東京・六本木の泉屋博古館東京で、日本画家・木島櫻谷(1877〜1938)の「四季連作大屏風」や、櫻谷が影響を受けた江戸時代の円山四条派の画家に焦点を当てた企画展「ライトアップ木島櫻谷 ― 四季連作大屏風と沁みる『生写し』」が開幕した。会期は5月12日まで。担当は同館館長の野地耕一郎。
櫻谷は明治後半から昭和前期まで、文展・帝展で活躍した京都日本画壇の代表的存在。京都画壇の重鎮・今尾景年(1845~1924)に写生を学び、徹底した写生を基礎に、卓越した技術と独自の感性によって叙情的で気品ある画風の作品を数多く生み出した。京都の伝統を継承しながら、西洋画の要素をも取り入れたスタイルが大きな特徴だ。
櫻谷は2027年に生誕150年、没後90年の節目を迎えるが、館長の野地は「このタイミングに合わせた大規模な回顧展を構想している」と語る。野地はこの回顧展に向けて「継続的に櫻谷を再評価する展覧会や研究を行っていく」と語っており、本展もその一環となる。
第1章「四季連作屏風のパノラマ空間へ、ようこそ。」は、本展タイトルにもなっている「四季連作大屏風」四双を一堂に展示する久々の機会となっている。大阪・茶臼山の住友家本邸のために、1915年(大正4年)頃から2年をかけて制作されたこの金屏風は、春の桜と柳を描いた《柳桜図》、夏の燕子花を描いた《燕子花図》、秋の菊を描いた《菊花図》、冬の梅を描いた《雪中梅花》と四季の植物を各双に描いている。いずれも縦180センチメートル、横720センチメートルを越える大振りなサイズで、尾形光琳(1658〜1716)の影響も感じられることから、当時は「光琳風」との評判も立ったという。
野地は、その装飾性や反復美から本屏風が「光琳風」とされていることは認めつつも、いっぽうで異なる視座も示している。例えば《柳桜図》や《菊花図》の花弁や、《雪中梅花》の枝に積もった雪は、油彩画のように絵具を盛り上げ、立体感を演出している。また、写生を活かした大胆な構図は狩野派的であり、さらに《燕子花図》などに典型だが、反復に見える花も一つひとつの描き分けが意識されている。こうした観点で改めて四双の屏風を見ると、邸宅内の装飾を超えた「絵画」として屏風絵が如何様に存在できるのか、という櫻谷の問いかけを感じられはしないだろうか。
第2章「『写生派』先人絵師たちと櫻谷」では、江戸時代中期に始まる円山応挙(1733〜1795)門下の「円山派」、そしてそこから派生した「四条派」、さらにその後の加筆傾向や減筆傾向といった展開についても検証。これらの作品から櫻谷がどのような影響を受けたのかを考える。
野地は、「生写し」と呼ばれた写実表現を生み出した応挙について「当時は非常に斬新で、奇想とも言える表現だった」と評する。さらに応挙に学んだ呉春を祖とする四条派が生まれたのち、円山派は筆数を増やすことで緻密な描写をめざす加筆傾向に、いっぽうの四条派は俳諧味を意識して減筆傾向となった。さらに時代が下ると両者の融合も生まれており、こうした傾向の整理の難しさが「円山四条派」という、派閥をひとまとめにし通りの良い呼び名を生んだのではないかと野地は語る。
本章では、例えば輪郭線を廃したリアリティが見て取れる応挙の《双鯉図》や、減筆への意識が見られる四条派開祖の呉春の異母弟である松村景文の《老松鴛鴦図》、毛を描かずに猫の背のやわらかな質感を表現した森一鳳《猫蝙蝠図》などを展示し、傾向の一端を実物をもって知ることができる。
これらと併せて、豊かな毛描きでやわらかなリスの毛並みを表現した《葡萄栗鼠》や、哀愁漂う表情を見て取れる狸を描いた《秋野老狸》などの櫻谷の画を展示することで、影響関係を考える構成となっている。
第3章「櫻谷の動物たち、どこかヒューマンな。」は、櫻谷の新たな評価軸を提示する章といえるだろう。リアリティあふれる動物画の名手として知られる櫻谷だが、野地は後年の作品に「近代的なヒューマニズムの発露」を見るという。
本章ではおもに動物を描いた画やスケッチが見られるが、例えば《獅子虎図屏風》の獅子や《秋野孤鹿》の鹿からは、まるで人物画を見ているかのような豊かな表情を見て取ることができる。江戸時代の古典の持つ美意識とリアリズムを引き継ぎながらも、近代的な「絵画」をも為そうとした。そんな「四季連作大屏風」とも共通する櫻谷の挑戦が見えてくる。
琳派、そして円山四条派という伝統的な系譜を踏まえたうえで、新たな絵画を錬成しようとした画家・木島櫻谷 。様々な視点からその画の構造をひも解く、今後の同館の櫻谷研究が楽しみになる展示といえるだろう。