ、グラフィティ・ライターが文字を造形する「レター」の中塗りとなるレイヤー、すなわち「フィル」のように部分的に透けたその身体に背景の塗料が垂れ、素描のようにクレヨンで陰影の引かれた腕をいまだ持ち上げ、そしてスプレーの噴射によってぼやけた花をつかんでいる(その花には生命体、すなわち「キャラクター」であることを示す「目」が描かれる)。

  TENGAoneは、レターがあらゆる文字に等しく、結局は1本の線でありながら、立体化されることに準じ、レターのフォルムをキャラクターへと流用する、というよりも、むしろそれを固定させずにスタイルを変化させ続けてきた。その入り組み方はすでにグラフィティとアートという2つの領域のあいだにとどまるものではない。

展示風景より、「Fabrication」(2018) Photo by IKKI OGATA Courtesy of Kaikai Kiki Co., Ltd.

 ダンボールあるいはキャンバスに、落書きあるいは「グラフィティ・アート」が描かれるだけであれば、複雑なことは起きていない。しかしTENGAoneは、「グラフィティ・アート」において外部(ストリート)を内部(ギャラリー)にどのように持ち込むか、という支持体の問題をすり抜け、そのリアルとフェイクのあいだに入り込む。だからこそ、われわれの生活の至るところに入り込む「¥」の線形が染色体となって受肉し分裂するように、TENGAoneのキャラクターは遍在し、消失しようとする様々なものに乗り移るのである。そして、支持体および描画のいずれにおいても、それらが本物であれ偽物であれ、既存の価値の上で、もう一度それらの領域を覆い、占拠するのだ。

 こうしてTENGAoneは、用が済めば捨てられてしまうダンボール(屍体)のように見慣れたものと、不用だと高架下で人知れず消去、すなわち「バフ」されてしまうキャラクター(屍体)とのあいだにある距離を縮めていく。実際にその前に立たない限り、実感することはできなかったはずの、消失した無数のグラフィティを透かし、遍在する屍体を支持体へと仕立て上げるようなTENGAoneの「作品」に対峙する。この重なりこそが、グラフィティとアートを見つめる視線の盲点、すなわち遍在し、消失するそれらの既存の価値を奪いながら、誰も捨て去ることのできない非-領域的な空間を、力強く押し広げているのである。

展示風景より、3点とも《Untitled》(2018)
Photo by IKKI OGATA Courtesy of Kaikai Kiki Co., Ltd.