いわさきちひろ生誕100年「Life展」 ひろしま 石内都 振り返ること、隔たりを知ること 松岡剛 評
時間的、さらには心理的にも隔たった事象を振り返ることは、その対象といかなる関係を結ぶことを意味するのだろうか。石内都による「ひろしま」は、それまで直接的には縁のなかった作家が、広島平和記念資料館のコレクションを撮影するという試みであり、2007年から始められ、現在も続けられているシリーズである。
四方田犬彦がその作品について、長い時間のなかで変容していった事物をめぐる観想に似た感情を観る者に抱かせ、また、それまで科学的・歴史的言説に回収されることで剥奪されてきた、資料のかつての主たちの個別性を回復させようとするものと論じている(*1)ように、記憶と記録をめぐる倫理的とも言うべき問いを投げかけている。
とは言うものの、安曇野ちひろ美術館で「ひろしま」が展示されると知ったとき、真っ先に湧いた関心は、むしろ作品と建築との相性であった。もとより石内による作品展示ではしばしばプリント群が壁面で大胆に構成されてきたが、1990年代後半からは空間との呼応が印象的な展示を実現させてきた。
さらに、2000年代に入ると、大小のプリントを対比的に隣り合わせたり、高低差を強調することで、垂直方向の動きをはらんだダイナミックな配置が試みられている。とりわけ「ひろしま」の展示においては、つねにこの方法がとられており、自然光を思わせる高い色温度のフラットな照明、無機的でクールな印象を与える質感や、充分な天井高を備えた空間との親和性が高い。
いっぽうで、安曇野ちひろ美術館は、材質の素朴な質感や風合いが随所に散りばめられた、温かみや親密さを感じさせる空間で知られ、石内がこれまでインスタレーションを試みてきた舞台とは随分と異なっている。このような理由から、期待と不安が入り混じるなか会場へと向かうこととなった。
展示は3つのパートから構成されている。最初の「石内都のひろしま」に続き、2つ目の「ちひろのひろしま」では、原爆を体験した児童の手記にいわさきが絵を寄せた、『わたしがちいさかったときに』(童心社、1967)の原画が展示される。最後は「ふたりのひろしま」として、両者の組み合わせで構成されている。
じつのところ、私にとっての当初の関心事については、「石内都のひろしま」の空間ですでに、ひとつの答えが示されていた。低く抑えられた天井、温かみを感じさせる床とカーペット、ドンゴロスが張られた壁面の風合い、さらには色温度の低いハロゲン球による照明。
こうした要素に対して、高さに変化をつけながらも作品の配置を全体的に低く抑え、垂直ではなくむしろ水平方向に伸びやかに連なっていくように形づくっている。また、展示作品は、撮影された資料の質感や色味を考慮しながら、空間との相性において選ばれているようにも感じられた。こうして、この空間の質に応じるように、これまでとは異なった「ひろしま」の姿を目にすることができた。
「ちひろのひろしま」で紹介された原画作品は、ほかのいわさきちひろ作品と同様、石内自身も認めているように、その優しく愛らしい描写が織りなす画風そのものにおいて、直接的に石内作品と響き合うものとはとらえにくい。
しかしながらそれらは、まさに石内が「ひろしま」において平和記念資料館の資料と向き合ったときのように、いわさきが被爆体験を持つ子供たちの言葉に導かれ、寄り添うように生み出した表現と言える。
つまり、作者とモチーフとの間で結ばれた関係性と作品との緊密なつながりにこそ、本展の主眼が置かれていたことに、遅まきながら気づかされるのであった。まるで、こうした気づきのタイミングを突くように、先へと続く展示空間に視線は導かれ、「ふたりのひろしま」の一角が視界に入ってくる。
そして、まさにその視線を受け止める壁の正面には、2人の作品が隣り合って据えられる。最後のコーナーでは、大小様々なサイズのカラープリントと小さな線描という、物としての存在感がまるで異なる作品群を同一壁面に複雑に組み合わせており、額装や壁掛けの方法といった細部に様々な工夫を懲らしながら調和が図られたことがうかがえる。
さて、ここにきてようやく「ちひろ」と「石内都」の組み合わせが主題であったことに思い至る。本展はいわさきちひろの生誕100年を記念する事業の一環であるという。安曇野と東京の2館で1年にわたり、様々なジャンルのアーティストが関わり、それぞれがいわさきちひろと関連したコラボレーションとしての展示を連続で行う。ちなみに昨年、安曇野ちひろ美術館は開館20周年、ちひろ美術館・東京は開館40周年を迎えている。それは、一定の活動期間を経て、いわさきちひろという作家を扱うことの意味、そして美術館としてのミッションを改めてアップデートしようとする意欲的な試みである。
そこに石内都という作家が、しかも「ひろしま」が選ばれていることの意味は大きい。なぜなら「ひろしま」以降、石内は対象との関係における距離や隔たりを、いっそう自覚的に制作へと反映させてきたように思われるからだ。振り返ることとは、過去が語っているかのように見せかけたり、過去に成り代わるふりをすることではなく、現在(自身)と過去(対象)との隔たりを受け入れ、現在の私の名において語るほかないことを明瞭に示している。
安曇野ちひろ美術館の設計者、内藤廣は本建築が竣工した際、「倉庫」と「納屋」という例えを用い、似て非なる空間の質について言及している。「倉庫」とは物が蓄積される、過去へと連なる空間であり、それに対する「納屋」とは物が産み出され息づく、未来へと開かれた空間として、内藤が美術館の展示活動とも重ね合わせながら志向した場の謂いであった。
国内で多数の美術館が節目となる周年を迎えるなか、活動の年月をどのように振り返り、設立時の理念に立ち返りながらも、社会における美術館の位置付けの変化を踏まえ、いかに更新していくのか。筆者自身、勤務する館が開館30周年を目前に控え、考えさせられる機会となった。
(脚注)
*1──四方田犬彦「広島の聖ヴェロニカ」『石内都展 ひろしま/ヨコスカ』(目黒区美術館、2008)pp.54-57