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REVIEW - 2018.8.1

作品展示の「技法」を可視化する。星野太が見た、宮坂直樹企画「Tips」展

固定の仕方や道具の転用など、作品を展示空間にインストールするために、アーティストたちは様々な「技法」を生み出してきた。それらを「Tips」と名付け、ピックアップする展覧会が京都芸術センターにて開催された。企画者である宮坂直樹ら5名の若手作家がインスタレーション作品を出品した本展を、星野太が論じる。

文=星野太

展示風景より。立体作品は熊谷卓哉、壁面の平面作品は池田剛介による作品群 撮影=三野新

「Tips」展
「ささやかな技法」の行方
星野太 評

 本展の企画者である宮坂直樹の作品をパリで見たのは、いまから5年ほど前のことだっただろうか。当時、パリのエコール・デ・ボザール(国立高等美術学校)に留学中だった宮坂は、展覧会のヴェルニサージュ(内覧会/レセプション)につきものの「グラス」を題材とする作品を制作していた。数日後に再びボザールを訪ねると、宮坂の作品である透明なグラスが、学内で行われていた小さな展示の一角を占めていた。その日はちょうどヴェルニサージュに当たる夕べであり、展示会場にワインを容れたグラスがあったとしても、そのこと自体を不思議に思う者はいなかっただろう。しかしそれは、飲み物を来場者の手から口へと運ぶ通常のグラスとしてではなく、中空にアンバランスに固定されたひとつの対象としてそこにあった。ふだん気にも留められずその場にあるものが、わずかな操作によって特殊な認識の対象へと転じる──。しばらく忘れていたこのときの記憶が、本展「Tips」を見たあと不意に甦った。なぜか? その理由は明らかに、本展のテーマがこのときの作品と地続きのものであったからである。

 まずはタイトルのtipsという言葉について確認しておこう。ふつうtipsといえば、それはある目的の実現を補助するための「こつ」や「工夫」を意味する。ゆえにtipsとは定義上、「何かのための」tipsであることを免れない(そうでなければ語義矛盾だ)。では、本展のタイトルとして選ばれたtipsとは、いったい「なんのための」tipsなのか。会場で配布されたステイトメントによれば、それは対象をクランプで固定したり、彫像の台座の代わりに脚立を用いたり、あるいは写真をテープやクリップで留めたりする、そうした「インスタレーションのささやかな技法」のことであるという。本展のもくろみは、通常ならば作品の「外部に」あるその「ささやかな技法」を、積極的にインスタレーションの「内部に」取り込むことにある。そうした操作を経ることにより、従来そこにありながら慣習的に「見えない」ものとされてきた多種多様なオブジェクトが、鑑賞者にも「見える」ようになる。ひいては、エアコンのダクトや電源コードといった、(おそらく)作品とは無関係の事物が「見えてくる」のも、その派生的効果のひとつであるにちがいない。先の「グラス」の作品が本展と地続きにあると述べた理由は、おそらくこうした点から理解されよう。

 そのうえで全体の印象を言えば、池田剛介、熊谷卓哉、小松千倫、三野新、そして宮坂の5名の作品を通じて先の「ささやかな技法」(=tips)を可視化しようとする試みは、ひとまず成功していたと言ってよい。熊谷卓哉による作品/台座の様々な組み合わせ、小松千倫によるキャンピングシートほかの素材の転用、そして三野新による養生テープを用いたインスタレーション(作家はこれを「ティルマンス貼り」と呼んでいる)に共通するのは、ふだん鑑賞者の意識にのぼりにくいインストールの基底材(台座や養生テープ)を、作品の一部として積極的に取り込もうとする意志である。各作家のインストール技術はいずれも手堅く、なおかつ出自を異にするがゆえのヴァリエーションにも富んでいる。ステイトメントに引き寄せられて本展を訪れた観客の多くは、おそらく十分な満足とともに会場を後にしたにちがいない。

展示風景より。手前は三野新《Prepared for FILM》(2014-)、奥は小松千倫による作品群 撮影=三野新

 筆者もまた、そうした「理想的な観客」のひとりであったはずだ。しかしその最中に何度か頭をよぎったのは、インスタレーションのtipsそのものを主題化するという本展の試みが、ひとつ間違えれば自己目的化したものに逢着しかねないことへの懸念であった。そもそもの話をすれば、「展示」という行為自体、例外なくある所与の空間へのインストール(設置・導入)を内包するものである。インスタレーションのメディウムとは「空間」そのものだとかつてボリス・グロイスは言ったが、筆者なりに言いかえれば、それはインスタレーションという形式が「展示」一般をいちど括弧入れしたうえに成り立っているということにほかならない。インスタレーションは、あらかじめ「展示」をめぐる自己反省的な営みとして存在している。だとすれば本展「Tips」が行っているのは、その2度目の括弧入れを、展示として上演してみせることだと言えるだろう(雑駁な言い方になるが、ひとまずそのように整理しておく)。

 以上の懸念は展覧会の設定に関わるものであり、さしあたりそれは個々の作品への論難を意味しない。ここで少し前の問題に戻る。tipsとは定義上、つねに「何かのための」tipsであると書いた。そして作品において何より優先されるべきは、むろん「制作のための」tipsを措いてほかにない。この点を堅持しようとしていたのが、本展の主旨に反してもっともインスタレーションらしからぬ姿をまとっていた池田剛介の《Hydropainting》だ。同作は、型紙を用いてアクリルミラーに透明な樹脂を載せた平面作品である。かねてより、金魚や水滴をはじめとする所定の「形/型(form)」を筆触に見立ててきたこの作家のシグネチャー・スタイルだが、本展では制作に用いた型紙を作品の傍らにインストールすることで、眼前の作品を成り立たせている不可視のtipsを可視化してみせたわけだ。しかも、同じ手法によって制作された3種類の作品を隣り合わせることにより、有限な手数から生まれるパターンの相違を示すというチュートリアル付きである。この池田の巧みな「インスタレーション」は、本展のテーマであるtipsを、あくまでも制作の水準において提示してみせたものである。

 要点を整理する。インスタレーションにおける「ささやかな技法」を可視化せんとする本展の企図が、重要なものであることは言を俟たない。しかしそれは、「展示」をめぐる自己反省的な営みに、すなわち「展示の技法」のプレゼンテーション(のシミュレーション)に傾いていくという懸念を払拭できない。そしてひとつ間違えれば、それは「展示の技法」の機微に通じたごく一部の人間にのみ受容される「内輪向け」のものに収斂するだけだろう(本展が、ヴェルニサージュを主題とする宮坂の旧作と「地続き」であると述べた最大の理由はここにある)。そこになんらかの脱出口を穿つ「技法」があるとすれば、それは「展示の技法」よりむしろ「制作の技法」のなかに、あるいはその両者が識別不可能になるような領域にこそ見出されるはずだ。